『梟の城』は「時代」を感じさせる時代小説 ― 2026年11月06日
司馬遼太郎の長編第1作を読んだ。作家36歳のときの『梟の城』である。本作で直木賞を受賞し、流行作家になった。
『梟の城』(司馬遼太郎/新潮文庫)
戦国末期の忍者を描いた本作の刊行は1959年、この文庫本の発行は1965年4月である。解説の執筆者が村松剛なのが意外だ(執筆日付:1965年3月)。
1959年は、小学生の私がテレビで「月光仮面」を観ていた頃だ。忍者が活躍する「風小僧」も観ていた。あの頃、司馬遼太郎がこんな忍者小説を書いていたのかと、不思議な感慨をいだいた。
十代、二十代の私には司馬遼太郎は関心外の作家だった(読者になったのは三十代以降)。だが、中学から高校にかけての時期、なぜか村松剛に関心があり『ナチズムとユダヤ人』『ユダヤ人』『女性的時代を排す』などを読んだ記憶がある。それ以降、村松剛の本はほとんど読んでいない。
私の頭の中で司馬遼太郎と村松剛は結びつかない。1965年時点での解説によれば、村松剛は『梟の城』をきっかけに司馬遼太郎に病みつきになったそうだ。「読者として大衆層だけではなく、気むずかしい知識人をも吸引できる知識人の時代もの作家」と評価している。
半世紀以上の年月を経た2026年、77歳になった私が『梟の城』とその解説を読んで感じたのは「時代」である。「古い」「時代は変わった」という感慨とも言える。フェミニズム的にアウトに近い箇所もある。
1959年頃、司馬遼太郎は「忍豪作家」と呼ばれ、本人はそう呼ばれることを嫌っていたそうだ。山田風太郎の忍法小説と同時期に「忍豪作家」だったことに驚き、感心した。
司馬遼太郎の忍者は山田風太郎ほど荒唐無稽かつ奔放ではない。だが、リアル忍者とも言い切れない。超人に近い忍者に近代人的心理が混入している。私にはそれが、木に竹を接いだアンバランスに感じられた。だから、登場人物たちの行動や心理に感情移入し難い部分があり、不可解な物語とも感じられた。
と言うものの、フィクションに史実を絡ませる技には面白さを感じた。
『梟の城』(司馬遼太郎/新潮文庫)
戦国末期の忍者を描いた本作の刊行は1959年、この文庫本の発行は1965年4月である。解説の執筆者が村松剛なのが意外だ(執筆日付:1965年3月)。
1959年は、小学生の私がテレビで「月光仮面」を観ていた頃だ。忍者が活躍する「風小僧」も観ていた。あの頃、司馬遼太郎がこんな忍者小説を書いていたのかと、不思議な感慨をいだいた。
十代、二十代の私には司馬遼太郎は関心外の作家だった(読者になったのは三十代以降)。だが、中学から高校にかけての時期、なぜか村松剛に関心があり『ナチズムとユダヤ人』『ユダヤ人』『女性的時代を排す』などを読んだ記憶がある。それ以降、村松剛の本はほとんど読んでいない。
私の頭の中で司馬遼太郎と村松剛は結びつかない。1965年時点での解説によれば、村松剛は『梟の城』をきっかけに司馬遼太郎に病みつきになったそうだ。「読者として大衆層だけではなく、気むずかしい知識人をも吸引できる知識人の時代もの作家」と評価している。
半世紀以上の年月を経た2026年、77歳になった私が『梟の城』とその解説を読んで感じたのは「時代」である。「古い」「時代は変わった」という感慨とも言える。フェミニズム的にアウトに近い箇所もある。
1959年頃、司馬遼太郎は「忍豪作家」と呼ばれ、本人はそう呼ばれることを嫌っていたそうだ。山田風太郎の忍法小説と同時期に「忍豪作家」だったことに驚き、感心した。
司馬遼太郎の忍者は山田風太郎ほど荒唐無稽かつ奔放ではない。だが、リアル忍者とも言い切れない。超人に近い忍者に近代人的心理が混入している。私にはそれが、木に竹を接いだアンバランスに感じられた。だから、登場人物たちの行動や心理に感情移入し難い部分があり、不可解な物語とも感じられた。
と言うものの、フィクションに史実を絡ませる技には面白さを感じた。
作者の秀吉への愛が感じられる『新史太閤記』 ― 2026年11月04日
司馬遼太郎の『新史太閤記』を読んだ。
『新史太閤記(上)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)
この文庫本の発行は1973年5月。数カ月前、私が近所の古書店で入手したのは2025年11月の105刷である。大河ドラマ『豊臣兄弟』を当て込んだ増刷だとしても、105刷という数字に「国民作家」の貫禄を再認識した。
私が本書を入手したのも大河ドラマが契機だ。と言っても、ドラマを観たのは「賤ケ岳」あたりまでで、その後は見逃している。
司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んだのは数カ月前、『関ケ原』 『城塞』『覇王の家』を読んだのが9年前、『播磨灘物語』を読んだのはかなり昔だ。斉藤道三、織田信長、明智光秀、黒田官兵衛、徳川家康らを扱った司馬作品を読み、この時代の秀吉の物語が中ヌケ未読なのが少々気になっていた。
『豊臣兄弟』を契機に読んだ本書、弟の秀長はほとんど登場しない。前半の美濃稲葉城攻めの箇所で、次のような人物評がある。
「温厚で慧く、猿の補助者としては足手まといではない。豊臣政権末期、51歳で死んだが、生前豊臣一族のなかではもっとも人望があり、もしかれが生きていれば豊臣家はあのようなかたちでは亡びなかったであろうとさえいわれた。」
このように述べているが、本書には「あのようなかたちでの亡び」に関わる記述はない。上下2巻で1000頁を超える秀吉の一代記の最終章は小牧長久手の戦いの後の家康との和睦(家康の上洛)であり、その後を省略している。
物語の終盤で「この男の生涯のおわりは、家康上洛のこの時期からさほど長くもなく、わずか13年目の慶長3年の8月に死ぬ。」と述べた後、手短に辞世を紹介して幕になる。
晩年13年の記述がないこの「太閤記」には茶々(淀殿)も千利休も朝鮮出兵も登場しない。作者が描きたかった秀吉像は家康上洛の頃までだったようだ。その後の秀吉の逸脱した姿を描くのが忍びがたかったのかもしれない。
作者が描く秀吉は「秘めた暗さ」を「明るさ」で覆い隠すことができる愛嬌のある人物である。商人的価値観で世の中を先見的に見通すことができ、人を殺さないという信条・方針もある。人たらしである。たらされることのない家康も、たらされたふりをせざる得なくなる。愉快な話だ。
司馬遼太郎の歴史小説には人物評と箴言が散りばめられている。登場人物の心理描写も明解だ。なるほど、そういう見方があるのかと思わせる芸に魅力がある。秀吉の参謀になると決意する黒田官兵衛に関して「小事をなすのは力量である。大事をなすのは天運である、と官兵衛はおもっていた。」などと描写しているのに得心してしまう。
この小説で面白いのは、やはり信長と秀吉の関係である。秀吉は信長に心酔・傾倒し、信長の心中を察しながら行動する。信長は秀吉を「使える」人材と見ている。そんな関係のなかで、信長は自覚することなく秀吉から学んだ部分があり、秀吉はひそかに信長の器量より自分の方がひと桁おおきいと思っている――としている。
作者の秀吉への愛が感じられる歴史小説だ。
『新史太閤記(上)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)
この文庫本の発行は1973年5月。数カ月前、私が近所の古書店で入手したのは2025年11月の105刷である。大河ドラマ『豊臣兄弟』を当て込んだ増刷だとしても、105刷という数字に「国民作家」の貫禄を再認識した。
私が本書を入手したのも大河ドラマが契機だ。と言っても、ドラマを観たのは「賤ケ岳」あたりまでで、その後は見逃している。
司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んだのは数カ月前、『関ケ原』 『城塞』『覇王の家』を読んだのが9年前、『播磨灘物語』を読んだのはかなり昔だ。斉藤道三、織田信長、明智光秀、黒田官兵衛、徳川家康らを扱った司馬作品を読み、この時代の秀吉の物語が中ヌケ未読なのが少々気になっていた。
『豊臣兄弟』を契機に読んだ本書、弟の秀長はほとんど登場しない。前半の美濃稲葉城攻めの箇所で、次のような人物評がある。
「温厚で慧く、猿の補助者としては足手まといではない。豊臣政権末期、51歳で死んだが、生前豊臣一族のなかではもっとも人望があり、もしかれが生きていれば豊臣家はあのようなかたちでは亡びなかったであろうとさえいわれた。」
このように述べているが、本書には「あのようなかたちでの亡び」に関わる記述はない。上下2巻で1000頁を超える秀吉の一代記の最終章は小牧長久手の戦いの後の家康との和睦(家康の上洛)であり、その後を省略している。
物語の終盤で「この男の生涯のおわりは、家康上洛のこの時期からさほど長くもなく、わずか13年目の慶長3年の8月に死ぬ。」と述べた後、手短に辞世を紹介して幕になる。
晩年13年の記述がないこの「太閤記」には茶々(淀殿)も千利休も朝鮮出兵も登場しない。作者が描きたかった秀吉像は家康上洛の頃までだったようだ。その後の秀吉の逸脱した姿を描くのが忍びがたかったのかもしれない。
作者が描く秀吉は「秘めた暗さ」を「明るさ」で覆い隠すことができる愛嬌のある人物である。商人的価値観で世の中を先見的に見通すことができ、人を殺さないという信条・方針もある。人たらしである。たらされることのない家康も、たらされたふりをせざる得なくなる。愉快な話だ。
司馬遼太郎の歴史小説には人物評と箴言が散りばめられている。登場人物の心理描写も明解だ。なるほど、そういう見方があるのかと思わせる芸に魅力がある。秀吉の参謀になると決意する黒田官兵衛に関して「小事をなすのは力量である。大事をなすのは天運である、と官兵衛はおもっていた。」などと描写しているのに得心してしまう。
この小説で面白いのは、やはり信長と秀吉の関係である。秀吉は信長に心酔・傾倒し、信長の心中を察しながら行動する。信長は秀吉を「使える」人材と見ている。そんな関係のなかで、信長は自覚することなく秀吉から学んだ部分があり、秀吉はひそかに信長の器量より自分の方がひと桁おおきいと思っている――としている。
作者の秀吉への愛が感じられる歴史小説だ。
『コンサート×おしばい ショパン物語』を鑑賞 ― 2026年11月03日
那覇文化劇場なはーと大劇場で『コンサート×おしばい ショパン物語』を鑑賞した。「みむみむの森」というクラシック音楽普及を目的にした音楽家団体主催の企画である。
中学生以下の子供は無料招待なので、観客の半数以上が子供だった。後期高齢者の私にとって、多くの子供との同席は稀有の体験である。少子高齢化と言うものの、子供がウジャウジャいるではないかと思った。根拠なく多少の安心を感じてしまった。コンサートの途中で子供の泣き声が聞こえたりもする。
ピアノ(三村真理)+ヴァイオリン3名、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエの9名による演奏が中心の舞台だった。
曲目はピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11で、3楽章から成る。第1楽章と第2楽章の間、第2楽章と第3楽章の間の二回、ショパンに扮した役者の独白劇が入る。計1時間の「コンサート×おしばい」だった。
ショパンは20歳でワルシャワを離れる。すでに天才と評価され国際的な活躍が期待されていた。ワルシャワを離れる直前の演奏会のために作曲したのが今回の演奏曲である。私には聴き覚えのない曲だが、クラシックの生演奏に至福の時を過ごした。
新潮文庫『ショパン』を読んだばかりなので独白劇の部分も理解しやすかった。最初の独白は、ワルシャワを離れるにあたっての躊躇や家族・友人への思いを語っている。演奏曲とシンクロする独白である。
二番目の独白はウィーン滞在中である。役者の衣装は変わっているが、最初の独白からさほど時日は経っていない。ロシアに占領されたポーランドでの蜂起の失敗、反ポーランド感情が高まったウィーンなどに関する状況や心境が語られる。
アンコールでピアニストが演奏したのはモーツァルトの『トルコ行進曲』だった。ここは『エチュード〈革命〉』を演奏してほしかった。子供の観客が多いのでポピュラーな曲でサービスしたのだと思うが。
中学生以下の子供は無料招待なので、観客の半数以上が子供だった。後期高齢者の私にとって、多くの子供との同席は稀有の体験である。少子高齢化と言うものの、子供がウジャウジャいるではないかと思った。根拠なく多少の安心を感じてしまった。コンサートの途中で子供の泣き声が聞こえたりもする。
ピアノ(三村真理)+ヴァイオリン3名、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエの9名による演奏が中心の舞台だった。
曲目はピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11で、3楽章から成る。第1楽章と第2楽章の間、第2楽章と第3楽章の間の二回、ショパンに扮した役者の独白劇が入る。計1時間の「コンサート×おしばい」だった。
ショパンは20歳でワルシャワを離れる。すでに天才と評価され国際的な活躍が期待されていた。ワルシャワを離れる直前の演奏会のために作曲したのが今回の演奏曲である。私には聴き覚えのない曲だが、クラシックの生演奏に至福の時を過ごした。
新潮文庫『ショパン』を読んだばかりなので独白劇の部分も理解しやすかった。最初の独白は、ワルシャワを離れるにあたっての躊躇や家族・友人への思いを語っている。演奏曲とシンクロする独白である。
二番目の独白はウィーン滞在中である。役者の衣装は変わっているが、最初の独白からさほど時日は経っていない。ロシアに占領されたポーランドでの蜂起の失敗、反ポーランド感情が高まったウィーンなどに関する状況や心境が語られる。
アンコールでピアニストが演奏したのはモーツァルトの『トルコ行進曲』だった。ここは『エチュード〈革命〉』を演奏してほしかった。子供の観客が多いのでポピュラーな曲でサービスしたのだと思うが。
ショパンについて一夜漬け勉強 ― 2026年11月02日
11月3日に「コンサート×おしばい ショパン物語」という舞台を観る予定なので、にわか勉強でショパンに関する薄い文庫本を読んだ。
『ショパン:カラー版作曲家の生涯』(遠山一行/新潮文庫)
カラー写真や図版が満載の文庫で、識者6人(三善晃、遠山慶子、佐藤允彦、若桑みどり、中田耕治、中村紘子)による見開きエッセイも挿入されている。本文はさほど長くない。門外漢の私には手頃な入門書だった。
私は音楽方面に暗いので、楽曲に関する論評はよくわからない。だが、39歳で生涯を終えた天才作曲家の相貌がおぼろに見えた気がする。
9年前、ポーランド旅行をしたとき、ワルシャワでショパンが住んだ家を見た。ショパンの心臓を埋め込んだ柱のある教会も訪れた。ポーランド生まれのショパンはパリで亡くなり、心臓だけが帰郷したと聞いた。また、高校世界史の参考書で「1830年の祖国ポーランド11月蜂起の失敗を聞いたショパンは“ピアノで悲しみを訴える”としてエチュード〈革命〉を作曲した」という記述を読んだことがある。ショパンに関する私の知識は、ほぼそれだけだった。
本書の序章「ショパンの謎」に引き込まれた。ショパンは謎の人らしい。20歳の時にポーランドから出国するが、どこに行こうとしたかのか、必ずしも明らかでないそうだ。その後、一度も祖国に戻ろうとしなかった理由も定かでない。自分の内面を他人に明かすことがない人だった。
ショパンの謎は大国のはざまで翻弄されたポーランドの歴史に関連している部分も多そうだ。ショパンの父はポーランドに移住したフランス人である。一時婚約していた女性から「ショピンスキというポーランド名でないのが残念」と言われこともある。ショパンはフランス名なのだ。
著者によれば、エチュード〈革命〉がワルシャワ蜂起と関連しているかは不明だそうだ。
ショパンは1831年(21歳)からパリ暮らしを始め、1849年(39歳)、結核で亡くなる。7月革命(1830年)の翌年から2月革命(1848年)の翌年までの18年だ。この間、ハイネ、バルザック、ドラクロワらと親交を結び、女性作家ジョルジュ・サンドと愛人関係になり長年にわたって共に暮らす。
ドラクロワとは特に親しかったが、その劇的な画風になじむことはできなかった。サロンでの交流を好んだショパンについて、著者は次のように述べている。
「自分の心を他人にあかすことを嫌ったショパンは、サロンという洗練された社交の場でこそ自分を守ることができるのを知っていた。」
本書から伝わってくるショパンの姿は、内面に深い孤独をかかえた、ニヒルとユーモアが漂う人物である。
『ショパン:カラー版作曲家の生涯』(遠山一行/新潮文庫)
カラー写真や図版が満載の文庫で、識者6人(三善晃、遠山慶子、佐藤允彦、若桑みどり、中田耕治、中村紘子)による見開きエッセイも挿入されている。本文はさほど長くない。門外漢の私には手頃な入門書だった。
私は音楽方面に暗いので、楽曲に関する論評はよくわからない。だが、39歳で生涯を終えた天才作曲家の相貌がおぼろに見えた気がする。
9年前、ポーランド旅行をしたとき、ワルシャワでショパンが住んだ家を見た。ショパンの心臓を埋め込んだ柱のある教会も訪れた。ポーランド生まれのショパンはパリで亡くなり、心臓だけが帰郷したと聞いた。また、高校世界史の参考書で「1830年の祖国ポーランド11月蜂起の失敗を聞いたショパンは“ピアノで悲しみを訴える”としてエチュード〈革命〉を作曲した」という記述を読んだことがある。ショパンに関する私の知識は、ほぼそれだけだった。
本書の序章「ショパンの謎」に引き込まれた。ショパンは謎の人らしい。20歳の時にポーランドから出国するが、どこに行こうとしたかのか、必ずしも明らかでないそうだ。その後、一度も祖国に戻ろうとしなかった理由も定かでない。自分の内面を他人に明かすことがない人だった。
ショパンの謎は大国のはざまで翻弄されたポーランドの歴史に関連している部分も多そうだ。ショパンの父はポーランドに移住したフランス人である。一時婚約していた女性から「ショピンスキというポーランド名でないのが残念」と言われこともある。ショパンはフランス名なのだ。
著者によれば、エチュード〈革命〉がワルシャワ蜂起と関連しているかは不明だそうだ。
ショパンは1831年(21歳)からパリ暮らしを始め、1849年(39歳)、結核で亡くなる。7月革命(1830年)の翌年から2月革命(1848年)の翌年までの18年だ。この間、ハイネ、バルザック、ドラクロワらと親交を結び、女性作家ジョルジュ・サンドと愛人関係になり長年にわたって共に暮らす。
ドラクロワとは特に親しかったが、その劇的な画風になじむことはできなかった。サロンでの交流を好んだショパンについて、著者は次のように述べている。
「自分の心を他人にあかすことを嫌ったショパンは、サロンという洗練された社交の場でこそ自分を守ることができるのを知っていた。」
本書から伝わってくるショパンの姿は、内面に深い孤独をかかえた、ニヒルとユーモアが漂う人物である。
ガザの戦争犯罪を伝える『ヒンド・ラジャブの声』は悲痛な映画 ― 2026年10月31日
那覇市のシネマパレットで『ヒンド・ラジャブの声』を観た。ガザで発生した事実に基づいた悲痛な映画だ。ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞している。
2024年1月、イスラエル占領下のガザにおいて、車で脱出中のパレスチナ人家族7人(うち4人は子供)が戦車から銃撃を受けて死亡した。最初の銃撃では15歳と6歳の少女が生き残っていた。15歳の少女は車内から電話で救援を求めるが、電話の途中で戦車からの銃撃で死亡。その後、生き残った6歳の少女(ヒンド・ラジャブ)と電話がつながり、救援者が救出に尽力するも、むなしい結果に終わる。この事件を描いたドキュメンタリー風の映画である。
救援者とは「パレスチナ赤新月社」というボランティア組織である。この映画を観るまで、そんな組織があるとは知らなかった。ガザ地区には赤新月社の救急車がある。だが、自由に動けるわけではない。赤十字やイスラエル軍に連絡して、安全な通路を指定されたうえで、その通路を通行しなければならない。
赤新月社の救急車はたびたびイスラエル軍から銃撃を受け、多くの救急隊員が死亡している。だから、安全な通路の確認は必須である。
6歳の少女と電話がつながったとき、車で8分の位置に救急車がいた。だが、なかなか安全の確認が取れない。少女との電話は7時間に及ぶ。やっと安全の確認が取れ、救急車は発車する。しかし、途中で銃撃を受けて救急隊員2人は死亡する。少女との電話も途絶える。
この映画の赤新月社のメンバーはパレスチナ人俳優が演じている。ヒンド・ラジャブの電話音声は録音された実物を使用している。悲痛である。
21世紀の同時代に戦争犯罪は増大しているように感じられる。告発し続けなければ、慣れてしまうおそれがある。告発だけで解決する課題ではないが。
2024年1月、イスラエル占領下のガザにおいて、車で脱出中のパレスチナ人家族7人(うち4人は子供)が戦車から銃撃を受けて死亡した。最初の銃撃では15歳と6歳の少女が生き残っていた。15歳の少女は車内から電話で救援を求めるが、電話の途中で戦車からの銃撃で死亡。その後、生き残った6歳の少女(ヒンド・ラジャブ)と電話がつながり、救援者が救出に尽力するも、むなしい結果に終わる。この事件を描いたドキュメンタリー風の映画である。
救援者とは「パレスチナ赤新月社」というボランティア組織である。この映画を観るまで、そんな組織があるとは知らなかった。ガザ地区には赤新月社の救急車がある。だが、自由に動けるわけではない。赤十字やイスラエル軍に連絡して、安全な通路を指定されたうえで、その通路を通行しなければならない。
赤新月社の救急車はたびたびイスラエル軍から銃撃を受け、多くの救急隊員が死亡している。だから、安全な通路の確認は必須である。
6歳の少女と電話がつながったとき、車で8分の位置に救急車がいた。だが、なかなか安全の確認が取れない。少女との電話は7時間に及ぶ。やっと安全の確認が取れ、救急車は発車する。しかし、途中で銃撃を受けて救急隊員2人は死亡する。少女との電話も途絶える。
この映画の赤新月社のメンバーはパレスチナ人俳優が演じている。ヒンド・ラジャブの電話音声は録音された実物を使用している。悲痛である。
21世紀の同時代に戦争犯罪は増大しているように感じられる。告発し続けなければ、慣れてしまうおそれがある。告発だけで解決する課題ではないが。
映画『オデュセイア』は現代的解釈の物語に思えた ― 2026年10月28日
一昨日から那覇に滞在している。のんびりした時間を過ごすつもりだ。
那覇にはシネコンが何館かある。先日『オデュセイア』を読んだばかりなので、折を見て映画『オデュセイア』を観るのもいいかと思いながら新聞広告の映画欄を眺めた。驚いたことに那覇市と近郊の3館は『オデュセイア』を上映していない。上映しているのは、那覇からバスで1時間以上かかる美浜アメリカンヴィレッジ内のミハマセブンプレックスだけ、それも「10月29日まで」となっている。他のシネコンでは上映終了したようだ。
9月封切りの話題の大作映画なので当分は上映しているだろうと考えたのは、私の勝手な思い込みだったようだ。さほどヒットしていないのかもしれない。
意を決して、バスに1時間以上揺られて映画を観に行った。観客は十数名、閑散としていた。3時間近い大作をゆったりした気分で鑑賞できた。
クリストファー・ノーラン監督の『オデュセイア』を観て、あの神話的叙事詩の世界が壮大な規模で映像化されているのに感動した。非現実的とも思える世界が具体的な映像で再現されている情景を眺めるのは楽しい。
特に気に入ったのは櫂船と海の情景である。櫂と帆を使い分けながら海を往く姿がいい。砂浜に上陸する場面も美しい。オデッセウスの故郷のイタケの城の外観や求婚者たちが跋扈する城内の様子も興味深い。原作ではいまひとつ明瞭でなかった情景がイメージできた。
もちろん原作をデフォルメしている箇所がいくつかある。だが、映画作品が文字作品と別物なのは当然なのでさほど気にならない。映画なりの演出がなければ映画にならない。
トロイ戦争のきっかけになった絶世の美女ヘレンに黒人女優を起用しているのには驚いた。『黒いアテナ』(私は未読だが)を想起した。
トロイの木馬の造形は、従来の木馬のイメージとはかなり違っている。リアルな馬の巨大模型が海岸に半分埋まっている。幻想的な情景だ。
アテナ神が登場するのは原作通りと言えるが、現実の普通の女性に見える設定がユニークかもしれない。最初、この女性は誰だろうと思った。やがて、アテナ神だと気づいた。
『オデュセイア』はオデッセウスが艱難辛苦の末に帰郷する物語である。その艱難辛苦の原因は海神ポセイドンの不興を買ったことにある。映画では、オデッセウスが策略によってトロイを滅亡させたことを艱難辛苦の原因としている。いわば、戦争犯罪に対する罰である。同時代的で面白い話になっていると思った。
那覇にはシネコンが何館かある。先日『オデュセイア』を読んだばかりなので、折を見て映画『オデュセイア』を観るのもいいかと思いながら新聞広告の映画欄を眺めた。驚いたことに那覇市と近郊の3館は『オデュセイア』を上映していない。上映しているのは、那覇からバスで1時間以上かかる美浜アメリカンヴィレッジ内のミハマセブンプレックスだけ、それも「10月29日まで」となっている。他のシネコンでは上映終了したようだ。
9月封切りの話題の大作映画なので当分は上映しているだろうと考えたのは、私の勝手な思い込みだったようだ。さほどヒットしていないのかもしれない。
意を決して、バスに1時間以上揺られて映画を観に行った。観客は十数名、閑散としていた。3時間近い大作をゆったりした気分で鑑賞できた。
クリストファー・ノーラン監督の『オデュセイア』を観て、あの神話的叙事詩の世界が壮大な規模で映像化されているのに感動した。非現実的とも思える世界が具体的な映像で再現されている情景を眺めるのは楽しい。
特に気に入ったのは櫂船と海の情景である。櫂と帆を使い分けながら海を往く姿がいい。砂浜に上陸する場面も美しい。オデッセウスの故郷のイタケの城の外観や求婚者たちが跋扈する城内の様子も興味深い。原作ではいまひとつ明瞭でなかった情景がイメージできた。
もちろん原作をデフォルメしている箇所がいくつかある。だが、映画作品が文字作品と別物なのは当然なのでさほど気にならない。映画なりの演出がなければ映画にならない。
トロイ戦争のきっかけになった絶世の美女ヘレンに黒人女優を起用しているのには驚いた。『黒いアテナ』(私は未読だが)を想起した。
トロイの木馬の造形は、従来の木馬のイメージとはかなり違っている。リアルな馬の巨大模型が海岸に半分埋まっている。幻想的な情景だ。
アテナ神が登場するのは原作通りと言えるが、現実の普通の女性に見える設定がユニークかもしれない。最初、この女性は誰だろうと思った。やがて、アテナ神だと気づいた。
『オデュセイア』はオデッセウスが艱難辛苦の末に帰郷する物語である。その艱難辛苦の原因は海神ポセイドンの不興を買ったことにある。映画では、オデッセウスが策略によってトロイを滅亡させたことを艱難辛苦の原因としている。いわば、戦争犯罪に対する罰である。同時代的で面白い話になっていると思った。
赤根所長の『戦争犯罪と闘う:国際刑事裁判所は屈しない』を読んだ ― 2026年10月27日
『戦争犯罪と闘う:国際刑事裁判所は屈しない』(赤根智子/文春新書)
この新書が出たのは昨年(2025年)の6月20日、私が入手したのは今年の9月5日の第5刷だ。昨年の段階で私は、国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)についても、この著者のことも知らなかった。今年になって、トランプの制裁がメディアで取り上げられるようになって赤根智子所長を知った。不明の至りだが、本書はそんなニワカの私に有益な本だった。ICCの概要や、その置かれている現状を把握できた。同時に国際法というものの難しさ感じた。
ICCはオランダのハーグにあり、職員は千人前後、裁判官は18名、発足したのは2002年だ。同じハーグにあるICJ(国際司法裁判所:International Court of Justice)とは異なる。国連の機関であるICJは「国家間の紛争」を扱うがICCは戦争犯罪に関わった個人を裁く。
ICCのメンバーはローマ規程の締約国であり、現在125カ国だ。アメリカ、ロシア、中国、イスラエルなどは非締約国である。非締約国のプーチンやネタニヤフへ逮捕状が出せるのは、締約国の付託や検察官の自己発意で捜査が開始できるからだ。
ちょっと驚いたのは、ICCのルーツがニュルンベルク裁判、東京裁判にあるということだ。あの裁判の当否はともかく、「平和に対する犯罪」「戦争犯罪」「人道に対する犯罪」の名目で個人を裁いた裁判だった。
ICCが対象とする犯罪は「ジェノサイド犯罪」「人道に対する犯罪」「戦争犯罪」「侵略犯罪」の4種類に限定されているそうだ。
2002年になってICCが発足したのは、ソ連崩壊や冷戦終結の1990年代、多くの国が足並みをそろえて世界的規模で機能する刑事裁判所をつくろうという機運が高まったからだそうだ。著者は次のように述べている。
「現在の国際情勢では、おそらく同じことはできないでしょう。だからこそ、歴史の狭間で幸運にも誕生することができたICCという存在を、大切に守っていかなくてはならないと思います。」
ICCを十全に機能させるのは容易でない。だが、著者は本書においてICCの必要性を説得的に語っている。「ジャングルの掟」の21世紀に「法の支配」を浸透させるのが困難なのは自明だが、人は無法地帯に安住できるわけではない。
この新書が出たのは昨年(2025年)の6月20日、私が入手したのは今年の9月5日の第5刷だ。昨年の段階で私は、国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)についても、この著者のことも知らなかった。今年になって、トランプの制裁がメディアで取り上げられるようになって赤根智子所長を知った。不明の至りだが、本書はそんなニワカの私に有益な本だった。ICCの概要や、その置かれている現状を把握できた。同時に国際法というものの難しさ感じた。
ICCはオランダのハーグにあり、職員は千人前後、裁判官は18名、発足したのは2002年だ。同じハーグにあるICJ(国際司法裁判所:International Court of Justice)とは異なる。国連の機関であるICJは「国家間の紛争」を扱うがICCは戦争犯罪に関わった個人を裁く。
ICCのメンバーはローマ規程の締約国であり、現在125カ国だ。アメリカ、ロシア、中国、イスラエルなどは非締約国である。非締約国のプーチンやネタニヤフへ逮捕状が出せるのは、締約国の付託や検察官の自己発意で捜査が開始できるからだ。
ちょっと驚いたのは、ICCのルーツがニュルンベルク裁判、東京裁判にあるということだ。あの裁判の当否はともかく、「平和に対する犯罪」「戦争犯罪」「人道に対する犯罪」の名目で個人を裁いた裁判だった。
ICCが対象とする犯罪は「ジェノサイド犯罪」「人道に対する犯罪」「戦争犯罪」「侵略犯罪」の4種類に限定されているそうだ。
2002年になってICCが発足したのは、ソ連崩壊や冷戦終結の1990年代、多くの国が足並みをそろえて世界的規模で機能する刑事裁判所をつくろうという機運が高まったからだそうだ。著者は次のように述べている。
「現在の国際情勢では、おそらく同じことはできないでしょう。だからこそ、歴史の狭間で幸運にも誕生することができたICCという存在を、大切に守っていかなくてはならないと思います。」
ICCを十全に機能させるのは容易でない。だが、著者は本書においてICCの必要性を説得的に語っている。「ジャングルの掟」の21世紀に「法の支配」を浸透させるのが困難なのは自明だが、人は無法地帯に安住できるわけではない。
追悼・村上龍 ― 2026年10月26日
村上龍の訃報にはとても驚いた。私より4歳若い同時代作家だった。後期高齢者になれば、自分より若い人の訃報に接することは少なくないが、やはり暗然とする。
村上龍のデビューは鮮烈だった。芥川賞受賞前から注目を浴びていた。群像新人賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』がメディアで話題になり、普段は文芸誌など手にしない私も『群像 1976年6月号』を購入した。社会人3年目だった。この作品で村上龍は芥川賞を受賞し、スター作家になる。
その後、主な作品は読んできた(全部ではない)。いつ頃からか、ダブル村上と呼ばれる時代になる。私は「春樹」よりは「龍」が好みだ。骨太で面白い。書架の村上作品を眺めながら、その作品世界に思いを馳せた。
一番印象深いのは『愛と幻想のファシズム』である。『半島を出でよ』も迫力があった。
いま思うと、『愛と幻想のファシズム』は現代のフェイク動画を先取りしていたし、『オールド・テロリスト』はドローンが主戦力となる戦闘を先取りしていた。と言っても、村上龍はSF作家とは言い難く、技術の先見性を作品に取り入れる手際はどうでもいい気がする。時代や世界と格闘するパッションが魅力の作家だった。「小」説を経由して「大」説を望見する作家だったように思える。
だが、晩年(いまや、そう言わざる得ない)の『MISSING 失われているもの』や『ユーチューバー』では、作風が変化していた。いずれ、作品を読み返し、わが同時代作家・村上龍とは何者だったかを考えてみたいと思う。いつになるか、わからないが。
村上龍のデビューは鮮烈だった。芥川賞受賞前から注目を浴びていた。群像新人賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』がメディアで話題になり、普段は文芸誌など手にしない私も『群像 1976年6月号』を購入した。社会人3年目だった。この作品で村上龍は芥川賞を受賞し、スター作家になる。
その後、主な作品は読んできた(全部ではない)。いつ頃からか、ダブル村上と呼ばれる時代になる。私は「春樹」よりは「龍」が好みだ。骨太で面白い。書架の村上作品を眺めながら、その作品世界に思いを馳せた。
一番印象深いのは『愛と幻想のファシズム』である。『半島を出でよ』も迫力があった。
いま思うと、『愛と幻想のファシズム』は現代のフェイク動画を先取りしていたし、『オールド・テロリスト』はドローンが主戦力となる戦闘を先取りしていた。と言っても、村上龍はSF作家とは言い難く、技術の先見性を作品に取り入れる手際はどうでもいい気がする。時代や世界と格闘するパッションが魅力の作家だった。「小」説を経由して「大」説を望見する作家だったように思える。
だが、晩年(いまや、そう言わざる得ない)の『MISSING 失われているもの』や『ユーチューバー』では、作風が変化していた。いずれ、作品を読み返し、わが同時代作家・村上龍とは何者だったかを考えてみたいと思う。いつになるか、わからないが。








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