アンティオキア千年の歴史は視点を変えた古代ローマ史 ― 2026年09月07日
かつて小アジアにあった都市アンティオキアに関する歴史書を読んだ。古書で入手して積んでいた古い翻訳書である。
『地中海都市の興亡:アンティオキア千年の歴史』(G・ダウニー/小川英雄訳/新潮選書/1986.8)
アンティオキアは前300年にセレウコス朝創始者のセレウコス1世が建設したヘレニズムの都市である。その後ローマ帝国のシリア属州の中心都市として栄え、キリスト教の五本山の一つにもなる。ビザンツ時代には、ペルシアやイスラムに占領されていた時期もある。第1回十字軍はこの都市をセルジューク朝から奪還し、アンティオキア公国とした(1098年)。現在はトルコ南部の小さな町アンタキヤである。
私が本書を読もうと思ったのは、『ローマ帝国衰亡史』(ギボン)のささやかな輪読会が十字軍のアンティオキア攻囲戦に差しかかったからである。18世紀の人ギボンは次のように書いている。
「われわれがアンティオキアの描写に際して、アレクサンドロスやアウグストゥスの後継者たちの時代の古典的な壮麗さと、トルコ人による今日の荒廃の光景の中間状況を定義することは必ずしも容易でない。」(中野好之訳)
この文章の「今日の荒廃」は18世紀のオスマン帝国による荒廃を指す。ギボンは、ヘレニズムやローマ時代の壮麗と18世紀の荒廃の中間にあたる十字軍時代のアンティオキアの姿に思いをはせている。この文章を読んで、以前に購入した本書を思い出したのである。
本書の著者は1908年生まれの米国の歴史家で、1930年代にアンティオキアの発掘にも関わっている。全12章の本書はアンティオキアを含むシリア地域のやや詳しい歴史解説である。「オリエントの麗しい冠」と題する第10章は他の章と趣が異なり、モザイク画などの発掘物を紹介している。
本書のプロローグには、18世紀にアンティオキアを訪れたフランス人画家が描いた銅版画6枚が載っている。廃墟の光景である。「それらの廃墟の絵は何世代もの旅行家や学者たちを魅了した」と解説している。ギボンも見たかもしれない廃墟の絵に感動した。
本書は前300年のアンティオキア建設から7世紀半ばまでの約千年を記述し、それ以降については「アラブ人、十字軍、トルコ人のもとにおけるアンティオキアの歴史は本書の範囲外」としている。11世紀の十字軍時代に関心のある私にはやや期待外れだ。だが、十分に面白かった。
著者が対象としているのは「ギリシア・ローマ的な都市としてのアンティオキア」であり、それはアラブ軍(イスラム)によるアンティオキア占領で終焉をむかえる。「ギリシア・ローマ的」という表現に西欧中心的な見方の匂いをかすかに感じる。アンティオキア市民は、自分たちの先祖はアテネからの入植者だという言い伝えを誇りにしていたそうだ。
山を背にした平地にあるアンティオキアは城壁で囲まれた難攻不落の都市と言われた。だが、山側の城壁が弱点だったそうだ。意外である。
本書のメインはシリア属州視点のローマ史であり、私の知らないことや失念している事項が頻出する。勉強になった。ゼノビアやユリアヌスなど興味深い人物への言及が楽しい。
キリスト教の異端とされたアリウス派や単性論の状況の説明も詳しい。シリアで単性論が根強く普及した状況が興味深い。260年、サモサタのパウロがアンティオキアの司教に選出されたとの記述に少し驚いた。かすかに記憶がある名前だ。かなり以前、7~9世紀のキリスト教の異端パウロ派について調べたことがある(これもギボンの輪読会のせいだ)。あのとき、パウロ派という名の起源の一説に3世紀のサモサタのパウロという記述があった。本書はその3世紀の人物を詳述している。パルミラの女王ゼノビアとも関連しているそうだ。ヘェーと思った。
『地中海都市の興亡:アンティオキア千年の歴史』(G・ダウニー/小川英雄訳/新潮選書/1986.8)
アンティオキアは前300年にセレウコス朝創始者のセレウコス1世が建設したヘレニズムの都市である。その後ローマ帝国のシリア属州の中心都市として栄え、キリスト教の五本山の一つにもなる。ビザンツ時代には、ペルシアやイスラムに占領されていた時期もある。第1回十字軍はこの都市をセルジューク朝から奪還し、アンティオキア公国とした(1098年)。現在はトルコ南部の小さな町アンタキヤである。
私が本書を読もうと思ったのは、『ローマ帝国衰亡史』(ギボン)のささやかな輪読会が十字軍のアンティオキア攻囲戦に差しかかったからである。18世紀の人ギボンは次のように書いている。
「われわれがアンティオキアの描写に際して、アレクサンドロスやアウグストゥスの後継者たちの時代の古典的な壮麗さと、トルコ人による今日の荒廃の光景の中間状況を定義することは必ずしも容易でない。」(中野好之訳)
この文章の「今日の荒廃」は18世紀のオスマン帝国による荒廃を指す。ギボンは、ヘレニズムやローマ時代の壮麗と18世紀の荒廃の中間にあたる十字軍時代のアンティオキアの姿に思いをはせている。この文章を読んで、以前に購入した本書を思い出したのである。
本書の著者は1908年生まれの米国の歴史家で、1930年代にアンティオキアの発掘にも関わっている。全12章の本書はアンティオキアを含むシリア地域のやや詳しい歴史解説である。「オリエントの麗しい冠」と題する第10章は他の章と趣が異なり、モザイク画などの発掘物を紹介している。
本書のプロローグには、18世紀にアンティオキアを訪れたフランス人画家が描いた銅版画6枚が載っている。廃墟の光景である。「それらの廃墟の絵は何世代もの旅行家や学者たちを魅了した」と解説している。ギボンも見たかもしれない廃墟の絵に感動した。
本書は前300年のアンティオキア建設から7世紀半ばまでの約千年を記述し、それ以降については「アラブ人、十字軍、トルコ人のもとにおけるアンティオキアの歴史は本書の範囲外」としている。11世紀の十字軍時代に関心のある私にはやや期待外れだ。だが、十分に面白かった。
著者が対象としているのは「ギリシア・ローマ的な都市としてのアンティオキア」であり、それはアラブ軍(イスラム)によるアンティオキア占領で終焉をむかえる。「ギリシア・ローマ的」という表現に西欧中心的な見方の匂いをかすかに感じる。アンティオキア市民は、自分たちの先祖はアテネからの入植者だという言い伝えを誇りにしていたそうだ。
山を背にした平地にあるアンティオキアは城壁で囲まれた難攻不落の都市と言われた。だが、山側の城壁が弱点だったそうだ。意外である。
本書のメインはシリア属州視点のローマ史であり、私の知らないことや失念している事項が頻出する。勉強になった。ゼノビアやユリアヌスなど興味深い人物への言及が楽しい。
キリスト教の異端とされたアリウス派や単性論の状況の説明も詳しい。シリアで単性論が根強く普及した状況が興味深い。260年、サモサタのパウロがアンティオキアの司教に選出されたとの記述に少し驚いた。かすかに記憶がある名前だ。かなり以前、7~9世紀のキリスト教の異端パウロ派について調べたことがある(これもギボンの輪読会のせいだ)。あのとき、パウロ派という名の起源の一説に3世紀のサモサタのパウロという記述があった。本書はその3世紀の人物を詳述している。パルミラの女王ゼノビアとも関連しているそうだ。ヘェーと思った。

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