別役実の『不思議の国のアリス』でウクライナを連想2022年02月27日

 下北沢のザ・スズナリで別役実の『不思議の国のアリス』(演出・振付:スズキ拓朗、出演:紅日毬子、イワヲ、他、プロデューサー:流山児祥)を観た。

 砂漠のテントで暮らすサーカス一家の不思議な話である。リアリズムの演劇ではないが重層的な物語を秘めた緊張と滑稽の夢幻世界が展開される。初演は1970年、別役実の第二戯曲集『不思議の国のアリス』のタイトル作品である。

 私は戯曲は読んだが、舞台を観るのは今回が初めてだ。さまざまな工夫をこらした華麗な舞台に魅せられた。

 チラシに「演出」ではなく「演出・振付」となっているのが不思議だった。戯曲を読む限りでは舞踏の要素はない。開幕は出演者全員が登場するコミカルなダンスである。この戯曲は冒頭に作者の難解なまえがきがある。幕開けのダンスは、冒頭のまえがきやト書きを織り込んだミュージカルのようだった。こんな調子で進行するのかと思ったが、基本的には戯曲に忠実な舞台だった。ダンスを交えたテンポのいい芝居である。

 ダンスの後の冒頭の科白でドキッとした。

 父 (新聞を見ながら)おや、戦争があった。
 母 (あまり気にとめず)何処です?
 父 遠いよ。別の砂漠の話さ。(…)

 今回のウクライナ侵攻を連想してしまう。私は観劇の1週間ほど前に戯曲を再読したので、この科白を承知していたはずだが、舞台を観て初めてウクライナが浮かんだ。

 この芝居は、砂漠から独立した共和国に王政が復活し、即位した女王(キャロルのアリスのあの「女王」である)の命令によって、サーカスのピエロである父が「喜劇役者」である故に逮捕・処刑される話である。夢か現か定かでない「不思議の国」の物語であり、現実世界のパロディではない。

 にもかかわらず、夢幻的な舞台を眺めながら、21世紀の現実世界で進行している戦争がもたらす幻影が舞台の夢幻に時たま重なって見えた。

本村凌二氏の新刊『テルマエと浮世風呂』は楽しい2022年02月25日

『テルマエと浮世風呂:古代ローマと大江戸日本の比較史』(本村凌二/NHK出版新書)
 ローマ史研究者・本村凌二氏は一般向け解説書を多く書いている。その何冊かを私は愛読している。洒脱で読みやすいからだ。本村氏の新刊新書が出たので早速読んだ。

 『テルマエと浮世風呂:古代ローマと大江戸日本の比較史』(本村凌二/NHK出版新書)

 古代ローマ人は江戸の日本人に似ていると語る歴史エッセイである。意表をつく発想だ。こじつけに思える箇所もあるが、雑談的な話題を超えた社会史的なアプローチのようだ。古代ローマの社会を実感できると同時に江戸時代の勉強にもなる。

 「ローマの水道橋と江戸の玉川上水」「ローマの剣闘士競技・戦車競走と江戸の花火・歌舞伎」「ローマの父祖の遺風と武士道」「アッピア街道と東海道」「ワインと日本酒」など多岐に渡る事項を俎上に、ローマと江戸の共通点を指摘すると同時に違いにも言及している。

 古代ローマの比較対象に江戸を選んだのは「前近代社会でローマの平和と繁栄に近づき得たのは、江戸時代の日本以外にあり得ない」と著者が考えたからである。キリスト教以前の多神教のローマは宗教的にも江戸と似ているようだ。一つの発見だと思う。

 千年以上の隔たりがある古代ローマと江戸時代が似ているのが不思議ではあるが、人間の社会はいつの時代も似たようなことをくり返してきたとも言える。

 本書が描くローマと江戸は、平和と繁栄がもたらした粋でハッピーな文化空間である。それを指摘する著者自身が、ローマや江戸の住人に重なる。本村氏は競馬と石原裕次郎と酒を愛でる学者だ。ローマと江戸に遊んでいる気分になる本である。

【無粋な蛇足】著者は本書で「参勤交代に諸大名の財力を削ぐ狙いがあった」「大井川の架橋は禁じられていた」と述べている。私もそう習った記憶がある。だが、現在の教科書ではこれらは否定されていると『もう一つ上の日本史』という本が指摘していた。

『史記』の入門書2冊2022年02月23日

『史記(ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)』(福島正/角川ソフィア文庫)、『現代語訳 史記』(大木康/ちくま新書)
 『史記』(貝塚茂樹)『司馬遷 史記の世界』(武田泰淳)で『史記』の表面を撫で、多少の関心を抱いて書店の棚を漫然と物色した。岩波文庫やちくま文庫の数巻に及ぶ『史記』本体をパラパラめくってみたが、やはり挑戦の意欲はわかない。

 そして、「角川ソフィア文庫」と「ちくま新書」のやさしそうな2冊を見つけた。どちらか1冊を読もうと思案し、結局2冊とも購入した。

 『史記(ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)』(福島正/角川ソフィア文庫)
 『現代語訳 史記』(大木康/ちくま新書)

 どちらも短時間で読了できる読みやすい本である。

 角川ソフィア文庫の『史記』は学習参考書のような構成になっている。まずはじめに特大活字の「読み下し」があり、小活字の「漢文」、大活字の訳文と続く。その後が本文の解説である。隋所にコラムも挿入されいて、わかりやすくて楽しい。

 取り上げている原文は多くはないが、有名なサワリがいくつもある。登場する人物は伍子胥、信陵君(魏公子)、趙高、李斯、陳勝、呉広、項羽、劉邦などである。「鴻門の会」をやや詳しく紹介し、四面楚歌の「項羽の死」で終幕になる。半世紀以上昔の高校時代の漢文の授業をかすかに思い出した。

 ちくま新書の『現代語訳 史記』は人物を「帝王」「英雄」「輔弼の臣下」「道化・名君・文学者」「刺客・反乱者」に分けて紹介している。登場人物は20人になる。「解説文と訳文」をくり返す構成で楽に読み進めることができた。本書の前に読んだ何冊かの概説書のおかげで、大半の人物と逸話が既知になっていたから読みやすかったとも言える。

 入門書を読んでも、未だ『史記』の門前に佇んだままの気分ではあるが、『史記』は物語性のある史書だと感じた。

シルクロード史は中国史の補完になる2022年02月21日

『シルクロードの文化と日本』(長澤和俊/雄山閣/1983.12
 『張騫とシルクロード』に続いて、同じ著者の次の本を読んだ。

 『シルクロードの文化と日本』(長澤和俊/雄山閣/1983.12)

 約40年前の1980年代初頭からNHKが放映した大型番組『シルクロード』はシルクロード・ブームを引き起こした。長澤和俊(2019年没、享年90歳)はこの番組の委員を務めたシルクロード研究者だ。本書はテレビ番組がきっかけで執筆したそうだ。

 タイトルが示しているように、シルクロードが日本文化にどのような影響を与えているかを概説した書だが、シルクロード全般の解説が叙述のメインである。それをふまえて日本文化への影響を考察している。

 シルクロードを大きく捉えると「草原の道」「オアシスの道」「海上の道」となり、それが栄えた時代は概ねこの順番になる。本書はそのすべてを概説しているが、最も詳細に述べているのは「オアシスの道」であり、それは西域史でもある。

 直前に読んだ『張騫とシルクロード』が漢の時代までの西域史だったが、本書は魏晋南北朝から隋唐に至る時代の西域をかなり詳しく解説していて、中国史の補完になる。

 イスラムの台頭によるササン朝の滅亡が、長安の西域ブームに大きく寄与しているとの指摘に、世界史のダイナミズムを感じた。本書ではソグド商人をかなり詳しく取り上げている。私がソグド人を知ったのは比較的最近だが、40年近く前の一般向け概説書に明解な解説があったのだ。あらてめて自分が勉強不足だったと感じた。

 日本文化へのシルクロードの影響というテーマは茫漠としていて大きい。著者は、江上波夫の「日本古代王朝=騎馬民族説」の検討をふまえて、天皇家による古代日本国家の成立こそが、シルクロード(草原の道)が日本文化におよぼした最初の文化的影響だと述べている。壮大な影響であり、シルクロードが歴史そのものに思えてくる。

張騫は司馬遷の親の世代の人2022年02月19日

『張騫とシルクロード』(長沢和俊/清水書院)
 中国史の本を続けて読んでいて、積ん読になっていた次の本も読んだ。

 『張騫とシルクロード』(長沢和俊/清水書院)

 前半は張騫の伝記、後半は張騫が開いたシルクロード概説だ。漢の時代のシルクロードがメインで、最盛期の唐までは射程に入れていない。4世紀頃までの西域史である。

 最近読んだ中国古代史の概説書で前漢・新・後漢の姿が多少はくっきりしてきたが、漢人中心の歴史概説だから北方や西方の様子がぼやける。本書は匈奴や鮮卑の動向を描く西域史で、中国古代史を補完できた。

 張騫は前漢・武帝の時代の人である。司馬遷も武帝の時代だ。二人とも正確な生年は不明だが、張騫は司馬遷より一世代ほど上のようだ。張騫が西域へ旅立ったのは、おそらく司馬遷が生まれた頃で、『史記』執筆時にはすでに張騫は没している。張騫の事績は司馬遷の『史記・大宛列伝』によって後世に伝わっている。

 千年を越える太古以降の歴史を描いた『史記』が、伝説も含めた過去の記録の集成であると同時に、司馬遷が生きた同時代史でもあると気づいた。スゴイと思う。

 張騫は武帝の命で、対・匈奴の連衡交渉のため大月氏(ソグディアナ)へ旅立つ。往路で匈奴の虜囚として十年、帰路でも匈奴の虜囚として1年余りを過ごし、13年にわたる旅になった。百余人で出発して帰ってきたのは二人、ただし虜囚時代に得た匈奴の妻も同行していた。著者の次の記述が印象深い。

 「張騫は身体は大きく、その性格は寛大で人を信じ、その性格は蛮夷もこれを愛するほどであった。彼が胡妻をつれ帰ったということは、その温かい人となりをよく物語っている。」

 帰国後は重用されるも、いろいろあり、さらなる西域への遣使も勤める。著者は張騫を次のように総括している。

 「張騫の生涯は派手ではあるが華やかではなく。自らは報いられることあまりに少ない晩年であった。(…)彼の遣使は、直接の目的は達成できなかったものの、それから引き起こされた第二義的な影響は、また実に大きかった。(…)やがて西域、とくに西トルキスタン諸国との、はなやかな東西交易が開花してゆくのである。」

 現在、張騫は切手になり、世界遺産シルクロードの起点に銅像が立っているそうだ。

半世紀ぶりに読了した『司馬遷 史記の世界』は気迫の作品2022年02月17日

『司馬遷 史記の世界』(武田泰淳/講談社)
 貝塚茂樹の『史記』(中公新書)で、冒頭の司馬遷の手紙の部分を読んでいて、かすかなデジャブがわいた。やがて、それが武田泰淳だと思い至った。

 若い頃、武田泰淳の小説何編かを興味深く読んだ。彼の重要作品が『司馬遷 史記の世界』だと知り、入手して読み始めたが、あえなく挫折した。冒頭の印象深いフレーズ「司馬遷は生き恥をさらした男である」だけが半世紀を経ても残っている。

 貝塚茂樹が冒頭で紹介した「手紙」は、武田泰淳も冒頭で引用していた。そんな記憶が少しよみがえり、書架の奥から探し出した古い本に、あらためてチャレンジした。

 『司馬遷 史記の世界』(武田泰淳/講談社)

 本書には自序が六つ載っている。初版刊行は著者31歳の戦時中だ。後に何度も改版され、そのつど自序を追加している。自序の日付を古い順に示すと「昭和17年12月」「昭和23年6月末日」「昭和27年6月16日」「昭和34年1月10日」「昭和35年12月」「1965年」となる。読み継がれる名著の証だと思う。

 半世紀ぶりに手にした本書、今回は何とか読了した。事前に多少ながらも史記のサワリに触れていたので興味が持続し、読み進めることができた。かなり難儀だった。

 「第1篇 司馬遷傳」はともかく、メインの「第2篇「史記」の世界構造」は読みやすくはない。史記が表現する世界を縦横に論じていて、史記の概要が頭に入っていないと論についていくのが難しい。

 だから、本書を理解したと言えない。だが、面白さは感じ取れた。気負った奔放な文体から、学者ではなく作家の貌が見える。何かを目指して飛翔する思考を巧みなレトリックで追いかける文章である。

 武田泰淳が史記に託して追究しているのは「世界」把握だ。歴史を時間だけでなく空間として捉え、中心と周縁のせめぎあいを、人間主体に追究する――よくはわからないが、そんな論述の書である。果敢に挑戦する若気の気迫が伝わってくる。

『史記』のサワリを撫でてみた2022年02月15日

『史記:中国古代の人びと』(貝塚茂樹/中公新書)
 中国古代史の概説書を読んでいると『史記』の重要性を感じざるを得ない。しかし私は、いまのところ『史記』に挑戦する気力はない。で、手軽そうな次の新書を読んだ。

 『史記:中国古代の人びと』(貝塚茂樹/中公新書)

 初版は1963年5月と古い。手元にあるのは2004年5月の75版だ。予想以上に面白かった。著者は「まえがき」で次のように述べている。

 〔この本は史記の抄訳、それも思いきった現代語訳であると同時に、司馬遷がぼんやりと微妙な形で表現した歴史観に近代的な照明をあたえることによって解釈をほどこそうとするものである。〕

 まさに、この宣言通りの内容だった。「思いきった現代語訳」でサワリを紹介しながら、わかりやすい解説を展開している。碩学の闊達な座談を拝聴している気分になる。

 大史令だった司馬遷は李陵の禍で宮刑(去勢で宦官にされる)に処せられる。それでも『史記』を書き続ける。本書の冒頭は、そんな司馬遷の真情を綴った「ある死刑囚にあたえる手紙」の紹介である。迫力ある内容に引き込まれた。

 司馬遷像を表す手紙の紹介に続いて、史記本文の解説になる。史記の全貌は巻末の「史記全巻名」一覧表で紹介している。全130巻(12本紀、8書、10表、30世家、70列伝)の題名のリストである。本書で扱った巻には*がついている。それは、3本紀、1表、3世家、15列伝で計22巻となる。

 どの紹介も興味深いが、商鞅・蘇秦・孟嘗君・陳勝などの話が面白い。史記は歴史に残る有名人を記述した書と思っていたが、循吏列伝・游陜列伝・貨殖列伝・酷吏列伝などでは庶民に近い人物を描いている。これらの列伝は、その題名の意味を想像するだけでも不思議な気分になる。史記には社会史や経済史の要素もあるようだ。

 本書で史記のサワリを知ったうえで巻末の全130巻のリストを眺めると、史記の大きさを多少は感得した気分になる。

『中国のあけぼの(世界の歴史3)』を読んで想起したこと2022年02月13日

『中国のあけぼの(世界の歴史3)』(貝塚茂樹/河出書房/1968.5)
 このところ、中国史を何冊か読んで頭が中国史モードになっている。この機に、未読だった古い概説書を読んだ。

 『中国のあけぼの(世界の歴史3)』(貝塚茂樹/河出書房/1968.5)

 先日読んだ『大唐帝国(世界の歴史7)』の前の時代、先史時代から漢滅亡までを扱った巻である。読んだばかりの『中華文明の誕生(中公版・世界の歴史2)』と重なるので頭に入りやすかった。

 著者は高名な貝塚茂樹となっているが、冒頭約40ページが貝塚茂樹の執筆で、大半は大島利一の執筆である。本書の河出文庫版は貝塚茂樹・大島利一共著になっている。

 春秋戦国の歴史は、やはり面白い。東西南北に散在するさまざまな小国がせめぎ合うなかで、田舎の秦が台頭して統一をはたす物語である。秦から漢へ移行する混乱期の劉邦・項羽の話も面白い。この時代が虚実不明の有名エピソードにあふれているのも面白さの一因である。漢字文化圏の故事来歴物語の趣に惹かれてしまう。

 本書刊行の1968年、中国は文化革命の最中、日本では学園闘争まっさかりだった。本書を読んでいて、ふいに故・高橋和巳を想起する場面が2ヵ所あった。

 一つは『わが心は石にあらず』だ。高橋和巳がこの長編のタイトルを中国の詩から取っているとは知っていたが、それ以上の知識はなかった。本書で「わが心は石にあらねば、転がすべからず、わが心は席(むしろ)にあらねば、巻くべからず」の引用に出会い、このタイトルの意味を誤解していたと感じた。作者が女性だと知って驚いた。

 もう一つは「党錮の禍」である。本書挟み込みの月報には京大助教授・高橋和巳の「党錮の禍」に関する解説的エッセイが載っている。本文を読む前に月報を読み、何やらゴチャゴチャした出来事だなと思った。要は宦官と反宦官官僚との争いである。本文の「党錮の禍」の箇所を読んでいて「清流」「濁流」という言葉に出会い、ハッとした。高橋和巳が『わが解体』で苦しげに述べた「清宮教授」という言葉を連想したのだ。調べてみると「清宮」「濁宮」は清末の言葉だから直接の関連はない。

 連想ついでに年譜を調べてみた。月報にエッセイを寄せた本書刊行が1968年5月、その翌年の『文芸』1969年6月号から3回にわたって『わが解体』を連載し、1970年3月に京大助教授を辞職している。逝去は1年後の1971年5月、享年39歳だった。

 本書の内容とはほとんど関係ないが、本書がきっかけでそんな昔日を思い出した。

大河ドラマの時代考証降板の呉座勇一の『頼朝と義時』2022年02月11日

『頼朝と義時:武家政権の誕生』(呉座勇一/講談社現代新書)
 NHKの大河ドラマは滅多に観ないが、先月から始まった『鎌倉殿の13人』は観ている。初回だけと思って観たのがコミカルな面白さに惹かれ、つい観続けている。鎌倉時代に特に関心はなく、さほどの知識もない。で、次の新書を読んだ。

 『頼朝と義時:武家政権の誕生』(呉座勇一/講談社現代新書)

 著者は数年前のベストセラー 『応仁の乱』 で有名な若手研究者だ。本書「あとがき」で驚いた。呉座勇一氏は『鎌倉殿の13人』の時代考証依頼がきっかけで本書を執筆、「不祥事」で時代考証を降板したそうだ。「あとがき」で次のように述べている。

 〔本書執筆の最中、私の愚行により『鎌倉殿の13人』の時代考証を降板することになった。多くの方の心を傷つけ、多くの関係者にご迷惑をかけた以上、本書の刊行を断念することも考えた。〕

 何があったのだろうと野次馬気分でネット検索した。表面的なことしかわからないが、研究者たちの狭いSNSで誹謗・イジメのようなことがあったようだ。人間社会は十年一日いや千年一日である。

 閑話休題。本書によって頼朝と義時をクローズアップする意味がわかり、あらためてこの時代の面白さを知った。貴族の世が武士の時代が変わる歴史変動の物語である。次の記述が印象的だ。

 〔源頼朝は鎌倉幕府を築いたが、頼朝の自己規制によって幕府は朝廷の下部機関に留まった。朝廷と幕府の力関係を劇的に転換させるには、もう一人の人物が必要だった。それが北条義時である。〕

 半世紀以上昔の受験勉強の頃から北条氏の執権の似たような名前に悩まされ、頭の中でゴチャゴチャしていた。本書によって義時を何とか識別できるようになった。

 だが、大河ドラマへの新たな疑念がわいた。「13人」にウエイトを置くのだろうか。有力御家人13人の合議制は、本書を読む限りではさほどの意義はない。

 むしろ気になるのは源実朝である。本書は実朝を傀儡以上に評価をしている。大河ドラマ後半の重要人物になってしかるべきだと思う。頼朝と政子の子、頼家・大姫の役者は発表されているのに、なぜか実朝が抜けている。まったくの脇役扱いになるのだろうか。かつて、太宰治・小林秀雄・吉本隆明らが魅力的に描いた実朝を三谷幸喜はあえてスルーするのか、気がかりである。

日本が開発した上陸用舟艇「大発」2022年02月09日

2009年1月、ラバウル
 先日読んだ 『暁の宇品』には陸軍船舶司令部の技術者たちが上陸用舟艇を開発する話が出てくる。従来、兵士や物資を輸送船から海岸に陸揚げするには手漕ぎの木舟を使っていた。これをエンジン付きの鉄舟に転換する開発である。

 そして大発(大発動艇)が完成し、1932年の上海事変で初めて実戦に使用される。これは「鉄製の自走舟艇を主力に使っての師団規模の上陸作戦としては世界初の成功例」として世界の軍事関係者の関心を集めた。米国海軍情報部は「日本は艦隊から海岸の攻撃要領を完全に開発した最初の大国」と認めていたそうだ。

 意外な話だった。上陸用舟艇と言えば映画「史上最大の作戦」のノルマンジー上陸の映像が頭に浮かび、やはり米国軍の装備はスゴイという印象を抱いていた。しかし、太平洋戦争開戦前の時点では日本の技術が米国を凌駕していたのだ。『暁の宇品』の著者は「このとき(1939年頃)が頂点であった」と述べている。

 大発とはどんな船だったのだろうと興味を抱き、ネット検索し、いくつかの写真を見た。そして、ハッとした。私は13年前に大発の残骸の実物を見たことがあったのだ。

 2009年1月、パプアニューギニアの ラバウルを訪問し、戦跡を巡った。戦車やゼロ戦の残骸が印象に残っている。あのとき、海岸の洞穴に残された鉄製の小さな船舶の残骸も見た。それが大発だったのだ。当時は、この船の用途も知らず「みすぼらしい船だなあ。こんな小さな船で戦っていたのか」と思った。あの船が一時は世界先端だったとは驚きである。13年前に撮影した写真を引っぱりだし、感慨を新たにした。