『ヒトラー・ユーゲント』に戦時中の古書の引用を発見2023年07月17日

『ヒトラー・ユーゲント:青年運動から戦闘組織へ』(平井正/中公新書/2001.1)
 ナチス関連の未読棚に積んでいた『ゲッベルス』を読んだの機に、一緒に積んでいた同じ著者の次の本を読んだ。

『ヒトラー・ユーゲント:青年運動から戦闘組織へ』(平井正/中公新書/2001.1)

 ヒトラー・ユーゲントにはワンゲルやボーイスカウトのイメージが重なる。そんな青少年の集団が、ナチ党の青少年組織となり、ヒトラー政権が成立してからはさまざまな青少年組織を統合した国家組織に拡大する。強制加入となり、画一化された集団は、最終段階では軍事化して戦闘に参加する。

 ヒトラー・ユーゲントと言えば、この組織を主導したシーラッハ(本書はシーラハと表記)の名が浮かぶ。名を知っているだけだったこの人物ついて、やや詳しい事柄を本書で知った。興味深い人物だ。

 シーラハは貴族出身で母はアメリカ人、ドイツ語以上に英語が達者だった。半分アメリカ人だがゲーテやシラーを尊敬、17歳のとき(1925年3月)、ヒトラーに出会って心酔する。ヒトラーの勧めでミュンヘン大学に入学、ナチ学生連盟の指導者になる。

 シーラハは青年運動への思い入れが強く、理想主義者的でもあった。1932年、25歳で念願のヒトラー・ユーゲント全国指導者の地位を得る。ヒトラー政権発足後の1936年、ヒトラー・ユーゲントは国家組織になる。この組織を統括する29歳のシーラハは、学校教育が管轄の教育相と対等に渉り合う。

 第二次大戦開始後、33歳になったシーラハは「ユーゲントはユーゲントによって指導されねばならない」という、彼自身が定めた原則によって、27歳のアクスマンに地位を譲る。彼はユーゲントの軍隊化に反対だったが、アクスマンの時代になるとユーゲントは戦場に送り込まれる。ユーゲント部隊が多くの犠牲者を出したとき、「私の最良の若者が無意味に殺された」と嘆いたそうだ。

 本書はシーラハの戦後には言及していない。ウィキペディアによれば、ニュルンベルク裁判で禁固20年の判決を受け、1966年に刑期満了で釈放、1974年に67歳で亡くなった。孫は高名な弁護士&小説家だ。

 私は3年前、戦時中に出た『ヒトラー・ユーゲント』(ヤーコプ・ザール/高橋健二)という古書を入手して読んだ。キワモノ本と思っていたが、本書はこの本に言及している。この本には、シーラハの後継者アクスマンの序文が載っている。著者は、ユーゲント軍隊化の証左として、この序文の一部を紹介している。

 著者は、この古書を「ヤーコブ・ザール著、高橋健二訳」としている。これは間違いだ。高橋健二は多くの翻訳を残した高名な独文学者だが、この本に関しては訳者ではなく共著者である。