半世紀以上前に読みかけた『古代への情熱』をやっと読了2023年07月27日

『古代への情熱:シュリーマン自伝』(シュリーマン、村田数之亮訳/岩波文庫)
 シュリーマンの幕末日本レポートを読了すると、『古代への情熱』が気がかりになった。半世紀以上昔の学生時代に読みかけたが、読了していない気がする。書架から古い岩波文庫を探し出し、気張ってほぼ1日で読了した。

 『古代への情熱:シュリーマン自伝』(シュリーマン、村田数之亮訳/岩波文庫)

 前半の自伝部分は面白いが、後半の発掘談はホメロスやギリシア史への関心が薄い人間には読みにくい。学生時代の私が途中で投げ出した気持がわかる。

 表題に「自伝」とあるが、正確には自伝ではない。シュリーマンの死後、夫人の依頼で知人がまとめた伝記である。シュリーマンの著者からの引用が多い。「第1章 少年時代と商人時代」の大半は「私は…」という語りの引用なので自伝に近い。終章ではシュリーマン急死の情景を描いている。本人の葬儀までを描いた自伝はない。

 ホメロスに親しんだ少年時代にトロヤの実在を確信、その発掘を決意し、紆余曲折の末に少年時代の夢を実現する――よくできた物語であり、確かに面白い。晩年に振り返った人生の記録に、多少の脚色や自己肯定・自己宣伝が混ざるのが当然としても、シュリーマンの勤勉と実行力に感服した。

 シュリーマンの成果は同時代の学者から批判されることもあり、本書はそんな批判への対応も語っている。訳者の村田数之亮(歴史学者)は、巻末の「あとがき」で今日(この文庫本の1刷は1954年)の評価を次のように述べている。

 「非難と賞賛とがはげしくいりまじった彼の学問的成功は、今日ではほぼ定まったといってよい。その方法の上では粗雑であり、推理にも目標の設定にも科学性を欠いている。彼はホメロスのトロヤという理念にかられて、それを発見するという衝動のままに、がむしゃらに掘った。(…)そのために多くのものを破壊した濫掘と、ことに彼の空想的な解釈は、専門学者からその成功を無価値なものとされた理由である。」

 と述べつつ、後段では次のように総括している。

 「シュリーマンはこれまで何人も想像しなかった二つの大文明、トロヤ文明とミケネ文明を発見した。考古学者としてこのような幸運をもった者はかつていないし、今後もないであろう。ギリシア史だけでなく、世界の歴史に新らしい章ないし節を加えた彼の業績は不滅である。」

 数年前、村田数之亮のギリシア史概説書(1968年刊行)を読んだことがある。この概説書のシュリーマンへの言及を確認してみると、批判的な言説はなく、「夢を掘りあてた人」と紹介し、高く評価していた。