挿絵満載の『痴愚神礼賛』は面白い2023年04月23日

『痴愚神礼賛』(エラスムス/沓掛良彦訳/中公文庫)
 16世紀宗教改革に関する文章を読んでいてエラスムスへの興味がわいた。で、次の代表作を入手・読了した。

 『痴愚神礼賛』(エラスムス/沓掛良彦訳/中公文庫)

 エラスムスは16世紀最大の人文主義者と言われている。カトリックの腐敗を風刺した本書が起爆剤となってルターの宗教改革が始まった。だが、過激な宗教改革に批判的だったエラスムスはカトリックから離れない。新旧両派から非難されて孤立する。面白い立ち位置だ。

 本書を読もうと思ったのは、エラスムスが1週間足らずで一気に本書を書き上げたと知ったからだ。短期間で書いたものなら短期間で読めそうだ、と勝手に思い込んだのだ。古典と言っても風刺文学なら読みやすかろうとも予感した。

 ラテン語原典訳の本書、本体部分は約200頁、注が約100頁である。注を頻繁に参照しながらの読書はわずらわしい。だが、ギリシア・ローマの神話や古典を踏まえた表現が多いので、読み進めるには注が頼りになった。

 本書は痴愚神が聴衆に演説する形の一人称で書かれている。痴愚神とは「痴愚というめぐみ」を人々にわけへだてなく与える女神である。『痴愚神礼賛』とは痴愚女神の自画自賛の長広舌である。かなり愉快な演説だ。

 本文には16世紀原典の図版と思しき挿絵が80点以上載っていて、これを眺めるだけでも楽しい。なかには意味不明の絵もある。だが、巻末にすべての図版のタイトルがあり、それを参照するとほぼ理解できる。

 痴愚女神の自画自賛の大半は「愚かな者は幸せである」という主旨であり、的を射てる点もあって面白い。後段になって修道士、教皇、枢機卿らの愚かさあげつらう。この箇所が宗教改革の契機になったのかと納得できる。終盤は痴愚や狂気に関するキリスト教談義になり、エラスムス自身が語っている趣になる。締めくくりでは再び痴愚女神の口調になって降壇する。

 宗教改革の歴史を読んでいると、ルター派やカルヴァン派には現代のタリバンやISに似た過剰な原理主義も感じる。また、宗教改革の背景には宗教とは別次元の勢力争いもあったようだ。改革派対守旧派という単純な構図ではないのだ。

 書斎人だったエラスムスは戦争を否定する平和主義者で、教会の分裂や宗教戦争を望んでいなかった。ルターが自分を尊敬していると知り、ルターを支援しようともするが、その過激化にはついて行けず訣別する。『痴愚神礼賛』で自身を揶揄された教皇(レオ10世)は本書を読んで笑い転げたそうだが、カトリック側からもエラスムスは不逞の人物とみなされ、著書は禁書にされる。

 エラスムスについて知ると「宗教は強し、理性は弱し」という苦い感慨がわく。

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