『砂の女』を舞台化した『砂女』を観た2021年07月29日

 せんがわ劇場で、うずめ劇場公演『砂女』(原作:安部公房、演出:ペーター・ゲスナー、上演台本:うずめ劇場)を観た。安部公房の『砂の女』の舞台化である。

 安部公房は私が学生時代に最も入れ込んでいた作家である。仙川は安部公房ゆかりの地で、わが家からも近い。ぜひこの芝居を観たいと思ったが、7月28日と29日の二日だけの公演で、私は両日とも所用が入っていた。残念に思いつつパンフをよく見ると、公演前日の27日夜に公開ゲネプロとあり、それを申し込んだが満席だった。だが、キャンセルが出たら連絡がほしいとメールした直後にキャンセルが出たとの返信があり、何とかゲネプロを観ることができた。

 うずめ劇場という劇団を今回初めて知った。30年前から日本に在住しているドイツ出身の演出家ペーター・ゲスナーが1995年に設立したそうだ。

 この芝居は随所にプロジェクターを駆使した演出があり、冒頭はzoom風の分割画面の投影だ。失踪者の妻や同僚など複数の人物が画面の中で失踪事件についてアレコレしゃべりまくる。『砂の女』は1962年刊行の小説だが、芝居『砂女』には現代的要素を盛り込んでいると思わせる仕掛けだ。プロジェクターが投影する映像は幻覚的な幾何学模様の乱舞も多く、安部公房世界のイメージを効果的に表現している。

 あの小説の最終ページは失踪を宣告する文書で、その日付は「昭和37年10月5日」だった。芝居のラストで投影されるこの文書の日付は「令和10年」になっていた。失踪宣告は失踪から7年後らしいので、失踪事件発生を現代(令和3年)に設定している。主人公がスマホを取り出す場面もある。

 そのような設定にもかかわらず、この芝居は意外なほどに原作に忠実である。だから、半世紀以上昔の情景と現代がミックスした奇妙な感覚にとらわれる。『砂の女』は風俗小説ではなく暗喩小説だから時代設定にこだわる必要はないのだが、役者の衣装や小道具が昔風にリアルなのでタイムスリップ気分になってしまう。主人公が迷い込んだ村はある種の異世界だから芝居ではもっと異世界風にしつらえにしてもいのでは、とも思えた。