NHKドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観た2020年07月24日

松本清張の『眩人』を読んだのを機に天平時代や遣唐使への興味がわき、次のテレビドラマをオンデマンドで観た。

 『大仏開眼』(作:池端俊策)

 10年前にNHKで放映されたドラマで、前編・後編合わせて3時間だった。吉備真備を主人公にした話で、主な出演者は以下の通りだ。

 下道真備→吉備真備:吉岡秀隆
 阿倍内親王→孝謙天皇:石原さとみ
 藤原仲麻呂:高橋克典
 玄昉:市川亀治郎(現在の猿之助)
 葛城王→橘諸兄:草刈正雄
 聖武天皇:國村隼
 光明皇后:浅野温子
 行基:笈田ヨシ

 活字で名前のみ認識している歴史上の人物が、俳優の演じる映像で目の前に現れるのは、かなり楽しい体験である。おぼろだった人物像が映像によって鮮明になったりもする。もちろん、自分のイメージとは違うと感じることもある。このドラマでは、ヒーローとヒロインの下道真備と阿倍内親王は「違うな」と感じた。ヒーロー・ヒロインは美化しなければならないので仕方ないとも思う。藤原仲麻呂、聖武天皇、光明皇后などは「なるほど」というイメージで、玄昉はピッタリだと思った。

 このドラマで私が惹かれたのは、朱雀門などの平城京や造営中の大仏、大仏開眼会などを迫力あるリアルな映像で表現している点である。貴族たちの衣装や館、疲弊した庶民のさまも絵になっている。タイムマシンで平城京を訪問した気分になり、それだけで十分に満足した。このドラマの時代考証は、岩波新書『遣唐使』の著者・東野治之氏である。

 ドラマは吉備真備と玄昉が唐から帰国する場面から始まり、仲麻呂の乱で終わる。史実をベースにしているとは言え「吉備真備 vs 藤原仲麻呂」という構成に単純化したドラマに仕立てている。ヒーロー・ヒロインを際立たせるためか、道鏡は登場しない。

 3時間のドラマとしては、かなりの事項を盛り込んでいて、省略は仕方ないにしても、これでいいかと思う。ただ、このドラマで美化されている吉備真備像がどこまで史実を反映しているか、少し気になった。フィクションと割り切ればいいのだが、吉備真備が気がかりな人物になってしまった。

井上靖の『天平の甍』を初読2020年07月26日

『天平の甍』(井上靖/新潮文庫)
 天平時代や遣唐使への関心が高まり、テレビドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観ていて、ふと気づいた。井上靖の高名な『天平の甍』を未読だと。

 井上靖の小説は、中学時代に『あすなろ物語』で甘酸っぱく感動し、高校時代には古典の教師に『異域の人』を勧められて読み、同時に『蒼き狼』も読んだ。その頃、『天平の甍』も読まねばと思ったが、未読のまま時は流れ、いつしか井上靖は私の関心外の作家になった。

 久々に『天平の甍』を思い出し、駅前の書店へ行くと、この小説は文庫本の棚に健在だった。さっそく購入して読んだ。

 『天平の甍』(井上靖/新潮文庫)

 鑑真(本書では「鑒真」と表記)を招聘した遣唐使の僧たちの苦闘物語である。頭が天平モードなので面白く読了できた。読んだばかりの『遣唐使』(東野治之/岩波新書)とは、些細な史実の食い違いがある。この小説の刊行は1957年(私は小学3年だ)だから、その後、歴史研究が進展したのかもしれない。単なる解釈の違いとも考えられる。小説だから、どうでもいいのだが……。

 この小説は、大雑把い言えば、天平5年(733年)の遣唐使として唐に渡った僧・普照が、天平勝宝4年(752年)の遣唐使の帰国船で鑑真を連れて帰国するまでの約20年間の物語である。遣唐使は十数年ごとにしか派遣されないので、天平5年(733年)の次が天平勝宝4年(752年)である。

 遣唐使で派遣された人々の生還率は6割ぐらいだそうだ。遭難が多かったからである。滞在十数年になる留学生や留学僧には客死する人や帰国を断念する者も少なくなかった。

 この小説は、天平5年(733年)の遣唐使船に乗った4人の留学僧を巡る話で、次の遣唐使船で帰国できたのは一人(普照)だけである。留学僧たちの要請に応えて訪日を決断した鑑真は次の遣唐使を待っていたのではない。自ら手配した船で何度かの渡海を試みるがすべて失敗し、最終的には次回の遣唐使船で訪日を果たすのである。

 私が興味深く思ったのは、天平5年(733年)と天平勝宝4年(752年)の遣唐使の両方に吉備真備が関わっている点である。養老元年(717年)の遣唐使船で唐に渡った吉備真備や玄昉は、16年間の留学生活を終えて天平5年(733年)の遣唐使船で帰国する。普照たちとはすれ違いである。入国した普照は帰国する真備に会う。その場面描写は以下の通りだ。

 「普照には、真備は背の低い、穏やかな風貌を持った平凡な人物に見えた。」

 19年後、吉備真備は遣唐使副使として再び入唐する。橘諸兄のブレーンとして栄達したものの、台頭した藤原仲麻呂に疎んじられ、都から遠ざけられたのである。

 普照は19年ぶりに真備に再開するが、真備は普照を憶えていない。この場面の描写は以下の通り。

 「どこか傲岸なとことのある自尊心の強そうな気難しい老人でしかなかった。」

 普照が、高僧鑑真とともに何度も渡海を試みるも失敗した苦労話をしても、真備はまったく感動せず、嘲笑を込めて次のように語る。

 「渡れるように準備してかかれば、自然に船は海を渡るだろう。月、星、風、波、あらゆるものの力を、船が日本へ向かうように働かせなけらばならぬ。若し反対の働き方をさせていれば、いつまで経っても、船は日本へは近寄らぬだろう。」

 井上靖の描いた吉備真備はインテリ風を吹かせるイヤな奴である。

吉備真備はネズミ男だった2020年07月27日

『火の鳥:鳳凰編』(手塚治虫/COM名作コミックス/虫プロ商事)
 テレビドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観て、吉備真備が気がかりな人物になったとき、遠い昔に吉備真備が登場するマンガを読んだ記憶が甦ってきた。手塚治虫の『火の鳥』である。本棚の奥を探索し、それが『鳳凰編』だと判明した。1970年12月刊行のB5判コミッックである。半世紀ぶりに再読した。

 『火の鳥:鳳凰編』(手塚治虫/COM名作コミックス/虫プロ商事)

 大仏建立の天平時代の仏師の物語で、橘諸兄、吉備真備、良弁などの実在の人物も登場する。久々に手塚マンガを再読し、巨匠に対しては失礼な言い方になるが、やはり巧いなと感心した。

 手塚マンガは構成やストーリーがキッチリしていても、本筋とは無関係にヒョウタンツギやベレー帽の作者などが出現するアソビが挿入されるのが楽しい。1970年刊行のこの漫画にも大阪万博やサイケデリックを反映したコマがある。時代を感じさせるそんなシーンも、いま見れば貴重に思える。

 このマンガに登場する吉備真備は偉ぶった高級官僚の爺さんで、時の権力者・橘諸兄に対抗する人物で、終盤には左遷させられる。橘諸兄は真備を「なり上がりのくせに唐にいったのをハナにかけて出しゃばるからだ」などと詰る。唐から帰国した吉備真備は橘諸兄に重用されたというイメージがあるので、手塚治虫の真備像はやや意外である。

 私が面白く思ったのは、真備をネズミ男として描いているコマがあることだ。アソビのギャグ・コマだが、1970年の時点で手塚治虫が水木しげるのキャラクターを借用しているのに驚いた。かなり意識していたのだろうか。『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文藝春秋)という座談会本で手塚治虫の娘が「親子二代にわたる水木漫画への嫉妬心ですよー」と語っているのを思い出した。

 ギャグとは言え、吉備真備をネズミ男に見立てるのは秀逸で辛辣である。海外帰りの知識を武器に権力に取り入って出世し、左遷の憂き目にあってもしぶとく復活するというイメージに重なって面白い。さすが、手塚治虫である。

吉備真備に関する昨年末のビッグニュース2020年07月29日

 吉備真備に関して、昨年(2019年)12月に新発見の新聞報道があったと人から聞いた。図書館に行き、新聞縮刷版の該当記事をコピーした。2019年12月26日の朝日新聞朝刊の記事で、見出しに「吉備真備の書か 中国に墓誌」とある。

 奈良時代に遣唐使船で留学生として唐に渡った吉備真備が、唐で書いた墓誌が発見されたという記事である。唐の中級官僚の墓誌で、文章を考案したのは中国人で、筆をとったのは吉備真備らしい。末尾に「日本国朝臣備書」とあるそうだ。734年の墓誌なので、留学生・真備39歳の時の書である。

 吉備真備は歴史上の人物としてそこそこの知名度はあると思うが、彼が書いた文書は一つも残っていないそうだ。だから、この1285年前の墓誌が真備の書とすれば、初めて真備の書いたモノが確認されたことになる。確かにビッグニュースである。

 この記事には、吉備真備の簡単な紹介がある。その一部は以下の通りだ。

 「(吉備真備は)下級役人の家に生まれ、のちに唐で官僚になった阿部仲麻呂らと一緒に717年に留学生として唐に渡った。帰国後は政権内で活躍したが、左遷され、遣唐副使に任命され、再び唐に渡った。帰国後に政権中枢の右大臣まで出世し、81歳で死去した。」

 1回目の入唐は22歳、18年間の留学生暮らし、40歳で帰国して異例の出世を遂げるも左遷され、2回目の入唐は58歳から60歳、帰国後も大宰府勤めだったが、70歳で都に復帰して出世、そして81歳で没する。生還率6割の遣唐使船で2回生還、上昇下降また上昇――なかなかの人生である。

吉備真備は直接史料のない人物2020年07月31日

『吉備真備』(宮田俊彦/人物叢書/吉川弘文館)
 ‫いま、吉備真備が小さなマイブームなのだが、歴史概説書、小説、テレビドラマ、漫画では吉備真備の全体像を把めた気がしない。で、次の本を読んだ

 『吉備真備』(宮田俊彦/人物叢書/吉川弘文館)

 日本歴史学会編集の「人物叢書」の1冊である。新本で入手したが、1961年刊行のかなり古い本の新装版で、研究者の専門的著作に近い。

 本書の「はしがき」で著者は次のように述べている。

 「吉備真備については、不思議なことに直接史料が殆どない。(…)高名天下に轟く真備であるにも拘わらず、この人に関する研究が余りない。単行本も研究論文も、その数が多くない理由であろう。」

 そんな事情だと初めて知った。ネット検索しても一般向けの手頃な本が見つからなかったわけだ。本書は、数少ない間接史料を紹介しながら、先行研究者の説を検討しつつ著者の見解を述べている。史料が少ないせいで、吉備真備の生涯をたどる評伝とは言い難い。真備に関連する史料を収集整理した生涯の点描に近い。

 本書は以下の5つの章で構成されている。

  第1 真備の出自
  第2 虚往盈帰
  第3 広嗣の乱
  第4 再度の入唐
  第5 大宰府の真備
  第6 右大臣吉備真備

 第6の分量が全体の4割に近いのは史料の多寡の反映だろう。第2の「虚往盈帰(きょおうえいき)」は難しい言葉だ。広辞苑にはないし、ググっても出てこない。この章は留学生として唐に渡った真備を扱っていて、「入唐する前はカラッポで、唐に行ってよく学んで頭一杯学問を充実させて帰って来た」ということを表す言葉が虚往盈帰なのである。

 本書に引用されている史料の文章は私には難しく、十分に理解できたわけではないが、著者が描く真備像はなんとなく把めた。著者は本書の末尾で真備の生涯を5期にわけて整理している。略述すれば以下のようになる。

 第1期 誕生(695年)~22歳
  下級武官の子に生まれる。成績優秀で入唐を命ぜられる。
 第2期 23歳~41歳 留学期間
  学習は多方面に及び、帰国に際して多くの漢籍を持ち帰る。
 第3期 41歳~55歳
  官位の昇進、目覚ましい限り。
 第4期 56歳~70歳
  大宰府に左遷。57歳で遣唐副使として再び入唐、60歳で帰国。
  平城京に戻るも、すぐに大宰府。主に軍事方面に才能を発揮。
 第5期 70歳~81歳で死去(775年)
  造東大寺長官として帰京。恵美押勝の乱で軍学用兵の妙を発揮。
  参議を経て右大臣(72歳)。77歳で辞め、81歳で死去。

 真備が留学を終えて帰国してから逝去までの40年は、権力者の浮沈がくり返される激動の時代だった。権勢にあった藤原家の四子が天然痘で死去、代って橘諸兄が勢力を伸ばし、藤原広嗣が乱を起こすも敗死、やがて藤原仲麻呂が台頭し橘諸兄は力を失い、諸兄の子・奈良麻呂が仲麻呂を除こうとするも失敗、その仲麻呂(恵美押勝)も道鏡の台頭で力を失い、乱を起こして敗死、だが道鏡も没落する。そんな転変の40年間、真備は権力の中枢に近い場所で無事に生き延び、天寿をまっとうしたのである。

 真備は儒学者だが、主に軍学の才で評価されたようだ。その軍学の内容は、私にはよくわからない。詩歌の才はなかったらしい。この時代の史料として、要人が万葉集や懐風録に残した詩歌が引用されることが多い。だが、万葉集にも懐風録にも真備の作品はない。

 著者は真備の人物像を次のように推測している。

 「真面目な、文字通り穏健な人であった(…)政治家としては極めて地味であって、華々しい活動をしない。(…)功績がない、というのでは断じてなく、改革や変動には不向きな人であった(…)詩文の方にではなく、いわば実学の方に力を注いだと思われる。(…)生涯を通じての謙遜な努力家であった」

 こんな地味そうな人物は歴史小説の主人公には不向きに思える。テレビドラマ『大仏開眼』が吉備真備を主人公にしたのは、なかなかのチャレンジだったと思う。