40年前に松本清張が発表した『眩人』はソグド人の話2020年07月09日

『眩人』(松本清張/中央公論社)
 シルクロードの支配者と呼ばれたソグド人に私が関心を抱いたのは、ほんの1年半ほど前である。『シルクロードと唐帝国』(森安孝夫)、『ソグド商人の歴史』(E・ドゥ・ラ・ヴェシエール)などの関連書を読み、昨年(2019年)8月にはソグド人の故地ソグディアナを巡るタジキスタンのツアーにも参加した。

 そんな「にわか」なので、松本清張が40年も前にソグド人の登場する小説を書いていたとは知らなかった。先日、ある人から、中公文庫の『眩人』を紹介され、さっそくAMAZONで検索すると、新本はなく、古本の文庫が5000円以上なので驚いた。「日本の古本屋」を検索すると文庫本の出品はなく、単行本が800円+送料520円だった。それを注文した。

 『眩人』(松本清張/中央公論社)

 届いた本は菊判箱入り487頁のハードカバーで、平山郁夫の挿絵が34葉挿入されている。思いのほか立派な装丁なので驚いた。『中央公論』の連載(1977/2~1980/9)を単行本にしたものである。(1980年11月刊行)

 この小説は奈良時代に活躍した僧・玄昉の物語で、二部構成になっている。第一部の舞台は長安、遣唐使の留学僧として18年を唐で過ごした玄昉と胡人の商人(ソグド商人)との交流を描いている。帰国が迫った玄昉は、若い胡人を日本に連れ帰る画策をする。

 第二部は帰国した玄昉が吉備真備と組んで政権中枢に食い込んでいく話で、「李密翳の回想記」という形式になっている。李密翳とは玄昉が日本に連れて来た胡人・康許生で、玄昉が改名させたのである。魔術師を示す「眩人」はこの人物を指す。玄昉の出世の背後には「眩人」の力(西域伝来の薬草・麻薬・奇術など)があった。

 李密翳は『続日本紀』の中で名のみが言及されている来日波斯(ペルシア)人である。松本清張はその名を借りて歴史を推理するフィクションを紡いでいる。創作の人物・康許生の姓「康」はサマルカンドだから、サマルカンドを故地とするソグド人の一人である。

 この小説ではソグド人という言葉は「注」の部分で少し出てくるだけで、「胡人」という言葉が頻出する。この時代の胡人とはイラン系のソグド人を指す。小説の第一部の舞台・長安には中央アジアのエキゾチックな雰囲気があふれている。

 日本の東洋学では古くからソグド商人の研究がされてきたが、1970年代以降に中国でソグド人の墓や墓誌が発見されたのを契機にソグド研究にはずみがついた。ソグド研究が盛んになったのは21世紀になってからだそうだ。

 そう思うと、1980年の時点で松本清張が『眩人』を書いたのは凄い。先見の明である。松本清張はこの小説の前に『火の路』を書き、飛鳥時代にゾロアスター教が日本に伝来していたという説を展開している。当時としては奇異な説だが、一部の研究者からは「あの時代に、あそこまでよく書いた」と一定の評価を得ているらしい。

 『眩人』はフィクションではあるが、松本清張の歴史考察メモを小説の形で表現した作品である。アマチュアゆえの好奇心の噴出に恐れ入る。やはり偉大な作家だったと思う。