『伯爵夫人』の三島由紀夫賞受賞で時代の減速を感じた2016年07月03日

『伯爵夫人』(蓮實重/彥新潮社)、『新潮 2016年7月号』
◎炎上商法に乗せれた

 第29回三島由紀夫受賞作が元東大総長の評論家・蓮實重彥氏(80歳)の『伯爵夫人』に決まり、「受賞はうれしくない。迷惑だ」などの蓮實氏の発言が話題になった。新人賞である三島賞を80歳の老文学者に授賞するのに違和感があるとは言え、受賞者の一連の発言は「炎上商法」のようなものだ。そう思いつつまんまと乗せられて『伯爵夫人』(新潮社)を購入し、読んでしまった。

◎雑誌を買い、単行本も買った

 実は、単行本を購入する前に「三島由紀夫賞発表」と銘打った『新潮 2016年7月号』も購入した。書店の店頭で目次を眺め、選考委員たちの選評や受賞者のインタビューに加えて『伯爵夫人』の本文まで掲載されていると知り、これは買い得だと思って購入したのだ。しかし、私の早トチリだった。

 雑誌掲載の『伯爵夫人』を意外と短い小説だなと思いつつ読み進めると、それは冒頭部分だけの抜粋だった。再確認すると目次には『伯爵夫人(一部掲載)』となっている。小さい活字の「一部掲載」を見落とした私が迂闊であったが、この雑誌の発売は単行本発売の前で、件の小説は短篇だと思い込んでしまったのだ。冒頭部分を読んでしまったので、後日刊行された単行本を仕方なく買うはめになった。

◎何ともヘンな小説

 高名な評論家・蓮實重彥氏の本を、私はこれまでに読んだことがない。新聞や雑誌に掲載された文章のいくつかに接して、アクロバット的もってまわった文章に驚嘆し、その芸風に感嘆した記憶がある。

 『伯爵夫人』は何ともヘンな小説である。「なんじゃこれは」と思いつつ読了してしまった。クラシックで心地よい雰囲気で始まるが、しだいにポルノ小説まがいになっていき、とんでもない小説ではないかと思っているうちに、何とか律儀に着地する。状況に翻弄される主人公が「夢の中だからに違いない」と感得するシーンが臆面もなく繰り返されるのが面白い。

 『伯爵夫人』は主人公が異常な白日夢のような体験をする1日を描いた小説で、その日は太平洋戦争勃発の日である。「帝國・米英に戰線を布告す」という夕刊の見出しを主人公が眺めるシーンがラストだ。

 作者自身がインタビューの中で「「十二月八日」なんて、あざといといえばいかにもあざといでしょう」と述べている。正鵠を得ているだけに、読者としては、はぐらかされたような不思議な気分になる。

◎元東京外語大学長の小説も候補作

 私は小説そのものへの関心から『伯爵夫人』を手にしたわけではない。現役作家である選考委員たちが、自分たちよりかなり年長の元東大総長の小説を「新人賞」に選んだという事態に興味をもったのだ。

 『新潮 2016年7月号』によれば、今回の三島賞の候補作には、元東京外語大学長のロシア文学者・亀山郁夫氏の『新カラマーゾフの兄弟』もノミネートされている。私は昨年末『新カラマーゾフの兄弟』(上)(下)を読んでいる。これも何ともヘンな小説で、「なんじゃこれは」と思いつつ読了した。だから、三島賞の選考委員たちがこのヘンな小説をどう評価しているかにも興味があった。

 同じようにヘンな小説であっても『伯爵夫人』と『新カラマーゾフの兄弟』は全く趣向の異なる小説だ。熟れた新人の小説と青臭い新人の小説と言えるぐらいの違いがある。それにしても、功成り名を遂げた文学者が書いた小説が2編もノミネートされていて、選考委員たちはとまどっただろうと推察する。

◎年長者の作品を若い作家が選考する時代

 今回の三島賞の選考委員は辻原登氏(70歳)、高村薫氏(63歳)、川上弘美氏(58歳)、町田康氏(54歳)、平野啓一郎氏(40歳)の5名で、全員が80歳の蓮實重彥氏より若い。元東京外語大学長の亀山郁夫氏は67歳(私と同い年)だから、蓮實重彥氏よりかなり若いとは言え、選考委員の大半よりは年長だ。

 本来、青年や少年の書いた小説を大家や中堅作家が評価して授賞するのが新人文学賞だ。しかし、これからの新人文学賞は、一仕事を終えた老人が書いた小説をより若い作家たちが選考するというおかしな事態が増えてきそうな予感がする。

 これは、昔に比べて世代間の感性の違いが減少しているということでもある。親子の間の距離は昔に比べて現在の方が縮まってきていて、それは時代が減速している証左である、という社会学者の見解を聞いたことがある。一見、時代の変化は激しくなっているように感じられるが、見方を変えれれば、現代は時代が減速する停滞期に入っているようにも思える。

 蓮實重彥氏や亀山郁夫氏の小説がノミネートされ、選考委員と候補者の年齢が接近を通り越して逆転した三島賞の選評を読みながら、時代の減速を感じた。選考委員たちの選評の中では高村薫氏の見解に最も共感した。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ウサギとカメ、勝ったのどっち?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2016/07/03/8124884/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。