『ハーメルンの笛吹き男』(阿部謹也)でスリリングな読書時間2016年07月17日

『ハーメルンの笛吹き男:伝説とその世界』(阿部謹也/ちくま文庫)
◎社会史の代表的著作

 『ハーメルンの笛吹き男:伝説とその世界』(阿部謹也/ちくま文庫)を読んだ。学術的な本にしてはさほど読みにくくはなく、スリリングな読書時間を過ごした。

 本書は1974年に平凡社から刊行され、1988年にちくま文庫になっているが、私がこの本を知ったのは最近である。今年3月に読んだ『岩波講座 日本歴史(第22巻):歴史学の現在』の中に『ハーメルンの笛吹き男』に言及している論文があり、興味をもったのだ。その箇所を引用する。

 「日本の歴史学界で、歴史学革新の必要性と、それにつながるような新しい傾向の登場がはっきりと意識されるようになったのは、七六―七七年頃からだと言えそうである。一般に社会史の代表的著作とされる、阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』(七四年)、『中世を旅する人々』(七九年)、網野の『蒙古襲来』(七四年)、『無縁・公界・楽』(七八年)などは、あたかもこの時期に刊行されている。」(「社会史の成果と課題」山本幸司)

 網野善彦の名とその著作名は、まともに読んではいないものの知っていたが、それと並列に紹介されている『ハーメルンの笛吹き男』は未知だった。日本史の学者が西洋史の学者の成果を取り上げるのを面白いと思い、『ハーメルンの笛吹き男』という書名に大いに惹かれた。

◎子供の頃に読んだ余韻が残る話

 子供の頃に読んだハーメルンの笛吹き男は不思議な話で、その印象は忘れ難い。不気味な余韻がいつまでも残る話だった。『ハーメルンの笛吹き男』という書名に接し、歴史学者はあの話をどのように解釈しているのだろうかと興味がわき、本書を入手したのだ。

 冒頭の「はじめに」で少し驚いた。学術的な内容だろうと身構えて読み始めたが、研究者である著者がドイツの文書館の一室で得た啓示のような体験談から始まる。それは、古文書の中でたまたま出会った「ハーメルンの笛吹き男」という言葉によって、小学生時代に読んだ話と眼前の研究テーマが交叉して突然にひきおこされた脳内体験である。「古文書の解読と分析に多少疲労していた私の頭は、それまでの単調な仕事からの息抜きを求めてあっという間に想像の羽をひろげていった。」と著者は語っている。

 この「はじめに」を読むと、これからなにごとが始まるのだろうかというワクワクした気分になり、一気に引き込まれる。

◎ヨーロッパ中世の民衆史

 ハーメルンの笛吹き男の伝説と歴史的事実をつきあわせて、あの不思議な話の謎解きが展開されるのだろうと期待して読み進めた。しかし、私が期待したような謎解きの本ではなかった。もう少し視野の広い、ヨーロッパ中世の民衆史といった内容だった。

 導入部は素人にもわかりやすいが、途中からヨーロッパ中世の都市形成に関わるやや専門的な話になってくる。よく理解できたわけではないが、幸いにも数ヶ月前にエンタメ長編『大聖堂』やヨーロッパ中世の歴史概説書を読んでいたので、そこらあたりも何とか興味を維持して読み進めることができた。

 そして中盤、ハーメルンの笛吹き男の伝説の背後にある歴史的事実を追求していく展開はスリリングで息もつかせない。この段でヨーロッパ中世の下層民や遍歴芸人のありさまがかなり詳しく描かれていて迫力がある。これが「新しい社会史」と言われた所以かと思いながら読んだ。

◎伝説の形成と変貌を解明するのは面白い

 後段では伝説がいかに形成され変貌していくかを述べている。遠い昔の出来事が幾代も語り継がれてきた伝説は、その語り手が生きた時代の状況を反映し、さまざな形に変貌していく。その通りだと思うが、その変貌のひとつひとつを解明していくのは容易ではない。

 本書でその実例を知り、あらためて興味深いテーマだと思った。以下の指摘も深い。

 「歴史的分析を史実の探索という方向で精緻に行なえば行なうほど、伝説はその固有の生命を失う結果になる。伝説を民衆精神の発露として讃えれば政治的に利用されてしまい、課題意識や使命感に燃えて伝説研究を行なえば民衆教化の道具となり、はてはピエロとなる。民衆伝説の研究にははじめからこのような難問がつきまとっているのだ。」