筒井康隆さんの『日本SFの幼年期を語ろう』を聞いた2014年11月24日

 『日本SFの幼年期を語ろう』というタイトルの筒井康隆さんのトークイベントに行った。出版芸術社から刊行される『筒井康隆コレクション』(全7巻)の発刊記念のイベントで、この叢書の編者である日下三蔵さんが聞き手である。

 筒井作品の初期からのファンで、かつてはSF少年だった私には魅力的なテーマだ。筒井康隆さんがデビューしてから売れっ子になるまで、年代は1960年頃から1969頃まで、つまりは1960年代、私の青春とも重なる懐かしき時代の話だった。筒井康隆さんのエッセイや日記などで知っている事柄でも、あらためて作家の肉声で聞くと微妙なニュアンスが伝わってきて興味深かった。

 処女長編『48億の妄想』(1965年12月)についての筒井さんの言及が面白かった。ご本人が久々に読み返してみて、現代を予見したあまりに出来のいい傑作なので驚いたそうだ。『48億の妄想』は『筒井康隆コレクション』の第1巻に収録されていて、その「あとがき」でも「まるで自分が書いたのではないような気分にさせられた。自分で言うのもおかしいが、実にスマートな作品ではないか」と驚きの弁が述べられている。

 私が新刊『48億の妄想』を読んだのは高校生の時だ。読み始めると巻をおくことができず、ひと晩で読了し、傑作だと確信した。その後、この小説に書かれた内容に現実が近づいていく気分を何度か味わい、あれはやはり傑作だとの思いを新たにすることをくり返してきた。だから、筒井康隆さんのトークを聞きながら「筒井さん、今頃になってやっと傑作だと気づいたのですか」とツッコみたくなった。しかし考えてみれば、ステージの筒井さんは読者サービスで驚きを演じていたのかもしれない。

 『48億の妄想』に関してよみがえってきた記憶がある。私は大学卒業後、新聞社の広告局に就職した。入社2年目には新たな新入社員が配属され後輩ができる。その一人のK君は新聞よりテレビが好きで、新聞社には腰かけのつもりで入社し、テレビ業界をめざしていた。それを知った私は「テレビに行くなら筒井康隆の『48億の妄想』は読んだか」と訊ねた。読んでいないとのことなので、さっそく貸与した。数日後に感想を訊ねると「まだ、途中です」との返事だった。あんな面白い小説になぜそんなに時間がかかるのか訝った。「ぼくは活字より映像が好きだから…」との言い訳に、そんなものかなと不思議な気がした。後日、『48億の妄想』を読了し「面白かったです」と感想を述べたK君は、やがてテレビ業界に転進しテレビマンとして大成した。

 若い頃に感銘を受けた本には、いろいろな思い出がまとわりついているものだ。思い出にばかりふけるのは、精神の停滞と退潮の兆しかもしれないが、仕方がない。

 このトークイベントで、1966年に筒井康隆さんが創刊した『SF新聞』の話も出た。現在、筒井さんの手元にこの新聞の現物はなく、日下三蔵さんも未見だそうだ。わたしは、高校生の時にこの新聞を購入している。その後、何度も引越しをしているが、廃棄した記憶はない。どこかの段ボール箱の奥に保存されているかもしれない。66歳になっても、身辺には未整理の書類や品々が山積しているのだ。探索してみたい気はあるが、始めると、思い出失禁状態に陥って収拾がつかなくなりそうで恐ろしい。

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