バーチャル窓とカブの収穫に満足2014年11月11日

 先週、八ヶ岳の山小屋に行き、山小屋の壁面に水彩画を飾った。恩師の入江観画伯の『八ヶ岳高原』というタイトルの水彩画である。タイトルにも惹かれ、年寄りのアバウトなエイヤッ気分で購入した絵だ。この絵が、わが山小屋の窓越しの風景にぴったりで、窓が一つ増えたように見える。思いがけない効果に、かなり得した気分になった。満足である。

 今回はカブの収穫もした。昨年は失敗したが、今年は大丈夫だった。本来は9月中旬までに播くべき種を、昨年はダメモトで10月中旬に播き、見事に失敗した。

 今年は9月初旬に播いたカブが11月初旬には収穫できた。月に1~2回しか山小屋に行けない手抜き菜園なので、数回に分けてやるべき間引きを1回で済ませた。発育不全を心配していたが、無事に収穫できた。満足である。

 カブの種の袋には「収穫目安は種播きから約30日~」と記載されている。わが菜園では収穫までに約60日かかった。寒冷地のせいだろう。

 実はカブと同じ時期に大根の種も播いた。大根も60日ぐらいで収穫できるかなと思っていたが、まだ葉が繁っているだけの段階だった。種の袋をよく読むと「収穫目安は種播きから約80日~」とある。野菜作りの教科書を改めて読み返し、大根には早生品種(55~60日)と晩生品種(90~100日)があることを知った。そんなことも知らずに適当な種を購入していたのだ。

 手抜き菜園とは言っても、必要最低限の情報収集をしなければと反省した。年を取るとアバウトをよしとする気分になってくる。しかし、アバウトを受け容れてくれない事象も少なくない。仕方ないことである。

 大根の種の袋には「80日~」とあるものの、カブの例から類推すると寒冷地ではかなり日数がかかりそうだ。収穫はいつになるだろうか。

建築家小説『火山のふもとで』は心地よい住宅のようだ2014年11月13日

『火山のふもとで』(松家仁之/新潮社)
 友人の薦めで『火山のふもとで』(松家仁之/新潮社)を読んだ。2012年の読売文学賞を受賞した小説だ。私には未知の作家の作品だったが、読み始めると小説世界に引き込まれ、至福の読書時間を過ごした。

 実在の著名な建築家(吉村順三)がモデルだと聞いていたので、読み進めながら、吉村氏の弟子にあたる建築家が実体験に基づいて書いた小説だと思った。建築設計に関するディティールがあまりにリアルだったからだ。私は門外漢なので判断基準はないが、建築に関する蘊蓄や設計に使う道具などの表現に実体験の投影を感じたのだ。

 しかし、調べてみると著者は建築家ではなく編集者だった。登場人物や物語の舞台にモデルはあるが、全般的にはフィクションである。これだけの小説世界を作り上げた著者の力量に感服した。後知恵で考えると、建築家の手になる小説というよりは建築オタクが楽しみながら書いた作品のように感じられる。

 この小説は、建築学科を卒業したばかりの主人公が「先生」と呼ばれる建築家の設計事務所に入所し、ひと夏の経験をする物語である。先生の設計事務所は夏の間は所員の大半が「夏の家」と呼ばれる軽井沢近辺の山荘に移動し、そこで仕事をする。タイトルの「火山」は浅間山である。

 これは「建築設計小説」であり「山荘小説」であり「青春小説」である。悪人や奇矯な人は出てこない。異常な場面や修羅場もない。小説世界には常に清涼な高原の空気が流れている。

 この清冽な小説は、印象的なディティールの積み重ねで構成されていて、語り口は巧みである。小説の構成が小説の中で先生が展開する建築哲学と相似形なのだ。

 先生は建築について次のようなことを呟く。「建築というのは、トータルの計画が大事で細部はあとでいい、というものではけっしてないんだよ。」「細部と全体は同時に成り立ってゆくものなんだ。」「指は胎児が世界に触れる先端で、指で世界を知り、指が世界をつくる。椅子は指のようなものなんだ。椅子をデザインしているうちに、空間の全体が見えてくることだってある。」

 ここで語られている「建築」はそのまま「この小説」に置き換えられる。小説の題材と小説の方法がこのような形で融合しているのは、著者にとって必然かもしれないが、なかなかの仕掛けだ。素朴なようで計算されつくしている。巧妙に仕組まれたたくらみが絶妙な効果を発揮しているのだ。

 私はこの小説の著者が建築家だろうと単純にだまされたが、著者は建築以上に小説の機微を知りつくした才人のようだ。先生が心地よい住居空間を作り上げるように、著者は心地よい小説世界を巧みに紡ぎ出している。

 実は、私はこの小説の大半を八ヶ岳の小さな山小屋で読んだ。小説に登場する軽井沢の山荘とは比ぶべくもない陋屋だが森の空気には包まれている。そんな環境でこんな小説を読んだので、よけいにこの小説を心地よく感じたのかもしれない。

 心地よさとは、無条件でよきことだと思う。心地よいというのは、精神的な余裕があるということでもある。余裕やアソビがなければ精神の健康は得られない。だが、山小屋の心地よい空気の中で心地よい小説を読みつつ追憶にまどろんでいると、これでいいのかという呟きも聞こえてくる。心地よすぎること、余裕がありすぎることは、はたしてよきことなのだろうか。そこに時間は流れているのだろうか。

筒井康隆さんの『日本SFの幼年期を語ろう』を聞いた2014年11月24日

 『日本SFの幼年期を語ろう』というタイトルの筒井康隆さんのトークイベントに行った。出版芸術社から刊行される『筒井康隆コレクション』(全7巻)の発刊記念のイベントで、この叢書の編者である日下三蔵さんが聞き手である。

 筒井作品の初期からのファンで、かつてはSF少年だった私には魅力的なテーマだ。筒井康隆さんがデビューしてから売れっ子になるまで、年代は1960年頃から1969頃まで、つまりは1960年代、私の青春とも重なる懐かしき時代の話だった。筒井康隆さんのエッセイや日記などで知っている事柄でも、あらためて作家の肉声で聞くと微妙なニュアンスが伝わってきて興味深かった。

 処女長編『48億の妄想』(1965年12月)についての筒井さんの言及が面白かった。ご本人が久々に読み返してみて、現代を予見したあまりに出来のいい傑作なので驚いたそうだ。『48億の妄想』は『筒井康隆コレクション』の第1巻に収録されていて、その「あとがき」でも「まるで自分が書いたのではないような気分にさせられた。自分で言うのもおかしいが、実にスマートな作品ではないか」と驚きの弁が述べられている。

 私が新刊『48億の妄想』を読んだのは高校生の時だ。読み始めると巻をおくことができず、ひと晩で読了し、傑作だと確信した。その後、この小説に書かれた内容に現実が近づいていく気分を何度か味わい、あれはやはり傑作だとの思いを新たにすることをくり返してきた。だから、筒井康隆さんのトークを聞きながら「筒井さん、今頃になってやっと傑作だと気づいたのですか」とツッコみたくなった。しかし考えてみれば、ステージの筒井さんは読者サービスで驚きを演じていたのかもしれない。

 『48億の妄想』に関してよみがえってきた記憶がある。私は大学卒業後、新聞社の広告局に就職した。入社2年目には新たな新入社員が配属され後輩ができる。その一人のK君は新聞よりテレビが好きで、新聞社には腰かけのつもりで入社し、テレビ業界をめざしていた。それを知った私は「テレビに行くなら筒井康隆の『48億の妄想』は読んだか」と訊ねた。読んでいないとのことなので、さっそく貸与した。数日後に感想を訊ねると「まだ、途中です」との返事だった。あんな面白い小説になぜそんなに時間がかかるのか訝った。「ぼくは活字より映像が好きだから…」との言い訳に、そんなものかなと不思議な気がした。後日、『48億の妄想』を読了し「面白かったです」と感想を述べたK君は、やがてテレビ業界に転進しテレビマンとして大成した。

 若い頃に感銘を受けた本には、いろいろな思い出がまとわりついているものだ。思い出にばかりふけるのは、精神の停滞と退潮の兆しかもしれないが、仕方がない。

 このトークイベントで、1966年に筒井康隆さんが創刊した『SF新聞』の話も出た。現在、筒井さんの手元にこの新聞の現物はなく、日下三蔵さんも未見だそうだ。わたしは、高校生の時にこの新聞を購入している。その後、何度も引越しをしているが、廃棄した記憶はない。どこかの段ボール箱の奥に保存されているかもしれない。66歳になっても、身辺には未整理の書類や品々が山積しているのだ。探索してみたい気はあるが、始めると、思い出失禁状態に陥って収拾がつかなくなりそうで恐ろしい。

43年前を追体験した『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』2014年11月29日

さいたまゴールドシアター『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』のパンフ。43年前のガリ版刷り台本
 彩の国さいたま芸術劇場芸術監督に就任した蜷川幸雄が、高齢者だけの演劇集団「さいたまゴールド・シアター」を立ちあげたというニュースを読んだのは何年か前で、酔狂なことをするものだと驚いた。昨年、その高齢者演劇集団が『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』を上演するとの記事を読んで、ぜひ観たいと思った。

 私はこの芝居を初演時(1971年)に観たので、内容は分かっている。老婆の集団が活躍する芝居だから高齢者にピッタリだと言える。しかし、この芝居には高齢者が演ずるには無理な仕掛けがある。それをどうクリアしているのが気になり、舞台で確認したいと思ったのだ。だが、昨年は観劇の機会を逸っしてしまった。

 その『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(さいたまゴールド・シアター)が再演され、東京公演があり、先日、ついに観ることができた。

 清水邦夫作・蜷川幸雄演出の舞台を最後に観たのが1971年の『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』だから、実に43年ぶりにこのコンビの舞台を観た。長い年月を経て再演を観たわけだが、舞台の印象は43年前とほとんど同じだった。これは、当然というよりは、むしろ不思議なことだと思う。

 前回は新宿のアートシアターで上演され、石橋蓮司、緑魔子らが出演していた。当然ながら、彼らは若かったし、観客の私は大学生だった。今回の俳優は私の知らない老人たち(平均年齢75歳だそうだ)で、観客の私は65歳になっている。時代は変わり、当方も齢を重ねてきた。しかし、この芝居を観ていると43年前の感興がそのまま甦ってきて、学生時代の空気を追体験した気分になった。

 昔、この芝居を観たときの私の気分は「7分の共感、3分の反発」だった。43年後の再演を観ても、その気分は同じだ。43年前、新劇とアングラの中間のような位置にあった清水・蜷川コンビの舞台に過剰な熱気があったのは確かだが、ややうさん臭い違和感もあった。

 初演当時の新聞劇評で、『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』は三里塚闘争を色濃く反映していると書かれていた。それは、あまりに空々しいマスコミ的なとらえ方だと思えた。三里塚闘争がアジプロ演劇を求めているとは思えなかったし、そんな演劇が面白いはずがないと思った。この芝居にそんな要素があるとすれば、それがこの芝居の瑕疵だと思った。

 今回、この芝居を観て、43年前のそんな思いがそのまま甦ってきた。ただし、当時は、この芝居が半世紀先の遠い未来に再演されるだろうとは夢にも思わなかった。今回は、この不可思議な時間感覚が追加されている点が43年前とは異なる。

 それはさておき、私が気がかりだった「高齢者には無理な仕掛け」はどうだったか。この芝居の主役は老婆の集団だが、クライマックスで老婆たちは一瞬にして若者に変身するのである。手元にある上演台本には、このシーンを次のように書いてある。

「銃声がやむ。
 と、世界が一変する。
 そして、天井から細いキラキラしたガラス状のものがいっぱいに降ってくる。
 その中で、老婆たち全員が、屈強の若者あるいはりりしい美青年に変身していく。
 立ち上がる若者たち。
 全員、素手で前方に向かって怒りと憎しみの敵意を燃やす。」

 実は奇妙な事情から、私は劇団現代人劇場の最後の公演となったこの芝居のガリ版刷り台本を保有している。上記はその台本から引用した。清水邦夫の単行本に収録されている戯曲では、この部分にかなりの書き加えがある。変身についても「その変身は幻想的で甘美なものではない。日常の真只中の非日常としての変身…」と、より詳しく記述されている。当然ながら、この芝居で最も大事なシーンなのである。

 43年前の初演では、腰の曲がった老婆を演じていた女優や男優たちが、薄汚い老婆の衣裳を一瞬で脱ぎ捨て、セミヌードの若者に変身して立ちつくす。つまり、役者たちの実年齢に戻るのだ。老婆が「りりしい美青年」に変身すると台本にあるのは、女優だけでなく男優も老婆を演ずることを想定していたからだろう。

 このクライマックスは実に印象的な見せ場だ。若い役者が老婆を演ずることで可能なシーンである。平均75歳の演劇集団は、老婆の姿は見事に演じられても、この変身をどうするのか。それが気になって「さいたまゴールド・シアター」を観たかったのだ。

 私は、科白などは台本通りでも、変身シーンは別の形で昇華するのだろうと想像していた。肉体の若がえりを使わなくても、別の仕掛けで永久革命的な精神の若さの永続性の表現が可能だろうと思っていた。高齢者演劇集団を率いる蜷川幸雄の新たな試みを期待していたのだ。

 しかし、その期待は裏切られた。上演前に配布された「さいたまゴールド・シアター」のパンフには、なぜか「さいたまネクスト・シアター」のメンバーも紹介されていた。こちらは次世代を担う若者演劇集団である。上演前の座席でこのパンフを眺めたとき、ある予感がよぎった。その予感は的中し、老婆たちは一瞬にして見事に若者に変身した。私の目の前で、43年前とそっくり同じシーンが再現されたのだ。

 そして、43年前と同じ感興が甦ってきた。