ジャガイモ植えながら、世のいいかげんさを考えた ― 2012年04月25日
八ヶ岳山麓の小さな山小屋に行って、庭の畑にジャガイモを植えた。
2年前からたわむれに野菜作りの真似ごとをしている。山小屋へは一カ月に一回行くか行かないかなので、ロクな世話はできない。ダメモトの畑だが、昨年までにインゲン、キュウリ、ゴーヤ、ホウレンソウなどが収穫できた。
野菜作りのきっかけは、現地の友人からインゲンの種をもらったことだった。その後、野菜作りの入門書を購入し、それに従って一応の肥料なども与えている。
元来、私は畑仕事にはまったく興味がなかったし、農作業が好きなわけでもない。しかし、ズルズルと続けている。
だれかに強制されたわけではなく、野菜が食べたかったわけでもなく、野菜作りに興味もなかったのに、なんとなく始めてみると、つい続けてしまう。確かに、収穫できれば楽しい。それが多少のインセンティブにはなっているのだろうが、収穫できなくても仕方ないという気分もある。
われながら、いいかげんな態度だと思う。イヤイヤやっているのではないが、好きでやっているのでもなく、何となくやっている。人間とは自分自身にとっても謎だなとも思う。
それはともかく、今年はじめてジャガイモを植えたのは、多くの野菜が連作ができなくて(本にそう書いてある)、植えるものがなかったからだ。
野菜作りの入門書は2冊購入した。何でも入門書は2冊以上読んだ方がいい。1冊だけだと、その内容を盲目的に信ずるしかない。2冊読むと、ひとつの野菜の栽培方法についても、同じ記述もあれば多少違った記述もあり、考え方が相対化され、少し視界が広がる。
記述の違う部分については、より詳しい専門書などで原理に遡って理解を深めれば、記述の違いの根拠もわかり、頭がすっきりするかもしれない。しかし、いまのところ、そこまで勉強する余裕はない。
野菜作りの入門書の記述の違いを発見することによって私が会得するのは「ここらへんはいいかげんでもかまわないのだろうな」という自分勝手な解釈と判断である。
ジャガイモを栽培するには、ホームセンターで種イモを買ってくる。私は「男爵」と「メイクイーン」を少量ずつ購入した。
この種イモを包丁で切って畑に植えるのだが、タネ芋の植え方の説明が二つの入門書で次のように異なっていた。
(A) 種イモを、一片が20~30gになるように切り分けます。(略)切り口を3~4日ほど乾かしてから、畑に植え付けます。
(B) 一片が50g以上の大きさで、2~3芽つくように必ず縦に切り分ける。そのまま植えても大丈夫だが、切り口から腐敗しない安全を期すために、草木灰をまぶす。
一片が「20~30g」と「50g以上」ではどちらを取るか迷うが、そもそも切ったジャガイモの重さ確認する計りが手元にない。すべての種イモを半分に切って、それでよしとした。
切ってすぐ植えるのか、3~4日乾かすかは大きな違いだ。私がこの記述を読んだのは、山小屋へ出発する前日の夜だった。種イモをそのまま持って行く準備をしていたのだが、あわてて種イモを二つに切り、それを持って行くことにした。
それにしても、3~4日も乾かす時間的余裕はない。幸い、山小屋には薪ストーブがあり、その中には灰が残っている。で、1日だけ乾かした切り口にその灰をまぶして植えることにした。
2冊の本の折衷策を採ったわけだ。どちらかの方法を選択するのではなく、方法を折衷するという中途半端な態度は、最悪の結果を招く可能性もあるだろう。今回の件は、切り口の腐敗防止策のようなので大丈夫だとは思うが。
そんなこんなで、入門書を読みながら野菜を作っていると、中途半端な知識と中途半端な実践が生み出すさまざまな末路や成果を体験でき、世の中の事象の厳しさといいかげんさを知ることもできる。簡単に言えば、許容度と複雑さの習得とも言える。
それが、私がズルズル細々と農作業を続けている理由かもしれない。
2年前からたわむれに野菜作りの真似ごとをしている。山小屋へは一カ月に一回行くか行かないかなので、ロクな世話はできない。ダメモトの畑だが、昨年までにインゲン、キュウリ、ゴーヤ、ホウレンソウなどが収穫できた。
野菜作りのきっかけは、現地の友人からインゲンの種をもらったことだった。その後、野菜作りの入門書を購入し、それに従って一応の肥料なども与えている。
元来、私は畑仕事にはまったく興味がなかったし、農作業が好きなわけでもない。しかし、ズルズルと続けている。
だれかに強制されたわけではなく、野菜が食べたかったわけでもなく、野菜作りに興味もなかったのに、なんとなく始めてみると、つい続けてしまう。確かに、収穫できれば楽しい。それが多少のインセンティブにはなっているのだろうが、収穫できなくても仕方ないという気分もある。
われながら、いいかげんな態度だと思う。イヤイヤやっているのではないが、好きでやっているのでもなく、何となくやっている。人間とは自分自身にとっても謎だなとも思う。
それはともかく、今年はじめてジャガイモを植えたのは、多くの野菜が連作ができなくて(本にそう書いてある)、植えるものがなかったからだ。
野菜作りの入門書は2冊購入した。何でも入門書は2冊以上読んだ方がいい。1冊だけだと、その内容を盲目的に信ずるしかない。2冊読むと、ひとつの野菜の栽培方法についても、同じ記述もあれば多少違った記述もあり、考え方が相対化され、少し視界が広がる。
記述の違う部分については、より詳しい専門書などで原理に遡って理解を深めれば、記述の違いの根拠もわかり、頭がすっきりするかもしれない。しかし、いまのところ、そこまで勉強する余裕はない。
野菜作りの入門書の記述の違いを発見することによって私が会得するのは「ここらへんはいいかげんでもかまわないのだろうな」という自分勝手な解釈と判断である。
ジャガイモを栽培するには、ホームセンターで種イモを買ってくる。私は「男爵」と「メイクイーン」を少量ずつ購入した。
この種イモを包丁で切って畑に植えるのだが、タネ芋の植え方の説明が二つの入門書で次のように異なっていた。
(A) 種イモを、一片が20~30gになるように切り分けます。(略)切り口を3~4日ほど乾かしてから、畑に植え付けます。
(B) 一片が50g以上の大きさで、2~3芽つくように必ず縦に切り分ける。そのまま植えても大丈夫だが、切り口から腐敗しない安全を期すために、草木灰をまぶす。
一片が「20~30g」と「50g以上」ではどちらを取るか迷うが、そもそも切ったジャガイモの重さ確認する計りが手元にない。すべての種イモを半分に切って、それでよしとした。
切ってすぐ植えるのか、3~4日乾かすかは大きな違いだ。私がこの記述を読んだのは、山小屋へ出発する前日の夜だった。種イモをそのまま持って行く準備をしていたのだが、あわてて種イモを二つに切り、それを持って行くことにした。
それにしても、3~4日も乾かす時間的余裕はない。幸い、山小屋には薪ストーブがあり、その中には灰が残っている。で、1日だけ乾かした切り口にその灰をまぶして植えることにした。
2冊の本の折衷策を採ったわけだ。どちらかの方法を選択するのではなく、方法を折衷するという中途半端な態度は、最悪の結果を招く可能性もあるだろう。今回の件は、切り口の腐敗防止策のようなので大丈夫だとは思うが。
そんなこんなで、入門書を読みながら野菜を作っていると、中途半端な知識と中途半端な実践が生み出すさまざまな末路や成果を体験でき、世の中の事象の厳しさといいかげんさを知ることもできる。簡単に言えば、許容度と複雑さの習得とも言える。
それが、私がズルズル細々と農作業を続けている理由かもしれない。
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