「近代社会」批判による展望を断念せよ! ― 2023年03月28日
『哲学は資本主義を変えられるか』(竹田青嗣)に続けて、同じ著者の次の本を読んだ。
『哲学とは何か』(竹田青嗣/NHKブックス/NHK出版/2020.4)
先のブログに書いた事情 で、『哲学は資本主義を…』読了後に宿題の『新・哲学入門』(竹田青嗣)の取り掛かったのだが、半分ばかり読んで頭が煮詰まった。休憩気分でネット検索していて、竹田氏の動画 を発見、それは『哲学とは何か』(本書)刊行記念ウェブセミナーだった。
この動画を観て、『新・哲学入門』を中断して本書を読もうと思った。本書の方が読みやすそうだし、刊行時期が『哲学は資本主義を…』と『新・哲学入門』の間なので、刊行順に読めば多少は理解が深まるのでは、と考えたのである。
前著や動画セミナーで竹田氏の思考に少し慣れたせいもあり、本書はほぼ1日で読了できた。『新・哲学入門』よりは読みやすい。
本書は、哲学とは何かを語る入門書である以上に竹田哲学の開陳であり、現代哲学批判の書である。現代哲学の門外漢の私が竹田氏の言説を評価するのは難しいが、竹田氏が展開している考察の大筋は納得できた。
本書のキーワードは「普遍認識」と「本質観取」である。どちらも日常では使わない抽象語で違和感がある。「普遍」「本質」など深遠な概念もつかみにくい。だが、本書を読み進めると、これらの言葉がくり返し登場するので、次第に慣れてくる。慣れてくると、多少はわかった気がしてくる。言葉とは不思議なものであり、便利なものでもある(本書には「言葉の謎」に関する考察もある)。
本書は前著『哲学は資本主義を変えられるか』に重なる部分も多いが、メッセージ性がより強いように思える。社会や人間への考えをつき詰めれば哲学に行き着くのだろうとは思うが、哲学が世界を動かせるかどうか、私にはわからない。
とは言え、社会を変えようとする力(人々の総意? ある種の権力?)の根底には哲学が必要なのだろうとは思う。竹田氏は現代を「反哲学」の時代と見なし、世界を破綻に追い込まないためには新たな哲学の構築が必要だと警鐘を鳴らしている。
本書は結論として「自由な市民社会」の原理以外に未来の可能性はないとしている。「近代社会」の是認である。竹田氏は私と同世代(1歳上の1947年生まれ)の団塊世代、「近代社会」への疑義を提起した世代である。私たちが若い頃は、「近代合理主義批判」や「近代の乗り越え」が定番だった。
だが、竹田氏は、さまざまな社会原理の本質を哲学的に吟味したうえで、次のように述べている。
「われわれは、近代の「自由な市民社会」のほかに、真なる「人間社会」を実現するような可能性がどこかにあるはずだという希望をはっきりと断念するとき、はじめて新しい人間社会の可能性をつかむことができるのである。」
『哲学とは何か』(竹田青嗣/NHKブックス/NHK出版/2020.4)
先のブログに書いた事情 で、『哲学は資本主義を…』読了後に宿題の『新・哲学入門』(竹田青嗣)の取り掛かったのだが、半分ばかり読んで頭が煮詰まった。休憩気分でネット検索していて、竹田氏の動画 を発見、それは『哲学とは何か』(本書)刊行記念ウェブセミナーだった。
この動画を観て、『新・哲学入門』を中断して本書を読もうと思った。本書の方が読みやすそうだし、刊行時期が『哲学は資本主義を…』と『新・哲学入門』の間なので、刊行順に読めば多少は理解が深まるのでは、と考えたのである。
前著や動画セミナーで竹田氏の思考に少し慣れたせいもあり、本書はほぼ1日で読了できた。『新・哲学入門』よりは読みやすい。
本書は、哲学とは何かを語る入門書である以上に竹田哲学の開陳であり、現代哲学批判の書である。現代哲学の門外漢の私が竹田氏の言説を評価するのは難しいが、竹田氏が展開している考察の大筋は納得できた。
本書のキーワードは「普遍認識」と「本質観取」である。どちらも日常では使わない抽象語で違和感がある。「普遍」「本質」など深遠な概念もつかみにくい。だが、本書を読み進めると、これらの言葉がくり返し登場するので、次第に慣れてくる。慣れてくると、多少はわかった気がしてくる。言葉とは不思議なものであり、便利なものでもある(本書には「言葉の謎」に関する考察もある)。
本書は前著『哲学は資本主義を変えられるか』に重なる部分も多いが、メッセージ性がより強いように思える。社会や人間への考えをつき詰めれば哲学に行き着くのだろうとは思うが、哲学が世界を動かせるかどうか、私にはわからない。
とは言え、社会を変えようとする力(人々の総意? ある種の権力?)の根底には哲学が必要なのだろうとは思う。竹田氏は現代を「反哲学」の時代と見なし、世界を破綻に追い込まないためには新たな哲学の構築が必要だと警鐘を鳴らしている。
本書は結論として「自由な市民社会」の原理以外に未来の可能性はないとしている。「近代社会」の是認である。竹田氏は私と同世代(1歳上の1947年生まれ)の団塊世代、「近代社会」への疑義を提起した世代である。私たちが若い頃は、「近代合理主義批判」や「近代の乗り越え」が定番だった。
だが、竹田氏は、さまざまな社会原理の本質を哲学的に吟味したうえで、次のように述べている。
「われわれは、近代の「自由な市民社会」のほかに、真なる「人間社会」を実現するような可能性がどこかにあるはずだという希望をはっきりと断念するとき、はじめて新しい人間社会の可能性をつかむことができるのである。」

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