堺屋太一氏のチンギス・ハン伝記にはビジネス書の面白さがある2021年12月29日

『世界を創った男チンギス・ハン(上)(中)(下)』(堺屋太一/日経ビジネス文庫/日本経済新聞社)
 杉山正明氏の本を何冊か読み、頭がモンゴル史モードになっているので、次の小説を読んだ。

 『世界を創った男チンギス・ハン(上)(中)(下)』(堺屋太一/日経ビジネス文庫/日本経済新聞社)

 15年前、日経新聞に1年半連載(2006年2月~2007年8月)した小説である。堺屋太一氏はわれわれ「団塊の世代」の名付け親だ。その小説をいくつか読んでいるが、元通産官僚で経済企画庁長官も務めた多才多弁な経済評論家のイメージが強い。

 新聞連載開始の2006年はチンギス・ハンがモンゴル諸族を統一してカハンの位についた1206年から800周年で、モンゴル国では祝賀行事が開催された。子供の頃からチンギス・ハンのファンで研究を続けていた堺屋氏は、そんなイベントに関わると同時にこの新聞連載を始めたそうだ。

 チンギス・ハンの前半生は謎に包まれている。史料(『元史』『元朝秘史』『集史』など)の内容があまりに虚実入り混じり、伝説か創作か史実か区別がつかず、史料間の整合性もない。杉山正明氏によれば、史実と見なせるのは1203年にオン・カン(トオリル・ハン)を倒して1206年にカハンの位についてからであり、それ以前について「真剣にあれこれ論じても、しょせん小説と大きく変わらない」そうだ。

 チンギス・ハンの没年1227年は確かだが生年には諸説ある。堺屋氏は生年1162年説(モンゴル政府もこの説)を採用し、44歳(1206年)でカハンに就位し、65歳で亡くなったとしている。全3巻のこの小説で、チンギス・ハンが44歳でカハンになるのは3巻目の中頃だから、3巻目半ばまでは杉山氏のいう「しょせん小説」ということになる。堺屋氏は次のように述べている。

 《本作において「史的事実については誤りなく採り入れる(嘘や間違いなない)が、不明な部分は周辺情況やあとの事態などとの整合性を持つ範囲で推測想定する」という歴史小説の厳格な条件を守る方針である。》

 虚実不明でも史料に基づいて記述し、史料間の食い違いを注釈しながら書き進めるという姿勢である。この小説には多くの注があり、地図もたくさん載っている。注には、かなり長い解説文や図表もある。さらに、小説の随所に「歴史小説のロビーで」というエッセイが挿入されている。小説本文の中にも解説的な記述が散りばめられている。

 チンギス・ハンの一代記ではあるが、蘊蓄が主で物語が従だ。物知り旦那の解説座談付き歴史紙芝居の趣があり、それなりに面白く読めた。巨視的に時代を語る「図解歴史小説」である。

 ざっくりと言えば、旧体制から新体制へ転換する物語で、世界観の対立を絵解きしている。旧体制とは氏族長連合封建体制を堅持する守旧派であり、新体制とは「人間(じんかん)に差別なし、地上に境界なし」を標榜するチンギス・ハンの絶対王朝体制であり、グローバリズムの競争社会でもある。割り切りが明解な見方だ。

 この歴史小説は経済・経営小説でもある。零細家内企業が世界企業に発展していく起業家物語であり、堺屋氏独特の見立ての頻出が楽しい。テムジン(後のチンギス・ハン)が15歳のとき、父が急死する場面を「大学を卒業して外国留学中に父の急死で呼び戻された青年」にたとえ、次のように描いている。

 『父親は(…)名門ながら傍流、ようやく従業員千人程度の中堅企業を育てた感じだろう。その父親が50歳代前半で急死した。気丈な母親は専務取締役の勧めた銀行派遣の経営陣による管理を拒んだが、いろんな人物が暗躍、資金と販路が閉ざされた。』

 チンギス・ハンを起業家と見なし、その事業には「明確なビジョン(理念)」「それを形にする概念(コンセプト)」「実現するための筋道(ストーリー)」があったとしている。まるでビジネス書だが、そんな目で歴史を観るのもアリだと思える。

 この小説に登場するイスラム商人や旅芸人たちが関西弁なのが面白いし、遊牧民たちの移動距離のスケールにも驚く。ちょっとした使い走りでも往復1週間である。本書を読んで、歴史小説には歴史を疑似体験する楽しさがあるとあらためて感じた。

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