ハラリ氏の『21 Lessons』は自分語りの書でもある2021年12月05日

『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出文庫)
 『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出文庫)

 原著は2018年刊行、翻訳の単行本が出たのが2年前の2019年11月だった。あの頃、本屋の店頭に山積みになっている本書(単行本)をパラパラとめくり、敬遠した。先月その文庫版が出て、購入した。

 4年前、 『サピエンス全史』を読んだとき、明晰で俯瞰的な切れ味に感動した。だが、次の著作『ホモ・デウス』には感動しなかった。このブログに読後感も書かなかったので記憶が霞んでいるが、テクノロジーによって人間が神になるという話が陳腐に思え、あたりまえの話のくり返しに退屈した気がする。

 2年前、本書の単行本を手にしたとき、『ホモ・デウス』のテクノロジー譚を現代に敷衍しただけの本に思えて敬遠した。その文庫版を読む気になったのは、私の考えが変わったからである。この世は私が思っている以上に陳腐かつ不可解・不合理で、とんでもない未来社会に突入しそうな気がしてきて、濃霧の未来を考えるにはハラリ氏の割り切りのいい見解が有効かもしれないと思うようになったのだ。

 本書は「今日の世界で何が起こっているのか、そして、さまざま出来事の持つ深い意味合いは何か」を検討している。論理は明晰で、秀逸なレトリックと面白いアナロジーに魅了される。ユーモアもある。著者が展開する見解の大部分は自明で常識的なものに思える。問題は現実の世界が自明で常識的な論理では動いていないということである。

 人はドグマに陥ってはダメであり、寛容でなければならない。自分の周囲だけでなく、より広い世界(地球、宇宙)を視野に考えなければならない、自身の無知を知らなければならない。その通りであり、すべての人類がそうなればいいのだが、それが難しい。著者は次のように述べている。

 「人間の愚かさは、決して過小評価するべきでない。人間は個人のレベルでも集団のレベルでも、自滅的なことをやりがちだから。」

 著者は本書で自身について率直に語っていて、その部分も興味深い。ユダヤ人であること、宗教に懐疑的であること、同性愛者であることなどの自分語りを通して世界を洞察している箇所も多い。しかし、私には最後の2レッスン「20. 意味:人生は物語でない」「21. 瞑想:ひたすら観察せよ」は難解で、ついて行けなかった。