現代の歴史家のギボン観で『衰亡史』の魅力を再認識2021年01月20日

『ギボン:歴史を創る』(ロイ・ポーター/中野好之・他訳/叢書ウニベルシタス	法政大学出版会)
 大著『ローマ帝国衰亡史』の著者 ギボンの自伝 を読んだ流れで次の本を読んだ。

 『ギボン:歴史を創る』(ロイ・ポーター/中野好之・他訳/叢書ウニベルシタス 法政大学出版会)

 著者は1946年生まれの英国の歴史家で、原著の刊行は1988年だ。私は6年前に『衰亡史』(文庫本10巻)を何とか読了したものの咀嚼したという実感はなく、いつの日にか予備知識や資料を整えたうえで味読したいと夢見ている。でも、18世紀の史書が現在どう評価されているかが気になる。本書は、その気がかりに応えてくれた。

 著者は、過去200年間のギボンに対する批判や悪罵を紹介・検討したうえで、終章を次のように締めくくっている。

 「(…)後代のブリテンの歴史家は、誰一人として『衰亡史』に比肩する、古代から中世を経て近代に至る歴史の過程の記述を実現していない。誰一人として我らの「ローマ帝国に関する唯一無二の歴史家」としてのギボンを乗り越えた者はいないのである。」

 洛陽の紙価を高め、著者の声望も高めた『衰亡史』は数多の批判にも晒されてきた。著者は時代背景などもふまえて、そんなギボンを弁護し、18世紀の文人の魅力を描出している。『衰亡史』は、さまざまな限界(西洋中心史観、文書史料中心など)を認識したうえで味読する価値がある歴史文学だと思えた。

 著者が『衰亡史』に登場する正真正銘の悪党をアレクサンドリアのキュロス総司教としている炯眼に感心し同意した。女性学者ヒュパティア惨殺、ネストリウスの不当断罪、ユダヤ人迫害の元凶である。

 本書で感激し、同時に少しガッカリしたのは彗星の話だ。私があの長大な著作の中で注目した次のセンテンスを著者も引用しているのに感激した。

 「次回の2355年に予定される8回目の出現の折には、多分シベリアかアメリカの荒野の将来の首都の天文学者によってこの計測値が確認されるであろう。」

 だが、私が気づいた、 ギボンの単純な計算間違いと現代天文学から見た誤認 について、著者が何も言及していないのが残念である。

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