『バクトリア王国の興亡』は研究者の考察と随想の書2019年04月14日

『バクトリア王国の興亡:ヘレニズムと仏教の交流の原点』(前田耕作/ちくま学芸文庫)
 ちくま学芸文庫の近刊『バクトリア王国の興亡』を読んだ。

 『バクトリア王国の興亡:ヘレニズムと仏教の交流の原点』(前田耕作/ちくま学芸文庫)

 1992年に刊行された書の増補改訂版である。バクトリア王国とは紀元前3世紀末から紀元前2世紀なかばまで、アフガニスタン北部から北西インドのあたりに存在したギリシア系の国、つまりはヘレニズムの国である。私にほとんど未知の国だが、高校世界史には登場している。

 本書を読もうと思ったのは、最近読んだ『モンゴル帝国と長いその後』 (杉山正明/講談社学術文庫)の終章で「文明の十字路・アフガニスタン」の波乱に満ちた歴史に接し、この機会にバクトリア王国について知見を得よう思ったからである。

 そんな動機で読み始めたが、未知の地名・人名が頻出して私には難儀な本だった。地名は本書収録の地図や他の歴史地図で確認しながら読み進めた。人名も随時ネット検索などで調べたが不明の人も多い。

 本書に出てくる人名は3種類に分けられる。まずは歴史上の登場人物である。これは「世界史人名辞典」、年表、家系図などで確認できる。次に歴史記述者で、ヘロドトス、プルタルコス、ポリュビオス、ストラボン、玄奘から史記・漢書に及ぶが、これら有名固有名詞は何とかなる。問題は3種類目の研究者・発掘者・探検家たちである。百年以上昔の人から現代人まで多様で、大半が私には未知の人物である。それでも頻出する人名に関しては多少のイメージができてきた。

 本書はバクトリア王国の解説書ではない。古代の歴史家や劇作家が残した文書や発掘された遺物(古銭、碑文など)をベースに、これまでの研究者たちの見解の紹介・検討を交えてバクトリア王国興亡の姿を考察した書である。同時に古代の文明の交流と融合に思いを馳せる随想の書でもある。

 本書によって、古代史研究における発掘の面白さと重要性をあらためて認識した。バクトリア王国に関する史書の記述は限定的で不明なことも多く、発掘された古銭の研究が史実確認の大きな手がかりになるそうだ。そして、かつてバクトリア王国があったと思われる地域の発掘は未だに終わっていない。1979年のソ連のアフガニスタン侵攻で発掘が中断され、政情の不安定は現代まで続いている。

 アレクサンドロスが遠征先で見初めた妃ロクサネはバクトリア人で、セレウコスの妻もバクトリア人だった。本書はバクトリア王国成立以前のアレクサンドロスの遠征やその後継者たち(ディアドコイ)の争いにかなりのページを割いている。それがヘレニズム時代の始まりであり、インドにまでギリシア風の文化を伝えたバクトリア王国こそがヘレニズムのシンボル的存在だからだろう。

 杉山正明氏は『モンゴル帝国と長いその後』において、アレクサンドロスの極端な英雄化やヘレニズムという歴史概念の強調は西欧文明中心の見方だと指摘していた。そういう観点をふまえて本書を読んだつもりだが、特に違和感はなかった。ギリシア、イラン、インドの文化が何等かの形で融合していったのは確かであり、人間の集団の交流によって融合が発生するのは自然なことだと思える。

 読了するのに時間がかかった難儀な本だったが、予備知識を得たうえで味読したい本である。そうすれば著者の感慨を多少は共有できるかもしれない。