『コーヒーが廻り世界史が廻る』は高踏漫文の歴史エッセイ2024年10月05日

『コーヒーが廻り世界史が廻る:近代市民社会の黒い血液』(臼井隆一郎/中公新書)
 先日、砂糖に着目した歴史書『砂糖の世界史』を読んだ。その印象が残っているうちに、コーヒーに関する次の新書を読んだ。

 『コーヒーが廻り世界史が廻る:近代市民社会の黒い血液』(臼井隆一郎/中公新書)

 この新書を入手したのは5年前だ。榎本武揚への関心から、臼井隆一郎氏の『榎本武揚から世界史が見える』を読んだ。この本に不思議な魅力があったので同じ著者の『コーヒーが廻り世界史が廻る』を入手したが、未読棚に積んだままになっていた。

 著者はドイツ文学者である。本書はコーヒーに関わる文化論的な歴史エッセイである。『榎本武揚から世界史が見える』を読んだときにも感じたが、かなりクセのある文章である。やや衒学的な高踏漫文とも言える。波長が合う読者には面白いが、そうでない読者は辟易するかもしれない。私はその中間である。時々は「やりすぎでは…」と思いつつも面白く読了した。

 本書の前に岩波ジュニア新書の『砂糖の世界史』を読んでいたのは正解だった。ある程度の歴史知識があった方がこの歴史エッセイを楽しめる。砂糖と同様に、世界商品であるコーヒーも奴隷労働で成り立っていたのだ。

 イギリスで発展したコーヒー・ハウス文化の話題も『砂糖の世界史』と共通している。本書が紹介する珍妙なパンフレット「コーヒーに反対する女性の請願」は面白い。このパンフレットによって、イギリスの家庭ではコーヒーでなく紅茶が普及したというのは怪しいが…。

 イスラム神秘主義の修道僧、スーフィーたちが好んだコーヒーはヨーロッパに伝播していく。その歴史は「コーヒー対アルコール」の歴史だったという指摘は興味深い。と言っても、両方ともを好む人は多いと思う。

 砂糖と同様にコーヒーのプランテーションもモノカルチャーを生み出す。1931年、ブラジルは過剰生産したコーヒー豆を大量に廃棄した。廃棄量は世界のコーヒー消費量全体の2年半分だった。蒸気機関車は石炭の替わりにコーヒー豆を燃料にしたという。「コーヒー豆を動力に、香ばしいアロマを発散させながらブラジルの山河を疾走する蒸気機関車」と著者は表現している。驚くべき光景だ。

 本書はさまざまな文献を援用している。引用元はマルクスの『ドイツ・イデオロギー』や吉本隆明の『定本詩集』からレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』まで多様だ。終章はボブ・ディランで締めくくっている。

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