『外岡秀俊という新聞記者がいた』は新聞への挽歌か?2024年10月11日

 新聞というメディアの現状と将来に思いをはせざるを得なくなる本を読んだ。

 『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋/田畑書店)

 元朝日新聞編集局長・外岡秀俊へのインタビューをまとめたジャーナリズムに関するオーラル・ヒストリーである。外岡秀俊は2011年3月に早期退職、2021年12月に心不全で死去した。享年68歳だった。彼は朝日新聞入社前から有名人だった。東大法学部在学中の1976年に『北帰行』で文藝賞を受賞して注目されたが、作家の道には進まずに朝日新聞社に入社、新聞記者として内外で活躍した。

 本書の著者は、外岡秀俊より13歳下の元朝日新聞記者である。インタビューは2015年11月から2017年5月まで18回実施したそうだ。著者は「まえがき」で次のように述べている。

 「この記録によって、外岡さんが日本のリーディングペーパーであった朝日の知性と良心を代表しうる最後の記者であったこと、また新聞が生活必需品であり民主主義の主柱とされた時代の掉尾を飾るジャーナリストであったことを証明できたと思う、」

 著者がどんな思いで「最後の」「掉尾を飾る」という言葉を使ったかはわからないが、新聞の現状への諦観が伝わってくる。

 外岡秀俊が朝日新聞社を早期退職したのは、北海道に住む親のそばで暮らすためだったそうだ。再び小説に取り組む意図もあったと思う。退職後の2014年に中原清一郎名義で発表した小説『カノン』を発表している。

 本書を読むと、必ずしも小説家に転身するために退職したのではなく、外岡秀俊は退職後もジャーナリストであり続けたことがわかる。そして、彼の真面目で誠実かつ柔軟な思考が伝わってくる。

 退職後の2014年、朝日新聞が慰安婦報道や吉田調書の問題で揺れているとき、外岡秀俊に「社長になってもらえないか」の打診があったそうだ。「せっかく苦労して辞めたのに戻るなんて考えられない」と固辞している。だが、新聞の将来を悲嘆していたわけではない。「恐らく本はこれからも残るはずですよ。新聞も残る。日本の場合は特に、文化形成にかかわっているから。」とも語っている。

 過去1世紀以上にわたって新聞が担ってきたジャーナリズムという役割はこの先どうなるのだろうか。新聞のない世界を想像するのは難しい団塊世代の私には、将来のメディアの姿がイメージできない。

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