『奏鳴曲 北里と鷗外』は「チビスケ」と呼ばれる「ぼく」の史伝小説2024年10月15日

 半年前に読んだ『北里柴三郎:雷(ドンネル)と呼ばれた男』(山崎光男)は面白い伝記小説だった。北里柴三郎に関してはこれで十分と思っていたが、書店の棚で次の本を見つけ、つい買ってしまった。

 『奏鳴曲 北里と鷗外』(海堂尊/文春文庫)

 本書のサブタイトル「北里と鷗外」に惹かれたのである。『雷と呼ばれた男』にも鷗外は登場するが脇役である。医者としての鷗外に注目するなら「脚気論争」の話だろうと推測し、その経過と顛末を再確認したくなった。

 私は36年前の1988年に『模倣の時代』(板倉聖宣)という本で脚気論争の歴史を知り、驚いた。上下2冊の厚い本だったが一気に読了し、著者に感動の手紙まで投函し、返信の葉書をもらった。読んだ本の著者に手紙を出した唯一の経験だ。

 そんな記憶があり、軍医総監・森林太郎(鷗外)には日清・日露で戦死者以上の脚気死者を出した元凶のひとりという悪役イメージが強い。鷗外の小説は数編を読んでいるだけで、あまり馴染みがない。私のいだく鷗外像は「脚気の悪者・鷗外」である。

 『奏鳴曲 北里と鷗外』の著者・海堂尊氏は医師で小説家である。その作品を読むのは本書が初めてである。エンタメ系歴史小説と思って読み始めたが、思ったほど読みやすくはない。多くの登場人名や医学的事項についての親切な説明が少なく、圧縮記述のように感じる部分もある。しかし、材料の面白さに惹かれて興味深く読了できた。

 著者は「あとがき」で次のように述べている。

 「二人の心情的な交流の記録はほとんど見当たりません。北里は自分についてはほぼ何も書き残さず、鷗外は膨大な日記や小説を残しましたが、都合の悪い部分には触れていません。」

 というわけで、本書は二人のかかわり合いや心情に関しては想像力を大胆に駆使している。ノンフィクションではなく史伝小説である。

 本書の記述は、やや異様だ。基本は三人称なのに、鷗外に関する部分だけは鷗外の一人称になっている。その一人称は「ぼく」である。北里に関する部分は三人称で、北里が鷗外を呼ぶときは一貫して「チビスケ」である。もちろん「ぼく」はこの呼称に不満である。最高位の軍医総監になっても「ぼく」は「チビスケ」と呼ばれる。

 「ぼく」という鷗外の一人称の使い方も不思議である。リアルタイムの一人称ではない。後世(死後?)の一人称のように思えるのだ。おのれの人生を俯瞰した「ぼく」という一人称は三人称に近いかもしれない。

 いずれにしても「ぼく」「チビスケ」という用語は、鷗外の小人物ぶりを表現しているように見える。同時に屈折した鷗外の人間的な姿を描いているとも言える。この史伝小説の主人公は北里ではなく鷗外だと感じた。

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