イタリア海洋都市はビザンツやイスラムと近い2024年08月03日

『イタリア海洋都市の精神(興亡の世界史)』(陣内秀信/講談社学術文庫)
 先日読んだ『南イタリアへ!』の著者・陣内秀信氏の次の本を読んだ。

 『イタリア海洋都市の精神(興亡の世界史)』(陣内秀信/講談社学術文庫)

 20年近く前に出た講談社の歴史叢書『興亡の世界史』を文庫化した1冊である。本書が取り上げるイタリア海洋都市はヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァの4都市であり、その他の都市に簡単に触れている。

 著者は建築史・都市史を専攻するフィールドワークの研究者なので、本書は一般的な歴史概説書とは少し趣が異なる。都市史の概説というよりは歴史都市のディープな案内書である。イタリアの海洋都市には遺構や遺跡があると同時に、現代の都市の中に中世やルネサンスの姿がさまざまな形で残されている。だから、本書のようなアプローチが可能なのだろう。

 本書はヴェネツィアに3割強のページを割き、アマルフィに約四分の一のページを割いている。その他の都市への記述は相対的に簡略だ。私は10年以上昔に塩野七生氏の『海の都の物語:ヴェネツィア共和国の一千年』を読み、ヴェネツィア観光をしたこともある。今月末にはアマルフィ観光を予定している。だから、ヴェネツィアとアマルフィに関しては興味深く読めた。行ったことも行く予定もない都市に関するガイドは読み飛ばし気味になる。われながら現金な読書だと思う。

 本書によってあらためて感じたのは、イタリア海洋都市が東方の裕福なビザンツやイスラムと密接な関係にあったということである。それは、ローマ教皇とは一定の距離をとっていたということであり、宗教的なことよりは交易による利益を優先させたわけだ。合理的で健全な態度だと思う。もちろん、すべてが合理的で健全だったわけではないが…。

 17世紀から19世紀にかけてのグランドツアーの時代、アルプス以北の裕福な貴族の子弟にとってイタリアのローマやナポリは憧れのエキゾチックな旅行先だった。グランドツアーが古代ローマの魅力に関連しているとは認識していたが、本書によって、ギリシアへの憧れも関連しているとの認識を新たにした。

 グランドツアーの時代、ギリシアはオスマン帝国領で、アテネは容易に行ける都市ではなかった。南イタリアの都市の多くは、かつてはギリシアの植民都市で、その後、ビザンツ帝国の影響を強く受けた。南イタリアにはギリシアの姿が色濃く残っていた。旅行先としての南イタリアは、容易には行けないギリシアの代替でもあったのだ。

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