『イラク水滸伝』でイラク南部湿地帯のアジールを知った2023年09月21日

『イラク水滸伝』(高野秀行/文藝春秋/2023.7)
 『イラク水滸伝』(高野秀行/文藝春秋/2023.7)

 タイトルは怪しい冒険小説っぽいが、秀逸で面白いノンフィクションである。著者は「誰も行かないところに行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」がポリシーのノンフィクション作家だ。そのポリシー通りの本である。分厚い本を一気に読了した。

 オビには「権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む謎の巨大湿地帯」「中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録」「“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作」の惹句が踊る。読んでみると、この惹句通りだった。

 チグリス川とユーフラテス川が合流してペルシア湾にそそぐイラクは、メソポタミア文明発祥の地である。米国がフセイン政権を倒して以降、政情不安が続いている。観光で訪問できる国ではない。そのイラク南部に巨大湿地帯があり、そこは古代以来、中央の政権に反発する人々が逃げ込むアジール、つまりは梁山泊のような所だった――そんな湿地帯のことは、本書に接するまで知らなかった。

 この湿地帯は2016年、シューメール文明の遺跡とともに世界遺産に指定された。だが、現在も依然として「アジール」である。とても行きにくい世界遺産だそうだ。

 著者は大学探検部の頃から世界の辺境を旅してきた辺境旅のプロである。本書は、イラク南部湿原帯探訪の紆余曲折と悪戦苦闘をユーモラスに語った記録である。解説や考察も興味深い。

 著者がこの巨大湿地帯を新聞記事で知り、行こうと思ったのが2017年1月、最初の訪問は1年後の2018年1月である。

 出発までの準備活動から著者の熱意が伝わってくる。文献を読み、識者に会って情報を集める。在日イラク人を探し、取材すると同時にアラビア語を教わる。さらには、9歳上の旧知の「隊長」(レジェンド探検家、環境活動家)を説得して同行を取り付ける。と言っても、準備万端とは言えず、イラク南部湿地帯は行ってみなければわからない謎の場所である。

 著者が目標としたのは、現地で船大工を探し、船を造ってもらい、その船で広大な湿地帯巡りをすることだ。それが湿地帯探訪の最良の手段と判断したのだ。

 湿地帯の旅は3回敢行している(ビザは最長1カ月)。2018年1月の1回目は準備段階、現地の有力者(NGOの所長)と人脈をつなぐ。2019年5月の2回目では船大工を見つけて船を造るところまで進む。2019年秋に予定していた3回目はアクシデントで延期、その後のコロナ禍で渡航不可能になる。2022年3月になってビザOKの連絡があり、2022年4月に3回目の湿地帯探訪を果たす。だが、現地の有力者(NGOの所長=梁山泊の首領)は病気で不在……。

 果たして、自前の船による広大な湿地巡りは成功すか否か、それはここには書かない。本書を読んでのお楽しみだ。

 地球上にもはや秘境・辺境と言える所はなくなりつつあると感じていたが、本書を読むと、そうでもないと思えた。GPSが使え、衛星でテレビ放送を受診できる場所であっても、さまざまな意味で秘境・辺境と見なせる場所は、まだまだありそうだ。

 それにしても、辺境旅のプロの度胸、愛嬌、コミュニケーション力には感服した。

『永遠の都ローマ展』をゆったり見学2023年09月23日

 東京都美術館で開催中の『永遠の都ローマ展』に行った。思ったほどは混んでなく、ゆったりした気分で見学できた。

 ローマのカピトリーノ美術館のコレクションの展示である。目玉は「カピトリーノのヴィーナス」だ。私は10年ほど前に1回だけローマ観光をし、この美術館の前までは行った。だが、中には入っていない。

 カピトリーノ美術館はローマ中心部のカピトリーノの丘にあり、この名はキャピタル(首都)の語源になった。キリスト教を容認し、コンスタンティノープルを造営したコンスタンティヌス大帝は、何度かローマを訪問しているが、カピトリーノの丘には決して足を踏み入れなかった(理由には諸説)。

 そのコンスタンティヌス大帝の巨大な頭像(約1.8M)が目を引いた。この像がカピトリーノ美術館にあることに多少の皮肉も感じた。レプリカだが十分に迫力がある。

 私が注目したのは、トラヤヌス帝記念柱の浮彫の石膏複製である。現物の記念柱の浮彫を間近に見るのは難しい。複製であっても、原寸の浮彫作品を目の前で見ると感動する。この石膏複製は19世紀にナポレオン3世が作らせたそうだ。

 皇帝たちの大理石肖像も興味深い。カエサル、アウグストゥス帝、トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝、カラカラ帝らの胸像が展示されている。彼らの顔と対面していると、ローマ史のあれこれが、時間を超えて少しだけ具体的にイメージできるような気がしてくる。

『三人姉妹』でチェーホフ世界に浸った2023年09月25日

 浜松町の自由劇場でunrato公演の『三人姉妹』(作:チェーホフ、翻訳・上演台本:広田敦郎、演出:大河内直子、出演:保坂知寿、霧矢大夢、平体まひろ、ラサール石井、他)を観た。

 先月、『桜の園』 を観た後、戯曲を読み返した。それが2作収録の『桜の園・三人姉妹』 だったので、ついでに『三人姉妹』も再読した。その直後にこの公演を知り、いいチャンスだと思ってチケットを手配した。

 衒いのないオーソドックスな舞台で、百年以上昔のチェーホフの世界を堪能した。2時間55分(休憩を含む)の芝居は、意外にテンポがよく、退屈することはなかった。当然のことだが、戯曲を読むより舞台を観る方がよくわかる。

 場面は地方都市にある三人姉妹の邸宅、姉妹の父親は将軍だったが昨年亡くなった。その地方都市には軍が駐屯していて、邸宅は将校たちのサロンになっている。老軍医は居候(家賃は払っていると思う)だ。このサロンでの姉妹と将校たちとの会話で進行する芝居である。

 戯曲を読んだときは、「哲学的」会話をわずらわしく感じたが、舞台で観るとその滑稽さが浮き上がってくる。登場人物たちの身勝手な思い込みも見えてくる。

 この芝居は一見すると、新しい生活を求めながらも現状から脱出できない暗鬱な状況を描いているように見える。だが、舞台を俯瞰的に眺めると、登場人物たちの「嘆き」が小さく見えてくる。人生や生活がどう展開しようが、さほどの変わりはない――そんな諦観あるいは達観を表しているようにも感じられる。

山田風太郎の『神曲崩壊』は人類臨終図鑑だった2023年09月27日

『神曲崩壊』(山田風太郎/朝日新聞社)、『人間臨終図鑑(上)(下)』(山田風太郎/徳間書店)
 36年前に購入したまま書架で眠っていた次の小説を読んだ。

 『神曲崩壊』(山田風太郎/朝日新聞社/1987.9)

 購入当時、冒頭だけ読んで「これは、ダンテを読んから読むべきだ」と頁を閉じ、そのまま36年が経過した。先日、ついに『神曲』(地獄篇煉獄篇天国篇)を読了、しばらくして記憶の彼方の本書を思い出した。

 『神曲崩壊』は山田風太郎版『神曲:地獄篇』だ。19XX年2月30(!)日、核戦争で地球は消滅する。たまたま消滅の瞬間に『神曲』を拾い読みしていた作者は荒涼たる世界に飛ばされ、ダンテに出会う。そこは、「地獄の門」までが崩壊し、煉獄や天国の住民も吹き飛ばされて来ているインヘルノ(地獄)だった。

 ダンテは馬車を手配する。馬車の所有者はラ・ロシュフコー公爵(辛辣な『箴言集』の作者)、御者は怪僧ラスプーチン、この奇妙なメンバー4人で地獄巡りに旅立つ。この地獄はいくつもの巨大な泡の世界で、4人は「日本人の泡世界」へ突入する。多くの著名日本人が蠢く地獄である。

 馬車は「飢餓の地獄」「飽食の地獄」「酩酊の地獄」「愛欲の地獄」「嫉妬の地獄」「憤激の地獄」と巡り、著名人たちがくり広げる地獄絵巻を目撃する。

 「飢餓の地獄」は食べ物への執念抱いて死んだ人の地獄だ。正岡子規、夏目漱石、石川啄木、永井荷風、尾崎放哉、辻潤、乃木希典、河上肇、山口良忠(闇米を拒否して栄養失調で死んだ判事)などなどが登場する。超現実的情景だが、それぞれの実際の死に際の様をふまえた描写のようだ。

 で、連想するのが著者の『人間臨終図鑑』である。著名人数百人の臨終状況を描いたあの大作と本書の前後関係を調べると、雑誌連載は『人間臨終図鑑』が先行し、単行本はほぼ同時期に出ている。『神曲崩壊』は『人間臨終図鑑』の副産物かもしれない。

 『人間臨終図鑑』が臨終の様を坦々と描いているのに比べて、『神曲崩壊』の描写はより悲惨で、滑稽でもある。その悲惨で滑稽な情景は「飽食の地獄」では、さらに奔放になっていく。人間が、もはや人間と呼びがたい奇形に変貌していく様を辛辣に描いている。山田風太郎という作家の怖さを感じる。

 「飽食の地獄」以降は本書執筆時に存命の人物も登場する。ダンテが地獄に堕とした同時代は物故者に限られていたが、山田風太郎はその制約を外した。核戦争で地球消滅だから全員が物故者だ。天国や煉獄の住民も吹き飛ばされてきている。作者のフリーハンドで誰でもインヘルノの住人にできるという巧妙な仕掛けだ。

 登場する固有名詞を羅列したいが、煩雑になるので省略する。

 最後の「憤激の地獄」は、憤激をくり返す人々を描いている。憤激を抑えられずに滅亡へ向かう人類への諦観の表明である。

 黒沢明と勝新太郎の喧嘩を目撃して「両人とも大マイナスなのだが……しかし憤激はいつも損得を忘れさせる」とつぶやく。その通りだと思うが……。

 赤穂浪士の憤激が太平洋戦争を勃発させたという見解も面白い。「太平洋戦争は二・二六事件の狂熱を受けついで起こったものだが、二・二六事件をひき起こした青年将校の頭には、きっと桜田門外の変のことが浮かんでいただろう。そして、桜田門外の変をひき起こした水戸浪士の頭には、おそらく赤穂浪士の前例が浮かんでいたにちがいない。」――そういうことである。

 19XX年2月30日、世界がインヘルノになるのもむべなるかな、と思わせる小説だ。

『神曲崩壊』がきっかけで梶山季之のルポを読んだ2023年09月29日

『ルポ戦後縦断:トップ屋は見た』(梶山季之/岩波現代文庫)
 先日読んだ山田風太郎の『神曲崩壊』で多く日本人小説家の死にざまを目撃した。「酩酊の地獄」では、飲み過ぎによる肝硬変から静脈瘤破裂で急死した梶山季之が登場する。朝からお茶代わりにビールを飲みながら50枚以上を書き、夕刻から深夜までは銀座で飲む――底なしのサーヴィス精神で編集者に好かれた流行作家だった。

 1975年に45歳で逝ったこの作家の名に遭遇し、読みかけで放置していた次の本を思い出した。

 『ルポ戦後縦断:トップ屋は見た』(梶山季之/岩波現代文庫)

 15篇のルポ集成である。冒頭は「皇太子妃スクープの記」、美智子上皇后が皇太子妃に決まったときの話だ。梶山季之の「美智子妃」スクープをどこかで読んで興味をもち、本書を入手した。この記事は1958年のスクープ記事そのものでなく、10年後の回顧記事(『文藝春秋1968/6』)だった。

 冒頭の1篇だけを読んでいた本書を引っ張り出し、全篇を読んだ。

 本書収録のルポは1958年から1967年までの雑誌(『文藝春秋』『週刊読売』『中央公論』『週刊文春』『文芸朝日』)に発表したものだ。私が小学高学年から高校の頃までの出来事を扱っている。「トップ屋は見た」というサブタイトルから週刊誌的な風俗レポートを想定したが、存外、硬派の記事が多い。

 「白い共産村」と呼ばれる「心境村」のことは本書で初めて知った。現在はどうなっているのだろうかと思い、ネット検索したが、よくわからない。事業会社は存続しているようだ。

 ブラジルの「勝ち組」「負け組」の話も面白い。戦後混乱期のブラジル移民の間での「日本が勝った」「日本が負けた」の争いだと思っていたが、そう単純な話ではなく、日本の軍票・紙幣にからんだ金儲け詐欺「事件」だったそうだ。

 「ヒロシマの五つ顔」は被爆者5人に関するレポートである。シリアスな記事だ。梶山季之という流行作家の意外な側面を知った。

 梶山季之は「母のハワイでの移民体験」「自分が生まれた植民地朝鮮」「引き揚げ後に暮らした被爆直後の広島」の三つを舞台にしたライフワークを構想していた。『積乱雲』と題したのその大河小説に取り掛った時点で帰らぬ人になった。