山田風太郎の『神曲崩壊』は人類臨終図鑑だった ― 2023年09月27日
36年前に購入したまま書架で眠っていた次の小説を読んだ。
『神曲崩壊』(山田風太郎/朝日新聞社/1987.9)
購入当時、冒頭だけ読んで「これは、ダンテを読んから読むべきだ」と頁を閉じ、そのまま36年が経過した。先日、ついに『神曲』(地獄篇 、煉獄篇、天国篇)を読了、しばらくして記憶の彼方の本書を思い出した。
『神曲崩壊』は山田風太郎版『神曲:地獄篇』だ。19XX年2月30(!)日、核戦争で地球は消滅する。たまたま消滅の瞬間に『神曲』を拾い読みしていた作者は荒涼たる世界に飛ばされ、ダンテに出会う。そこは、「地獄の門」までが崩壊し、煉獄や天国の住民も吹き飛ばされて来ているインヘルノ(地獄)だった。
ダンテは馬車を手配する。馬車の所有者はラ・ロシュフコー公爵(辛辣な『箴言集』の作者)、御者は怪僧ラスプーチン、この奇妙なメンバー4人で地獄巡りに旅立つ。この地獄はいくつもの巨大な泡の世界で、4人は「日本人の泡世界」へ突入する。多くの著名日本人が蠢く地獄である。
馬車は「飢餓の地獄」「飽食の地獄」「酩酊の地獄」「愛欲の地獄」「嫉妬の地獄」「憤激の地獄」と巡り、著名人たちがくり広げる地獄絵巻を目撃する。
「飢餓の地獄」は食べ物への執念抱いて死んだ人の地獄だ。正岡子規、夏目漱石、石川啄木、永井荷風、尾崎放哉、辻潤、乃木希典、河上肇、山口良忠(闇米を拒否して栄養失調で死んだ判事)などなどが登場する。超現実的情景だが、それぞれの実際の死に際の様をふまえた描写のようだ。
で、連想するのが著者の『人間臨終図鑑』である。著名人数百人の臨終状況を描いたあの大作と本書の前後関係を調べると、雑誌連載は『人間臨終図鑑』が先行し、単行本はほぼ同時期に出ている。『神曲崩壊』は『人間臨終図鑑』の副産物かもしれない。
『人間臨終図鑑』が臨終の様を坦々と描いているのに比べて、『神曲崩壊』の描写はより悲惨で、滑稽でもある。その悲惨で滑稽な情景は「飽食の地獄」では、さらに奔放になっていく。人間が、もはや人間と呼びがたい奇形に変貌していく様を辛辣に描いている。山田風太郎という作家の怖さを感じる。
「飽食の地獄」以降は本書執筆時に存命の人物も登場する。ダンテが地獄に堕とした同時代は物故者に限られていたが、山田風太郎はその制約を外した。核戦争で地球消滅だから全員が物故者だ。天国や煉獄の住民も吹き飛ばされてきている。作者のフリーハンドで誰でもインヘルノの住人にできるという巧妙な仕掛けだ。
登場する固有名詞を羅列したいが、煩雑になるので省略する。
最後の「憤激の地獄」は、憤激をくり返す人々を描いている。憤激を抑えられずに滅亡へ向かう人類への諦観の表明である。
黒沢明と勝新太郎の喧嘩を目撃して「両人とも大マイナスなのだが……しかし憤激はいつも損得を忘れさせる」とつぶやく。その通りだと思うが……。
赤穂浪士の憤激が太平洋戦争を勃発させたという見解も面白い。「太平洋戦争は二・二六事件の狂熱を受けついで起こったものだが、二・二六事件をひき起こした青年将校の頭には、きっと桜田門外の変のことが浮かんでいただろう。そして、桜田門外の変をひき起こした水戸浪士の頭には、おそらく赤穂浪士の前例が浮かんでいたにちがいない。」――そういうことである。
19XX年2月30日、世界がインヘルノになるのもむべなるかな、と思わせる小説だ。
『神曲崩壊』(山田風太郎/朝日新聞社/1987.9)
購入当時、冒頭だけ読んで「これは、ダンテを読んから読むべきだ」と頁を閉じ、そのまま36年が経過した。先日、ついに『神曲』(地獄篇 、煉獄篇、天国篇)を読了、しばらくして記憶の彼方の本書を思い出した。
『神曲崩壊』は山田風太郎版『神曲:地獄篇』だ。19XX年2月30(!)日、核戦争で地球は消滅する。たまたま消滅の瞬間に『神曲』を拾い読みしていた作者は荒涼たる世界に飛ばされ、ダンテに出会う。そこは、「地獄の門」までが崩壊し、煉獄や天国の住民も吹き飛ばされて来ているインヘルノ(地獄)だった。
ダンテは馬車を手配する。馬車の所有者はラ・ロシュフコー公爵(辛辣な『箴言集』の作者)、御者は怪僧ラスプーチン、この奇妙なメンバー4人で地獄巡りに旅立つ。この地獄はいくつもの巨大な泡の世界で、4人は「日本人の泡世界」へ突入する。多くの著名日本人が蠢く地獄である。
馬車は「飢餓の地獄」「飽食の地獄」「酩酊の地獄」「愛欲の地獄」「嫉妬の地獄」「憤激の地獄」と巡り、著名人たちがくり広げる地獄絵巻を目撃する。
「飢餓の地獄」は食べ物への執念抱いて死んだ人の地獄だ。正岡子規、夏目漱石、石川啄木、永井荷風、尾崎放哉、辻潤、乃木希典、河上肇、山口良忠(闇米を拒否して栄養失調で死んだ判事)などなどが登場する。超現実的情景だが、それぞれの実際の死に際の様をふまえた描写のようだ。
で、連想するのが著者の『人間臨終図鑑』である。著名人数百人の臨終状況を描いたあの大作と本書の前後関係を調べると、雑誌連載は『人間臨終図鑑』が先行し、単行本はほぼ同時期に出ている。『神曲崩壊』は『人間臨終図鑑』の副産物かもしれない。
『人間臨終図鑑』が臨終の様を坦々と描いているのに比べて、『神曲崩壊』の描写はより悲惨で、滑稽でもある。その悲惨で滑稽な情景は「飽食の地獄」では、さらに奔放になっていく。人間が、もはや人間と呼びがたい奇形に変貌していく様を辛辣に描いている。山田風太郎という作家の怖さを感じる。
「飽食の地獄」以降は本書執筆時に存命の人物も登場する。ダンテが地獄に堕とした同時代は物故者に限られていたが、山田風太郎はその制約を外した。核戦争で地球消滅だから全員が物故者だ。天国や煉獄の住民も吹き飛ばされてきている。作者のフリーハンドで誰でもインヘルノの住人にできるという巧妙な仕掛けだ。
登場する固有名詞を羅列したいが、煩雑になるので省略する。
最後の「憤激の地獄」は、憤激をくり返す人々を描いている。憤激を抑えられずに滅亡へ向かう人類への諦観の表明である。
黒沢明と勝新太郎の喧嘩を目撃して「両人とも大マイナスなのだが……しかし憤激はいつも損得を忘れさせる」とつぶやく。その通りだと思うが……。
赤穂浪士の憤激が太平洋戦争を勃発させたという見解も面白い。「太平洋戦争は二・二六事件の狂熱を受けついで起こったものだが、二・二六事件をひき起こした青年将校の頭には、きっと桜田門外の変のことが浮かんでいただろう。そして、桜田門外の変をひき起こした水戸浪士の頭には、おそらく赤穂浪士の前例が浮かんでいたにちがいない。」――そういうことである。
19XX年2月30日、世界がインヘルノになるのもむべなるかな、と思わせる小説だ。
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