「立ち読書」用の「書見台台」を自作 ― 2023年05月01日
私は5~6年前から、立って本を読むよう心掛けている。もちろん座って読むこともあるが、読書時間の大半は「立ち読書」である。
立ったまま読むと腰によさそうだ。だが、最大のメリットは眠くなりにくい点にある。座った読書だとウツラウツラすることも多い。立ち読書で寝落ちはない。
立ち読書を始めたとき、書斎のデスクに読書用の台をしつらえた。デスク上方数十センチの位置に、あり合わせの材料で台を作り、そこに書見台を置いたのである。ところが先日、体重をかけ過ぎてその台が崩壊してしまった。
そこで、本格的な「台」を自作することにした。書見台を乗せるための「書見台台」である。図面を引き、木材と金具を入手し、ほぼ1日で高さ37センチの台が完成した。われながら満足のいく出来栄えである。デスクの高さは70センチだから床から107センチの位置に書見台を置くことができる。私にはこの高さが最適だ。
この台は締め金具でデスクに固定している。かなり頑丈だから崩壊の恐れはない……と思う。折りたたみ式の棚受け金具を使用し、座って読みたいときは台板をたためるようにした。
立ち読書の問題点は足が疲れてくることだ。そんなとき、私は片方の足を曲げてデスクに乗せる。半跏思惟像が水平に曲げた足はそのままに立ち上がり、曲げた足を膝ではなくデスクで支える――そんな姿勢である。半跏思惟立像の姿で読書ができるのも、デスク上方に書見台台を設置するメリットである。
立ったまま読むと腰によさそうだ。だが、最大のメリットは眠くなりにくい点にある。座った読書だとウツラウツラすることも多い。立ち読書で寝落ちはない。
立ち読書を始めたとき、書斎のデスクに読書用の台をしつらえた。デスク上方数十センチの位置に、あり合わせの材料で台を作り、そこに書見台を置いたのである。ところが先日、体重をかけ過ぎてその台が崩壊してしまった。
そこで、本格的な「台」を自作することにした。書見台を乗せるための「書見台台」である。図面を引き、木材と金具を入手し、ほぼ1日で高さ37センチの台が完成した。われながら満足のいく出来栄えである。デスクの高さは70センチだから床から107センチの位置に書見台を置くことができる。私にはこの高さが最適だ。
この台は締め金具でデスクに固定している。かなり頑丈だから崩壊の恐れはない……と思う。折りたたみ式の棚受け金具を使用し、座って読みたいときは台板をたためるようにした。
立ち読書の問題点は足が疲れてくることだ。そんなとき、私は片方の足を曲げてデスクに乗せる。半跏思惟像が水平に曲げた足はそのままに立ち上がり、曲げた足を膝ではなくデスクで支える――そんな姿勢である。半跏思惟立像の姿で読書ができるのも、デスク上方に書見台台を設置するメリットである。
『アレクサンドロスの征服と神話』は私には新鮮だった ― 2023年05月03日
先日読んだ『古代オリエント全史』で著者の小林登志子氏は欧州共通教科書がアレクサンドロスの征服を過大評価していると批判していた。数年前に読んだ『ギリシア人の物語』(塩野七生)のアレクサンドロスは魅力的だった。日本の研究者はアレクサンドロスをどう捉えているか気になり、未読棚に積んでいた次の本を読んだ。
『アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史) 』(森谷公俊/講談社学術文庫)
本書の原本は2007年刊行、学術文庫になったのは2016年である。本書を読み進めながら、もっと早く読んでおくべきだったと思った。私が把握したかった「西欧中心史観の見直し」をかなり明確に提示しているからである。
著者は「高校の世界史教科書では、古代ギリシア史と古代オリエント史は別々の頁に記述され、両者がまったく別世界であったような印象を与える」と指摘している。また、19世紀に登場したヘレニズム概念にはギリシア過大評価が内包されているとしている。アレクサンドロスに関しては肯定面と否定面の両方を掘り下げている。
著者独自の見解も多いだろうが、本書のベースは現代日本の研究者の多くが共有している見解かもしれない。私には目から鱗の新鮮な歴史像である。
アレクサンドロスは遠征先の各地に都市アレクサンドリアを建設し、ギリシア人だけでなく地元住民も住まわせ、ペルシア人貴族を高官に採用した。これらの施策を同化・融合政策と見るのは間違い――それが著者の見解である。
都市建設の目的は軍事拠点の確保だった。周辺の町を破壊して新たな都市を建設し、捕虜住民を強制移住させたケースもある。都市常駐のギリシア兵は置き去りにされたにすぎない。ペルシア人高官に与えられた権限は限定的で、その行政はしばしば悪政になった。アレクサンドロスの死後、自然消滅したり放棄された都市が多かった。
著者は次のように述べている。
「大王がギリシア文化を広めたり、民族の融合を図るためにアレクサンドリアを建設したという従来の説明は、まったくの幻想にすぎないのである。」
ヘレニズムに関しては、ガンダーラ美術の検討が興味深い。ガンダーラで仏像が作られるのはギリシア人支配から年月が経った1世紀後半頃で、ギリシア、イラン、ローマの様式と技法が用いられている。ローマはギリシアの影響を受けている。ガンダーラへのギリシアの影響は実はローマ経由だった、と見なす説が有力だそうだ。
ガンダーラ美術は「ギリシア起源」ではなく「ローマ起源」という説には驚いた。よく考えると、以前に読んだ『シルクロードとローマ帝国の興亡』(井上文則)の内容に合致する。1世紀後半頃のローマは中央アジアとの交易が盛んだった、という井上文則氏説をふまえると、ガンダーラ美術のローマ起源説が納得できる。
『アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史) 』(森谷公俊/講談社学術文庫)
本書の原本は2007年刊行、学術文庫になったのは2016年である。本書を読み進めながら、もっと早く読んでおくべきだったと思った。私が把握したかった「西欧中心史観の見直し」をかなり明確に提示しているからである。
著者は「高校の世界史教科書では、古代ギリシア史と古代オリエント史は別々の頁に記述され、両者がまったく別世界であったような印象を与える」と指摘している。また、19世紀に登場したヘレニズム概念にはギリシア過大評価が内包されているとしている。アレクサンドロスに関しては肯定面と否定面の両方を掘り下げている。
著者独自の見解も多いだろうが、本書のベースは現代日本の研究者の多くが共有している見解かもしれない。私には目から鱗の新鮮な歴史像である。
アレクサンドロスは遠征先の各地に都市アレクサンドリアを建設し、ギリシア人だけでなく地元住民も住まわせ、ペルシア人貴族を高官に採用した。これらの施策を同化・融合政策と見るのは間違い――それが著者の見解である。
都市建設の目的は軍事拠点の確保だった。周辺の町を破壊して新たな都市を建設し、捕虜住民を強制移住させたケースもある。都市常駐のギリシア兵は置き去りにされたにすぎない。ペルシア人高官に与えられた権限は限定的で、その行政はしばしば悪政になった。アレクサンドロスの死後、自然消滅したり放棄された都市が多かった。
著者は次のように述べている。
「大王がギリシア文化を広めたり、民族の融合を図るためにアレクサンドリアを建設したという従来の説明は、まったくの幻想にすぎないのである。」
ヘレニズムに関しては、ガンダーラ美術の検討が興味深い。ガンダーラで仏像が作られるのはギリシア人支配から年月が経った1世紀後半頃で、ギリシア、イラン、ローマの様式と技法が用いられている。ローマはギリシアの影響を受けている。ガンダーラへのギリシアの影響は実はローマ経由だった、と見なす説が有力だそうだ。
ガンダーラ美術は「ギリシア起源」ではなく「ローマ起源」という説には驚いた。よく考えると、以前に読んだ『シルクロードとローマ帝国の興亡』(井上文則)の内容に合致する。1世紀後半頃のローマは中央アジアとの交易が盛んだった、という井上文則氏説をふまえると、ガンダーラ美術のローマ起源説が納得できる。
20年前のTV番組『文明の道』は面白そうだ ― 2023年05月05日
20年前に放映されたNHKスペシャル『文明の道』という番組が以前から気になっていた。放映日とタイトルは以下の通りだ。
2003/4/20放送 第1集「アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦」
2003/5/18放送 第2集「アレクサンドロスの遺産 最果てのギリシャ都市」
2003/6/15放送 第3集「ガンダーラ・仏教飛翔の地」
2003/7/20放送 第4集「地中海帝国ローマ 東方への夢」
2003/9/14放送 第5集「シルクロードの謎 隊商の民 ソグド」
2003/10/12放送 第6集「バグダッド 大いなる知恵の都」
2003/11/16放送 第7集「エルサレム 和平・若き皇帝の決断」
2003/12/14放送 第8集「クビライの夢 ユーラシア帝国の完成」
紀元前4世紀のアレクサンドロスの遠征から14世紀のモンゴル帝国に至る千数百年の東西文明交流を描いた番組である。現在の私の関心領域に合致する興味深いテーマだ。20年前には歴史にさほどの関心はなく、この番組の存在も知らなかった。
再放送があれば観たいと思っていたが、その気配はない。この番組が書籍化されていると知り、全5巻を古書で入手した。第1集と第8集は1冊、他は2集分が1冊だから全5巻である。
写真を多く収録した読みやすそうな本だ。番組を観る代替に本書を読もうと思い、念のため、再放送予定を再度検索した。この番組がNHKオンデマンド(有料)で視聴できるとわかった。
多少のコストはかかっても、やはり番組を観たうえで読む方が気分が高まる。だが、番組表をよく見ると、オンデマンドで視聴できるのは第7集までで、第8集が入っていない。不思議だ。何らかの事情があるのだろうか。
最終回はダメでも、これからオンデマンドで番組を1本ずつ観ながら本書を読み進めようと思っている。
【追記】
上記のブログを書いた翌日、『文明の道』全5冊をパラパラめくっていて、最終巻だけ既読の形跡があるのに気づいた(古書5冊は時をおいてバラバラに入手した)。読書記録を調べると一昨年末に読了し、ブログに読後感を書いている。そのとき、オンデマンドでこの番組が視聴可能なのに第8集のみが視聴できないことも確認している。そんな一昨年のことをすっかり失念していた。毎度のことながら、わが忘却力に感心する。少しでも記憶にとどめるために読後感を書いているのだが……。
2003/4/20放送 第1集「アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦」
2003/5/18放送 第2集「アレクサンドロスの遺産 最果てのギリシャ都市」
2003/6/15放送 第3集「ガンダーラ・仏教飛翔の地」
2003/7/20放送 第4集「地中海帝国ローマ 東方への夢」
2003/9/14放送 第5集「シルクロードの謎 隊商の民 ソグド」
2003/10/12放送 第6集「バグダッド 大いなる知恵の都」
2003/11/16放送 第7集「エルサレム 和平・若き皇帝の決断」
2003/12/14放送 第8集「クビライの夢 ユーラシア帝国の完成」
紀元前4世紀のアレクサンドロスの遠征から14世紀のモンゴル帝国に至る千数百年の東西文明交流を描いた番組である。現在の私の関心領域に合致する興味深いテーマだ。20年前には歴史にさほどの関心はなく、この番組の存在も知らなかった。
再放送があれば観たいと思っていたが、その気配はない。この番組が書籍化されていると知り、全5巻を古書で入手した。第1集と第8集は1冊、他は2集分が1冊だから全5巻である。
写真を多く収録した読みやすそうな本だ。番組を観る代替に本書を読もうと思い、念のため、再放送予定を再度検索した。この番組がNHKオンデマンド(有料)で視聴できるとわかった。
多少のコストはかかっても、やはり番組を観たうえで読む方が気分が高まる。だが、番組表をよく見ると、オンデマンドで視聴できるのは第7集までで、第8集が入っていない。不思議だ。何らかの事情があるのだろうか。
最終回はダメでも、これからオンデマンドで番組を1本ずつ観ながら本書を読み進めようと思っている。
【追記】
上記のブログを書いた翌日、『文明の道』全5冊をパラパラめくっていて、最終巻だけ既読の形跡があるのに気づいた(古書5冊は時をおいてバラバラに入手した)。読書記録を調べると一昨年末に読了し、ブログに読後感を書いている。そのとき、オンデマンドでこの番組が視聴可能なのに第8集のみが視聴できないことも確認している。そんな一昨年のことをすっかり失念していた。毎度のことながら、わが忘却力に感心する。少しでも記憶にとどめるために読後感を書いているのだが……。
アレクサンドロスを描いた『文明の道①』は番組とはトーンが異なる ― 2023年05月07日
20年前のテレビ番組「文明の道 第1集:アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦」をオンデマンドで観て、この番組の書籍版を読んだ。
『文明の道① アレクサンドロスの時代』(森谷公俊・他/NHK出版/2003.4)
実は、先日読んだ『アレクサンドロスの征服と神話 』(森谷公俊)の冒頭で著者はこの番組に言及している。アレクサンドロスを多大な犠牲も顧みずに突き進む侵略者とみなす見方を示したうえで、次のように述べている。
「これとはまったく対照的に、アレクサンドロスを、諸民族・諸文明の共存と融合を目指した偉大な先駆者として描く見方もある。たとえば、2003年4月20日に放送された、NHKスペシャル『文明の道』がそうだ。第1集のこの日は「アレクサンドロスの時代」と題し、大王の東方遠征とオリエント世界のかかわりを主題としていた。」
アレクサンドロスの否定面も見据える森谷氏は、この番組を西欧中心的な見方として批判しているようにも見える。だが、森谷氏は番組のテロップで「資料提供者」の筆頭に氏名が出ている。書籍版ではメイン記事の監修者であり、記事も寄稿している。
要は、番組と書籍ではトーンが少し異なるのだ。番組はアレクサンドロスの肯定的な面を中心に取り上げている。だが、書籍はより幅広い視点でアレクサンドロスを相対化している。50分という枠の制約もあるだろうが、番組はあくまで番組スタッフが制作したものである、森谷氏は単に資料を提供しただけかもしれない。
『文明の道』という番組は「文明の衝突」へのアンチテーゼとして、対立の克服、共存・協調を探るのがテーマのようだ。そのコンセプトに沿って、アレクサンドロスがオリエント世界との融合や交流を図った面を強調した内容になったのだと思う。
書籍は単に番組を活字化しただけではなく、多くの研究者の多様な記事を収録している。番組より深くて広い。本書収録の記事で森谷氏は次のように述べている。
「アレクサンドロスは東西文明の融合という大理想をかかげて東方遠征を行った――。これは、かつて幾度となく繰り返された常套句である。高邁な理念を追及しながら、志なかばで倒れた若きアレクサンドロス。(…)このような大王像は、近代の研究者が作り上げた虚像にすぎず、実証的な根拠を欠いたものである。(…)結局アレクサンドロスの帝国は、あくまでも彼一人の帝国であった。(…)そこでは大王への忠誠心だけが体制の絆となる。それは「アレクサンドロスただ一人の帝国」と呼ぶしかない国家であった。」
『文明の道① アレクサンドロスの時代』(森谷公俊・他/NHK出版/2003.4)
実は、先日読んだ『アレクサンドロスの征服と神話 』(森谷公俊)の冒頭で著者はこの番組に言及している。アレクサンドロスを多大な犠牲も顧みずに突き進む侵略者とみなす見方を示したうえで、次のように述べている。
「これとはまったく対照的に、アレクサンドロスを、諸民族・諸文明の共存と融合を目指した偉大な先駆者として描く見方もある。たとえば、2003年4月20日に放送された、NHKスペシャル『文明の道』がそうだ。第1集のこの日は「アレクサンドロスの時代」と題し、大王の東方遠征とオリエント世界のかかわりを主題としていた。」
アレクサンドロスの否定面も見据える森谷氏は、この番組を西欧中心的な見方として批判しているようにも見える。だが、森谷氏は番組のテロップで「資料提供者」の筆頭に氏名が出ている。書籍版ではメイン記事の監修者であり、記事も寄稿している。
要は、番組と書籍ではトーンが少し異なるのだ。番組はアレクサンドロスの肯定的な面を中心に取り上げている。だが、書籍はより幅広い視点でアレクサンドロスを相対化している。50分という枠の制約もあるだろうが、番組はあくまで番組スタッフが制作したものである、森谷氏は単に資料を提供しただけかもしれない。
『文明の道』という番組は「文明の衝突」へのアンチテーゼとして、対立の克服、共存・協調を探るのがテーマのようだ。そのコンセプトに沿って、アレクサンドロスがオリエント世界との融合や交流を図った面を強調した内容になったのだと思う。
書籍は単に番組を活字化しただけではなく、多くの研究者の多様な記事を収録している。番組より深くて広い。本書収録の記事で森谷氏は次のように述べている。
「アレクサンドロスは東西文明の融合という大理想をかかげて東方遠征を行った――。これは、かつて幾度となく繰り返された常套句である。高邁な理念を追及しながら、志なかばで倒れた若きアレクサンドロス。(…)このような大王像は、近代の研究者が作り上げた虚像にすぎず、実証的な根拠を欠いたものである。(…)結局アレクサンドロスの帝国は、あくまでも彼一人の帝国であった。(…)そこでは大王への忠誠心だけが体制の絆となる。それは「アレクサンドロスただ一人の帝国」と呼ぶしかない国家であった。」
『文明の道③』はバクトリアとクシャン朝の話 ― 2023年05月09日
20年前のテレビ番組「文明の道」の「第2集 アレクサンドロスの遺産 最果てのギリシャ都市」「第3集 ガンダーラ・仏教飛翔の地」をオンデマンドで観て、この番組の書籍版を読んだ。
『文明の道② ヘレニズムと仏教』(前田耕作・小谷仲男・他/NHK出版/2003.7)
本書が扱うのはバクトリア王国とクシャン朝のガンダーラである。
バクトリア王国はセレウコス朝から独立したギリシア系国家である。BC3世紀半ばからBC2世紀頃まで、現在のアフガニスタン北部にあった。グレコ・バクトリアとも呼ぶヘレニズム国家だ。
クシャン朝は遊牧民族クシャン人(前身はイラン系の大月氏)が1~3世紀に中央アジアから西北インドに建てた王朝である。地理的にはバクトリアに重なる。2世紀のカニシカ王が仏教を保護、ガンダーラ美術が発達したことで知られる。
私がバクトリア王国を知ったのは、4年前に『バクトリア王国の興亡』を読んだときである。と言っても「遺跡や遺物が少なく、わからないことが多い」と知っただけのように思う。
アフガニスタン北部のアイ・ハヌム遺跡はバクトリア王国の主要都市でアレクサンドリアのひとつとされている。この遺跡は1964年に発掘が始まったが、1978年のソ連軍アフガニスタン侵攻で中断した。
番組が放送された2003年は、米国がフセイン政権のイラクを攻撃した年で、アフガニスタンはタリバン(2001年にバーミアンの大仏を破壊)掃討後の国家再建途上だった。
取材班が伝えるアイ・ハヌム遺跡やカーブル国立博物館の現状(2003年当時)は悲惨である。破壊と略奪の跡に今も昔も変わらぬ人類の愚かさを感じた。本書は博物館の再建を期して「再びアフガニスタンの素晴らしい美術品が見られるようになるのも、そう遠い日ではなかろう」と述べている。20年後の現在、その日はまだ遠い。
クシャン朝の仏教に関しては、仏像の出現に関する考察もあるが、新たに発見された教典の話が興味深い。大乗仏教はこの地で生まれたのかもしれないのだ。
蛇足だが、取材班がアレクサンドリアを探すなかで、タジキスタンのホジェンドが少しだけ登場する。私は4年前、最果てのアレクサンドリアとされるホジェンドを訪問したので、町の映像に懐かしさを感じた。この地の博物館にアレクサンドロスの生涯を描いた壁画(最近の制作)があった。取材班はホジェンドでアレクサンドリアの痕跡を探索するが、古代の城壁(私も見た)があるだけで、アレクサンドリアの遺跡などは見つからない。
大半のアレクサンドリアが、大王の死後早々に放棄された幻想の都市だった、ということなのだと思う。
『文明の道② ヘレニズムと仏教』(前田耕作・小谷仲男・他/NHK出版/2003.7)
本書が扱うのはバクトリア王国とクシャン朝のガンダーラである。
バクトリア王国はセレウコス朝から独立したギリシア系国家である。BC3世紀半ばからBC2世紀頃まで、現在のアフガニスタン北部にあった。グレコ・バクトリアとも呼ぶヘレニズム国家だ。
クシャン朝は遊牧民族クシャン人(前身はイラン系の大月氏)が1~3世紀に中央アジアから西北インドに建てた王朝である。地理的にはバクトリアに重なる。2世紀のカニシカ王が仏教を保護、ガンダーラ美術が発達したことで知られる。
私がバクトリア王国を知ったのは、4年前に『バクトリア王国の興亡』を読んだときである。と言っても「遺跡や遺物が少なく、わからないことが多い」と知っただけのように思う。
アフガニスタン北部のアイ・ハヌム遺跡はバクトリア王国の主要都市でアレクサンドリアのひとつとされている。この遺跡は1964年に発掘が始まったが、1978年のソ連軍アフガニスタン侵攻で中断した。
番組が放送された2003年は、米国がフセイン政権のイラクを攻撃した年で、アフガニスタンはタリバン(2001年にバーミアンの大仏を破壊)掃討後の国家再建途上だった。
取材班が伝えるアイ・ハヌム遺跡やカーブル国立博物館の現状(2003年当時)は悲惨である。破壊と略奪の跡に今も昔も変わらぬ人類の愚かさを感じた。本書は博物館の再建を期して「再びアフガニスタンの素晴らしい美術品が見られるようになるのも、そう遠い日ではなかろう」と述べている。20年後の現在、その日はまだ遠い。
クシャン朝の仏教に関しては、仏像の出現に関する考察もあるが、新たに発見された教典の話が興味深い。大乗仏教はこの地で生まれたのかもしれないのだ。
蛇足だが、取材班がアレクサンドリアを探すなかで、タジキスタンのホジェンドが少しだけ登場する。私は4年前、最果てのアレクサンドリアとされるホジェンドを訪問したので、町の映像に懐かしさを感じた。この地の博物館にアレクサンドロスの生涯を描いた壁画(最近の制作)があった。取材班はホジェンドでアレクサンドリアの痕跡を探索するが、古代の城壁(私も見た)があるだけで、アレクサンドリアの遺跡などは見つからない。
大半のアレクサンドリアが、大王の死後早々に放棄された幻想の都市だった、ということなのだと思う。
『文明の道③』で4年前のソグディアナ訪問がよみがえった ― 2023年05月11日
20年前のテレビ番組「文明の道」の「第4集 地中海帝国ローマ 東方への夢」「第5集 シルクロードの謎 隊商の民ソグド」をオンデマンドで観て、この番組の書籍版を読んだ。
『文明の道③ 海と陸のシルクロード』(本村凌二・蔀勇造・吉田豊・他/NHK出版/2003.10)
本書のテーマはシルクロードである。シルクロードは私の関心分野で、多少の解説書を読んできた。私の知っている事項も多いが新たな知見もあった。
前半の海のシルクロードは、ローマから見た交易の話である。パルティアの勃興によって陸路の交易が困難になったローマは、紅海からインドへの海路に頼るようになったという話である。海路といっても、まだスエズ運河はないので、エジプトのアレクサンドリアから紅海までは陸路やナイル河を利用する。
このルートについては、2年前に読んだ『シルクロードとローマ帝国の興亡』(井上文則)で、その重要性を認識した。井上氏の著書は、このルートの目詰まりをローマ帝国滅亡に結びつけていた。20年前の番組はそこまでは踏み込んでいない。
後半はシルクロードの支配者と言われるソグド人の話である。現在の高校世界史にはソグド人が出てくるそうだが、私が知ったのは5年ほど前だ。それ以来、ソグド人に関する資料をボチボチ集めてきた。4年前にはソグド人の故地ソグディアナへのツアーに参加、ソグド人の古都ペンジケント遺跡を見学した。
第5集を観て本書を読み、もっと早くこの番組と本書に接していればと思った。
本書収録の「ソグド人の世界」(吉田豊)という記事がとてもわかりやすい。吉田氏の書いたものはいくつか読んでいるし、講演を聞いたこともある。20年前の本書できちんと基礎知識を得ていれば、より効率的に勉強できただろうと悔やまれた。
CGによるペンジケント復元にも驚いた。私が訪れたペンジケントは荒涼とした所だった。一見すると何も残っていないように思える遺跡である。CGは、そん遺跡に遠い昔の都市が賑わっている姿を重ねて見せてくれる。息をのむ思いがした。現地に行く前に観ておきたかった。
番組にはエルミタージュ美術館のマルシャークという研究者が登場し、ペンジケント遺跡について語る。この場面にも感動した。
無人のペンジケント遺跡の入口には、白い柵で囲った墓があった。この遺跡を研究したロシアの考古学者の墓だと聞き、写真に撮った。後日、『エルミタージュ美術館』という本に収録されているソグドに関する記事を読んでいて、その筆者がマルシャークという名で、あの墓の主と合致すると気づいた。そして、この人の名が記憶に残った。
テレビ画面に、名前を知っているだけの学者が不意打ちのように動画で現れたときは驚いた。彼方の地の墓にひっそり眠っている人が、目の前で穏やかに話している姿に遭遇し、古い知人に出会った気分になった。
『文明の道③ 海と陸のシルクロード』(本村凌二・蔀勇造・吉田豊・他/NHK出版/2003.10)
本書のテーマはシルクロードである。シルクロードは私の関心分野で、多少の解説書を読んできた。私の知っている事項も多いが新たな知見もあった。
前半の海のシルクロードは、ローマから見た交易の話である。パルティアの勃興によって陸路の交易が困難になったローマは、紅海からインドへの海路に頼るようになったという話である。海路といっても、まだスエズ運河はないので、エジプトのアレクサンドリアから紅海までは陸路やナイル河を利用する。
このルートについては、2年前に読んだ『シルクロードとローマ帝国の興亡』(井上文則)で、その重要性を認識した。井上氏の著書は、このルートの目詰まりをローマ帝国滅亡に結びつけていた。20年前の番組はそこまでは踏み込んでいない。
後半はシルクロードの支配者と言われるソグド人の話である。現在の高校世界史にはソグド人が出てくるそうだが、私が知ったのは5年ほど前だ。それ以来、ソグド人に関する資料をボチボチ集めてきた。4年前にはソグド人の故地ソグディアナへのツアーに参加、ソグド人の古都ペンジケント遺跡を見学した。
第5集を観て本書を読み、もっと早くこの番組と本書に接していればと思った。
本書収録の「ソグド人の世界」(吉田豊)という記事がとてもわかりやすい。吉田氏の書いたものはいくつか読んでいるし、講演を聞いたこともある。20年前の本書できちんと基礎知識を得ていれば、より効率的に勉強できただろうと悔やまれた。
CGによるペンジケント復元にも驚いた。私が訪れたペンジケントは荒涼とした所だった。一見すると何も残っていないように思える遺跡である。CGは、そん遺跡に遠い昔の都市が賑わっている姿を重ねて見せてくれる。息をのむ思いがした。現地に行く前に観ておきたかった。
番組にはエルミタージュ美術館のマルシャークという研究者が登場し、ペンジケント遺跡について語る。この場面にも感動した。
無人のペンジケント遺跡の入口には、白い柵で囲った墓があった。この遺跡を研究したロシアの考古学者の墓だと聞き、写真に撮った。後日、『エルミタージュ美術館』という本に収録されているソグドに関する記事を読んでいて、その筆者がマルシャークという名で、あの墓の主と合致すると気づいた。そして、この人の名が記憶に残った。
テレビ画面に、名前を知っているだけの学者が不意打ちのように動画で現れたときは驚いた。彼方の地の墓にひっそり眠っている人が、目の前で穏やかに話している姿に遭遇し、古い知人に出会った気分になった。
『文明の道④』は円城都市とフリードリッヒ2世が焦点 ― 2023年05月13日
20年前のテレビ番組「文明の道」の「第6集 バグダッド 大いなる知恵の都」
「第7集 エルサレム 和平・若き皇帝の決断」をオンデマンドで観て、この番組の書籍版を読んだ。
『文明の道④ イスラムと十字軍』(清水和裕・高山博・他/NHK出版/2004.1)
本のタイトルは「イスラムと十字軍」だ。しかし、イスラムや十字軍の全体像の概説ではなく、テーマを絞っている。前半(番組の第6集に対応)はアッバース朝の首都バグダッドに存在した「円城都市」復元がメイン、後半(番組の第7集に対応)は神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世が主役である。どちらもユニークな視点だ。
アッバース朝第2代カリフのマンスールがイラク平原に建設した新都市バグダッドは「平安の都」と言われた。それは直径2.5キロメートル余の真円の円城都市だった。イスラム史のいくつかの概説書に円城都市のことは出てくるので、バグダッドにその遺跡か痕跡はあるのだろうと思っていた。
この番組を観て、8世紀半ばに日乾煉瓦で構築した円城都市は完全に消失し、その正確な位置も特定されていないと知った。番組では、学者たちが衛星写真などを使って場所を特定し、CGで巨大な円城都市を復元する。見応えのある映像である。
この円城都市がなぜ見捨てられたのか、その理由がいまひとつわからない。
イスラムにおけるギリシア古典の翻訳運動も取り上げているが、やや中途半端に感じた。ルネサンスにつながる重要な活動だと思うので、もっと掘り下げてほしかった。
後半のフリードリッヒ2世の話は感動モノである。私は、5年前に塩野七生の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を読んでこの人物のファンになった。
アラビア語やギリシア語など7カ国語をあやつる近代的精神の神聖ローマ帝国皇帝で、教皇とことごとく対立する。十字軍としてエルサレム奪還に出陣し、戦火を交えることなくスルタンとの交渉でエルサレムを取り戻し、そこを平和共存の地とする。教皇は怒り、フリードリッヒ2世に対する十字軍を組織する……いやはや、という話である。
フリードリッヒ2世は高校の世界史には登場しない。一般的な歴史概説書に取り上げられることもあまりないと思う。20年前にこんな番組があったとは知らなかった。
本書収録の「フリードリッヒ2世と十字軍」(高山博)という記事が面白い。このなかで高山氏(『中世シチリア王国』の著者)は次のように述懐している。
「中世ヨーロッパに生きた人間の中で私が最も興味をひかれ、いつの日かその伝記を書いてみたいと密かに熱望している人物の1人が、このフリードリッヒ(フェデリーコ)2世である。」
その熱望は20年後の現在、まだ実現していないようだ。10年前の塩野氏の伝記小説が影響しているのだろうか。
『文明の道④ イスラムと十字軍』(清水和裕・高山博・他/NHK出版/2004.1)
本のタイトルは「イスラムと十字軍」だ。しかし、イスラムや十字軍の全体像の概説ではなく、テーマを絞っている。前半(番組の第6集に対応)はアッバース朝の首都バグダッドに存在した「円城都市」復元がメイン、後半(番組の第7集に対応)は神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世が主役である。どちらもユニークな視点だ。
アッバース朝第2代カリフのマンスールがイラク平原に建設した新都市バグダッドは「平安の都」と言われた。それは直径2.5キロメートル余の真円の円城都市だった。イスラム史のいくつかの概説書に円城都市のことは出てくるので、バグダッドにその遺跡か痕跡はあるのだろうと思っていた。
この番組を観て、8世紀半ばに日乾煉瓦で構築した円城都市は完全に消失し、その正確な位置も特定されていないと知った。番組では、学者たちが衛星写真などを使って場所を特定し、CGで巨大な円城都市を復元する。見応えのある映像である。
この円城都市がなぜ見捨てられたのか、その理由がいまひとつわからない。
イスラムにおけるギリシア古典の翻訳運動も取り上げているが、やや中途半端に感じた。ルネサンスにつながる重要な活動だと思うので、もっと掘り下げてほしかった。
後半のフリードリッヒ2世の話は感動モノである。私は、5年前に塩野七生の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を読んでこの人物のファンになった。
アラビア語やギリシア語など7カ国語をあやつる近代的精神の神聖ローマ帝国皇帝で、教皇とことごとく対立する。十字軍としてエルサレム奪還に出陣し、戦火を交えることなくスルタンとの交渉でエルサレムを取り戻し、そこを平和共存の地とする。教皇は怒り、フリードリッヒ2世に対する十字軍を組織する……いやはや、という話である。
フリードリッヒ2世は高校の世界史には登場しない。一般的な歴史概説書に取り上げられることもあまりないと思う。20年前にこんな番組があったとは知らなかった。
本書収録の「フリードリッヒ2世と十字軍」(高山博)という記事が面白い。このなかで高山氏(『中世シチリア王国』の著者)は次のように述懐している。
「中世ヨーロッパに生きた人間の中で私が最も興味をひかれ、いつの日かその伝記を書いてみたいと密かに熱望している人物の1人が、このフリードリッヒ(フェデリーコ)2世である。」
その熱望は20年後の現在、まだ実現していないようだ。10年前の塩野氏の伝記小説が影響しているのだろうか。
花園神社境内で紅テントの芝居『透明人間』を観た ― 2023年05月15日
新宿・花園神社で劇団唐組公演『透明人間』(作:唐十郎、演出:久保井研+唐十郎、出演:久保井研、稲荷卓央、藤井由紀、福原由加里、大鶴美仁音、全原徳和、岡田優、他)を観た。
状況劇場以来の紅テントの桟敷席である。ほぼ満席だが、あぐらをかくことはできた。往年の体育座りギュウギュウすし詰めに比べれば、多少の余裕はある。でも、高齢者には辛い。腰も足も痛くなる。若い頃は、窮屈な姿勢の観劇も耐えられたが……。
何歳までテント桟敷観劇に耐えられるだろうと客席を見回した。私のように半世紀前は20代だったとおぼしき高齢者がちらほらいるが、若者も中年もいる。観客の年齢層がバラけている。唐十郎作品の観客の新陳代謝が進んでいるのだと思う。
『透明人間』は、私には初見の芝居である。「透明な人間」よりは「恐水症=狂犬病」「水中花」がモチーフで、例によって舞台に水が飛び跳ねる。
舞台は焼き鳥屋の2階、テーブル席とカウンターと座敷がある。この空間で最後まで物語が進行する。1階に通じる階段とは別に、異界への出入り口が二つある。座敷にある押し入れとカウンターの奥の「池」である。なぜか、カウンターの奥は「池」なのだ。舞台上部を横断する樋から時おり「池」に水が落ちてくる。
芝居の筋を語るより、チラシ掲載の登場人物紹介の方が舞台をイメージしやすいと思う。だから、それを引き写す。
「田口:夏の保健所員」「上田:田口と賭けをした女コロガシ」「課長:狂った犬を探している小役人」「合田:焼きとり屋の押し入れに住む犬との同居人」「辻:時を賭ける調教師」「モモ:焼きとり屋の煙に包まれたベロニカ」「母親:マサヤを咬んだ男を追っている」「床屋:保健所のタイコもち」「出前:タヌキの出前先がわからない」「歯医者:出張してしまった」「白川:愛と孤独の女教師」「モモに似た女:モモの人生に潜り込む」「四人の客:飲んでいる時と飲んでいない時が分からない常連」「マサヤ:女教師を支える巷の哲人」
そんな雰囲気のこの芝居、ケレン味は比較的少なく、ラストの後日談的な語りがしみじみしている。唐十郎作品にしては意外だ。終幕の屋台崩しは、もう少し派手な演出でもいいのではと感じた。
状況劇場以来の紅テントの桟敷席である。ほぼ満席だが、あぐらをかくことはできた。往年の体育座りギュウギュウすし詰めに比べれば、多少の余裕はある。でも、高齢者には辛い。腰も足も痛くなる。若い頃は、窮屈な姿勢の観劇も耐えられたが……。
何歳までテント桟敷観劇に耐えられるだろうと客席を見回した。私のように半世紀前は20代だったとおぼしき高齢者がちらほらいるが、若者も中年もいる。観客の年齢層がバラけている。唐十郎作品の観客の新陳代謝が進んでいるのだと思う。
『透明人間』は、私には初見の芝居である。「透明な人間」よりは「恐水症=狂犬病」「水中花」がモチーフで、例によって舞台に水が飛び跳ねる。
舞台は焼き鳥屋の2階、テーブル席とカウンターと座敷がある。この空間で最後まで物語が進行する。1階に通じる階段とは別に、異界への出入り口が二つある。座敷にある押し入れとカウンターの奥の「池」である。なぜか、カウンターの奥は「池」なのだ。舞台上部を横断する樋から時おり「池」に水が落ちてくる。
芝居の筋を語るより、チラシ掲載の登場人物紹介の方が舞台をイメージしやすいと思う。だから、それを引き写す。
「田口:夏の保健所員」「上田:田口と賭けをした女コロガシ」「課長:狂った犬を探している小役人」「合田:焼きとり屋の押し入れに住む犬との同居人」「辻:時を賭ける調教師」「モモ:焼きとり屋の煙に包まれたベロニカ」「母親:マサヤを咬んだ男を追っている」「床屋:保健所のタイコもち」「出前:タヌキの出前先がわからない」「歯医者:出張してしまった」「白川:愛と孤独の女教師」「モモに似た女:モモの人生に潜り込む」「四人の客:飲んでいる時と飲んでいない時が分からない常連」「マサヤ:女教師を支える巷の哲人」
そんな雰囲気のこの芝居、ケレン味は比較的少なく、ラストの後日談的な語りがしみじみしている。唐十郎作品にしては意外だ。終幕の屋台崩しは、もう少し派手な演出でもいいのではと感じた。
「文明の道」最終回と最終巻で考えたこと ― 2023年05月17日
20年前のテレビ番組「文明の道」の第1集から第7集までをオンデマンドで観て、番組に対応した書籍『文明の道』の1~4巻を読了した。残るのは最終回(第8集)と最終巻(第5巻)である。オンデマンドには、なぜか最終回がない。最終巻は2年前に読んでいたのを、すっかり失念していた。もちろん、内容もあまり憶えていない。
さて、どうしようかと思案しているとき、オンデマンド(有料)で提供していない最終回がYoutubeやニコニコ動画で視聴できるのに気づいた。もちろん無料だ。どうなっているのだ。
で、最終回の「第8集 クビライの夢・ユーラシア帝国の完成」をYoutubeで観て、書籍『文明の道』第5巻を再読することにした。
『文明の道⑤ モンゴル帝国』(杉山正明・弓場起知・他/NHK出版/2004.2)
2年前に読んだ本の再読である。忘れている事項が多いものの、読みながら記憶がよみがえってくることもあり、初読よりは読みやすい。
テーマはクビライの時代のモンゴル帝国である。チンギス・カンの遠征で始まるモンゴルは巨大な帝国を築き、5代目の皇帝クビライは南宋を滅ぼし、海路をひらく。
クビライ以前のモンゴル帝国は「陸の帝国」だったが、クビライ以降は「陸と海の帝国」となり、海上交易も盛んになる。「文明の道」最終回にふさわしく、ユーラシア大陸の東西にまたがる壮大な文明交流のイメージが浮かび上がる。
書籍の内容は番組より詳しい。写真や図表も多く、番組で流れた映像の大半を書籍で確認できる。「陸と海の帝国」の姿を把握するには書籍を読むだけで十分のように思える。だが、番組も観たくなる。なぜだろうか。
番組を観て書籍を読み、あらためて感じるのは、テレビ番組は物事を単純化しがちだということだ。そこに映像メディアの魅力があるとも言える。複雑でゴチャゴチャした事象を思い切りよくスパッと切り取り、わかりやすく映像で伝える――それは巧みな技術だと思う。
書籍は文章表現によって、ゴチャゴチャをゴチャゴチャのまま伝えることができる。「あれか? これか? それとも?」「あれも これも それだけでなく…」といった具合である。記述が詳細になることで、多面的で複雑になる。わかりやすくはない。
テレビ番組だと、ゴチャゴチャした歴史をすっきりしたイメージで捉えられる――あるいは、捉えた気分になれる。そのイメージはデフォルメされている可能性もあるが、記憶に焼き付きやすい。
世界史の教師が受験生に「歴史は細かく憶えて、大きくつかむ」とアドバイスしているのを読んだことがある。受験生に限らず、歴史を把握する要諦だと思う。細かい知識をアレコレ仕入れても、大きな流れのなかでの位置づけや意味を理解しなければ、わかったとは言えない。「すっきりと単純化したイメージ」を把むのは大切である。だが「大きな流れ」にも多様な見方があるのが曲者だ。そこに歴史の面白さがある。
要は、テレビ番組で仕入れた「すっきりしたイメージ」は、自分自身でくり返し検証し、更新しなけらば咀嚼できない。「複雑さ」に裏打ちされた「単純さ」を把まねばならないということである。やっかいな話だ。
今回の「文明の道」シリーズに関しては、書籍で知識を仕入れたうえで、番組を観ながら反芻・整理するのが正解かもしれない。私は観てから読んだのだが……。
さて、どうしようかと思案しているとき、オンデマンド(有料)で提供していない最終回がYoutubeやニコニコ動画で視聴できるのに気づいた。もちろん無料だ。どうなっているのだ。
で、最終回の「第8集 クビライの夢・ユーラシア帝国の完成」をYoutubeで観て、書籍『文明の道』第5巻を再読することにした。
『文明の道⑤ モンゴル帝国』(杉山正明・弓場起知・他/NHK出版/2004.2)
2年前に読んだ本の再読である。忘れている事項が多いものの、読みながら記憶がよみがえってくることもあり、初読よりは読みやすい。
テーマはクビライの時代のモンゴル帝国である。チンギス・カンの遠征で始まるモンゴルは巨大な帝国を築き、5代目の皇帝クビライは南宋を滅ぼし、海路をひらく。
クビライ以前のモンゴル帝国は「陸の帝国」だったが、クビライ以降は「陸と海の帝国」となり、海上交易も盛んになる。「文明の道」最終回にふさわしく、ユーラシア大陸の東西にまたがる壮大な文明交流のイメージが浮かび上がる。
書籍の内容は番組より詳しい。写真や図表も多く、番組で流れた映像の大半を書籍で確認できる。「陸と海の帝国」の姿を把握するには書籍を読むだけで十分のように思える。だが、番組も観たくなる。なぜだろうか。
番組を観て書籍を読み、あらためて感じるのは、テレビ番組は物事を単純化しがちだということだ。そこに映像メディアの魅力があるとも言える。複雑でゴチャゴチャした事象を思い切りよくスパッと切り取り、わかりやすく映像で伝える――それは巧みな技術だと思う。
書籍は文章表現によって、ゴチャゴチャをゴチャゴチャのまま伝えることができる。「あれか? これか? それとも?」「あれも これも それだけでなく…」といった具合である。記述が詳細になることで、多面的で複雑になる。わかりやすくはない。
テレビ番組だと、ゴチャゴチャした歴史をすっきりしたイメージで捉えられる――あるいは、捉えた気分になれる。そのイメージはデフォルメされている可能性もあるが、記憶に焼き付きやすい。
世界史の教師が受験生に「歴史は細かく憶えて、大きくつかむ」とアドバイスしているのを読んだことがある。受験生に限らず、歴史を把握する要諦だと思う。細かい知識をアレコレ仕入れても、大きな流れのなかでの位置づけや意味を理解しなければ、わかったとは言えない。「すっきりと単純化したイメージ」を把むのは大切である。だが「大きな流れ」にも多様な見方があるのが曲者だ。そこに歴史の面白さがある。
要は、テレビ番組で仕入れた「すっきりしたイメージ」は、自分自身でくり返し検証し、更新しなけらば咀嚼できない。「複雑さ」に裏打ちされた「単純さ」を把まねばならないということである。やっかいな話だ。
今回の「文明の道」シリーズに関しては、書籍で知識を仕入れたうえで、番組を観ながら反芻・整理するのが正解かもしれない。私は観てから読んだのだが……。
森部豊『唐』は「大唐帝国衰亡史」 ― 2023年05月19日
今年3月に出た次の新書を興味深く読んだ。
『唐:東ユーラシアの大帝国』(森部豊/中公新書)
私は数年前、ソグド人への関心から、森部豊氏の『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』と『安禄山:「安史の乱」を起こしたソグド人』を読んだ。本書はソグド人へ目配りした唐の概説だろうと予感した。ソグド系突厥が活躍する期待通りの内容だった。
唐に関しては、この数年で何冊かの概説書(森安孝夫『シルクロードと唐帝国』、石田幹之助『大唐の春』、宮崎市定『大唐帝国』、礪波護・他『隋唐帝国と古代朝鮮』)を読んだ。一度読んだだけで内容は霞んでいるが、多少のイメージは残っている。
唐史の復習気分で本書を読み始めたが、生易しくはなかった。中盤を過ぎると未知の地名・人名が頻出し、かなり手こずった。
私の頭の中の唐は高祖(李淵)、太宗(李世民)、武則天、玄宗、楊貴妃、安禄山らが活躍する世界であり、そこに李白、杜甫、玄奘、遣唐使らが色取りを添える。安史の乱(755-757) から黄巣の乱(875-874)、唐滅亡(907)まで150年の出来事はあまり頭に入っていない。概説書の多くも安史の乱以降は駆け足記述になっている。
本書は安史の乱から唐滅亡まで150年間の政治を周辺地域との外交関係を絡めて詳述している。皇帝と宦官と藩鎮(節度使)の勢力争いが目まぐるしく、周辺地域との関係もダイナミックに変化する。私の知らなかった事項が大半で、未知の固有名詞が続出する。でも、面白い。まさに東ユーラシア世界のなかの「大唐帝国衰亡史」である。
唐朝の最盛期、東ユーラシアに君臨する国際性豊かな大帝国だった。しかし、衰退期になると漢族と非漢族の対立から「華夷思想」が生まれる。興隆期は寛容で開放的だが衰退期になると非寛容で排外的――ローマ帝国に似ている。現代にも通じる傾向だ。
私は比較的最近になって、隋唐は鮮卑の拓跋氏がつくった「拓跋国家」だと知った。本書によれば「拓跋国家」説には異論もあるそうだ。しかし、隋唐が騎馬遊牧民の文化を色濃く継承していたのは確かである。
本書で私が初めて知った言葉が「河朔三鎮」である(後で調べると、以前に読んだ本にもあった。全く覚えていない)。安史の乱以降も河北の地で半独立王国を維持し続けた三つの節度使(幽州、成徳、魏博)の地を指す言葉で、本書後半に頻出する。その歴代節度使の多くが奚、契丹、ウイグル、ソグド系突厥の人々だったそうだ。
終章に「中央ユーラシア型国家」(森安孝夫氏が提唱)が出てくる。騎馬遊牧民が草原地帯に立脚しつつ農耕世界を安定的に支配するシステムを確立した国家のことだ(従来の「征服王朝」)。著者は「河朔三鎮」のノウハウが次の時代の「中央ユーラシア型国家」にとりこまれていったと見ている。本書は次の記述で締めくくられている。
「290年にわたり東ユーラシアの地に君臨した唐朝の歴史的存在意義の一つは、こうした中央ユーラシア型王朝(沙陀系の後唐や契丹国)を準備したことだったともいえるのである。」
『唐:東ユーラシアの大帝国』(森部豊/中公新書)
私は数年前、ソグド人への関心から、森部豊氏の『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』と『安禄山:「安史の乱」を起こしたソグド人』を読んだ。本書はソグド人へ目配りした唐の概説だろうと予感した。ソグド系突厥が活躍する期待通りの内容だった。
唐に関しては、この数年で何冊かの概説書(森安孝夫『シルクロードと唐帝国』、石田幹之助『大唐の春』、宮崎市定『大唐帝国』、礪波護・他『隋唐帝国と古代朝鮮』)を読んだ。一度読んだだけで内容は霞んでいるが、多少のイメージは残っている。
唐史の復習気分で本書を読み始めたが、生易しくはなかった。中盤を過ぎると未知の地名・人名が頻出し、かなり手こずった。
私の頭の中の唐は高祖(李淵)、太宗(李世民)、武則天、玄宗、楊貴妃、安禄山らが活躍する世界であり、そこに李白、杜甫、玄奘、遣唐使らが色取りを添える。安史の乱(755-757) から黄巣の乱(875-874)、唐滅亡(907)まで150年の出来事はあまり頭に入っていない。概説書の多くも安史の乱以降は駆け足記述になっている。
本書は安史の乱から唐滅亡まで150年間の政治を周辺地域との外交関係を絡めて詳述している。皇帝と宦官と藩鎮(節度使)の勢力争いが目まぐるしく、周辺地域との関係もダイナミックに変化する。私の知らなかった事項が大半で、未知の固有名詞が続出する。でも、面白い。まさに東ユーラシア世界のなかの「大唐帝国衰亡史」である。
唐朝の最盛期、東ユーラシアに君臨する国際性豊かな大帝国だった。しかし、衰退期になると漢族と非漢族の対立から「華夷思想」が生まれる。興隆期は寛容で開放的だが衰退期になると非寛容で排外的――ローマ帝国に似ている。現代にも通じる傾向だ。
私は比較的最近になって、隋唐は鮮卑の拓跋氏がつくった「拓跋国家」だと知った。本書によれば「拓跋国家」説には異論もあるそうだ。しかし、隋唐が騎馬遊牧民の文化を色濃く継承していたのは確かである。
本書で私が初めて知った言葉が「河朔三鎮」である(後で調べると、以前に読んだ本にもあった。全く覚えていない)。安史の乱以降も河北の地で半独立王国を維持し続けた三つの節度使(幽州、成徳、魏博)の地を指す言葉で、本書後半に頻出する。その歴代節度使の多くが奚、契丹、ウイグル、ソグド系突厥の人々だったそうだ。
終章に「中央ユーラシア型国家」(森安孝夫氏が提唱)が出てくる。騎馬遊牧民が草原地帯に立脚しつつ農耕世界を安定的に支配するシステムを確立した国家のことだ(従来の「征服王朝」)。著者は「河朔三鎮」のノウハウが次の時代の「中央ユーラシア型国家」にとりこまれていったと見ている。本書は次の記述で締めくくられている。
「290年にわたり東ユーラシアの地に君臨した唐朝の歴史的存在意義の一つは、こうした中央ユーラシア型王朝(沙陀系の後唐や契丹国)を準備したことだったともいえるのである。」
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