『ブレイキング・ザ・コード』のチューリングは溌剌としている2023年04月10日

 シアタートラムで『ブレイキング・ザ・コード』(作:ヒュー・ホワイトモア、訳:小田島創志、演出:稲葉賀恵、出演:亀田佳明・他)を観た。

 ナチスのエニグマ暗号を解読、コンピュータや人工知能の先駆的研究で知られる英国の数学者アラン・チューリングを描いた芝居である。

 私がチューリングの名を知ったのは約40年前、社会人になって始めたコンピュータの勉強の一環で情報科学の入門書(北川敏男著『情報科学的世界像』1977.6)を読んだときだ。この本に載っていたチューリングの端正な肖像写真が印象に残った。写真のキャプション「学界の期待をにないながら、謎の自殺」が焼き付いたのである。

 自殺の経緯を知ったのは、2014年公開の映画『イミテーション・ゲーム』を観たときだと思う(その前だったかもしれない…)。チューリングは同性愛者で、当時の英国で同性愛は犯罪だった(1967年まで)。1952年に同性愛行為で逮捕され、女性ホルモン投与治療を受ける。1954年に41歳で死去、検死で青酸カリによる自殺とされる。

 戦後、チューリングは大学に戻り、コンピュータ科学を開拓する卓越した研究を続ける。だが、エニグマ解読は長いあいだ国家機密だったので、当時の人々は、彼の多大な業績を知らなかった。

 映画『イミテーション・ゲーム』の冒頭は1952年のチューリング逮捕のシーンで、その取り調べの過程で過去のエニグマ解読の物語が展開していく。芝居『ブレイキング・ザ・コード』の冒頭も1952年の警察署での取り調べシーンだ。そこに過去の出来事が重なって来る。

 映画に似ていると感じたのは冒頭だけで、芝居は映画とは異なる切り口でチューリングを描いている。映画はエニグマ解読を巡る話がメインだが、芝居は同性愛を含めたチューリングの生活と真情に焦点をあてている。この芝居の初演は1986年(ロンドン)、芝居の方が映画よりかなり先なのだ。

 芝居のラストで、チューリングの死を事故死だと主張する母親が「あの子が、自殺する子に見えますか」と語る。観客は、この台詞に同感したくなる。この芝居のチューリングは、自己中心的であるにしても溌剌としている。同性愛に関しても悪びれる様子はあまりない。社会の桎梏に立ち向かっている闘士のようにも見える。そこに、上演の現代性を感じた。

 この芝居の翻訳者・小田島創志は、先日観た『グッドラック、ハリウッド』を翻訳した小田島恒志(小田島雄志の息子)の息子、つまり小田島雄志の孫だ。戯曲翻訳三代は素晴らしい。だが、何となく社会の流動性が失われつつあるようも感じる。小田島三代に何の咎もないが。

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