ビザンツ帝国はいつ滅亡したのか?2022年07月23日

『ビザンツ帝国:千年の興亡と皇帝たち』(中谷功治/中公新書/2020.6)
 私はローマ帝国を継承したビザンツ帝国(東ローマ帝国)の歴史をよく把握していない。頭の中で不鮮明に霞んでいる。ローマ史関連の本をかなり読んできたので、西ローマ帝国滅亡(476年)までの歴史の流れは多少はイメージできる。だが、西ローマ帝国滅亡の後1000年も持続したビザンツ帝国の歴史がイメージできないのだ(コンスタンティノープル陥落は1453年)。で、ビザンツ帝国の歴史の概要を把握しようと思い、次の新書を読んだ。

 『ビザンツ帝国:千年の興亡と皇帝たち』(中谷功治/中公新書/2020.6)

 本書は一般向け概説書だが教科書的な通史ではない。いくつかのテーマを中心に年代を進めながらビザンツ帝国の様子を語っている。また、従来の研究成果や最新の研究動向を紹介しつつ著者の見解も表明している。私には馴染みの薄い分野の研究者たちの世界を垣間見た気がして面白かった。

 ビザンツ史には「マケドニア・ルネサンス」という言葉があるそうだ。9世紀中頃から10世紀までの文芸復興を指すが、最近では「ルネサンス」という派手な表現に慎重な動きが出ているそうだ。研究者たちが何でも「ルネサンス」と称する「使いたい放題」への反省らしい。「社会的流動」という言葉も使われ過ぎらしい。研究者には、自分の研究している時代が活気のない閉塞的な社会だと認めたくない傾向があるそうだ。面白い指摘である。

 著者はビザンツ皇帝の嚆矢をコンスタンティヌス1世(大帝:在324-337)としている。西ローマ帝国滅亡の150年前にビザンツ帝国はスタートし、1000年以上存続したわけだ。この間の皇帝の数は約90名で、本書はそのすべてのリストを分割して掲載している。このリストでは簒奪帝に*を付している。数えてみると簒奪帝は30人だ。かなりの頻度の政変に思える。

 私は特に根拠なく、ビザンツ皇帝を文弱で狡猾な専制君主のようにイメージしていた。本書を読んで、ビザンツ皇帝の大半が軍人で自ら遠征を指揮した皇帝も多いのが意外だった。

 ビザンツ皇帝は自身を「ローマ皇帝」としていたが、7世紀には公用語がギリシア語になる。実質は多民族の帝国だったようだ。本書で興味深く感じたのは、ビザンツ帝国の知識人フォティオスがヘロドトスの『歴史』をペルシア人の「王(バシレウス)」たちの物語として読んでいたという話である。当時の世界の中心が東方寄りだったのだと思われる。

 本書の著者はビザンツ帝国は1204年に消滅したと見なしている。この年、第4回十字軍の攻撃でコンスタンティノープルが陥落し、ラテン帝国が成立する。ラテン帝国はすぐに滅亡し、ミカエル8世パライオロゴスがビザンツ皇帝となり、パライオロゴス朝が発足し、1453年まで続く。200年以上続いたこの王朝は群雄のひとつにすぎず、すでに「帝国」ではなかった――それが著者の見解である。オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落以前に「帝国」は縮小・消滅していたのだ。

 本書によってビザンツ帝国に関する新たな知見を得ることができた。しかし、その1000年の歴史は私の頭の中では依然としてぼんやりしている。あらためて、把みがたい帝国だと思う。