ヘロドトスもトゥキュディデスも意外に読みやすくて面白い ― 2018年03月25日
◎古代の歴史家への関心
へロドトス、トゥキュディデスという古代の歴史家は、高校の世界史で名前を暗記しただけの存在だった。「ヘロドトスは歴史の父」と憶えて終わりだった。
それが少し変わったのは、2年前に『世界の歴史⑤ ギリシアとローマ』(本村凌二・桜井万里子/中央公論社)を読んだ時だ。この概説書で桜井万里子氏が述べているヘロドトスとトゥキュディデスの比較が面白かった。
ヘロドトスは神話や伝承を取り込んで奇想天外、トゥキュディデスは厳密で真摯。歴史研究者としてはトゥキュディデスに敬意を抱く。だが、歴史の実相に迫るには伝説や神話の援用も有効で、その意味ではヘロドトスの方が重要になる。そんな主旨の比較論で、歴史研究の場でのこの二人評価の違いを知り興味をもった。
そして最近、『ギリシア人の物語』(塩野七生)、『世界の歴史4 ギリシア』(村田数之亮) などを読んで古代ギリシアが少し身近になり、これらの本で言及されているへロドトスとトゥキュディデスへの関心が高まった。へロドトスはペルシア戦役を叙述し、トゥキュディデスはペロポネソス戦役を叙述した。そのおかげで後世の史家はギリシア史を語れるのだ。
◎『世界の名著』版は手ごろ
へロドトスとトゥキュディデスへの興味はわいたが、その大部の著書を読もうという気にまではなれなかった。そんな時に次の本の存在を知った。
『世界の名著⑤ へロドトス、トゥキュディデス』(責任編集:村川堅太郎/中央公論社)
これは1冊にへロドトスの『歴史』、トゥキュディデスの『戦史』の二つが収録されている。両方とも抄録だ(全編だとどちらも岩波文庫で3冊)。抄録なら何とか読めるかなと思いネットで入手した。1970年刊行の古書だ。
2段組で500ページ強、抄録でもコンパクトとは言い難い。冒頭60ページは『歴史叙述の誕生』と題する村川堅太郎の解説で、へロドトスとトゥキュディデスの違いの説明が勉強になった。半世紀近く昔のこの解説にも「ヘロドトスについての評価は近年高まった」とある。
◎ヘロドトスは自由奔放
『歴史(抄)』(ヘロドトス/松平千秋訳)
ヘロドトスを読み始めて、意外に読みやすいのに驚いた。訳者のおかげだろうが、紀元前の古典という感じがしない。内容も面白い。村川堅太郎が「素朴で話し好きな老人の筆」と表現しているのも了解できた。
と言っても、未知の地名や人名が頻出すると興味が削がれる。ペルシア戦役に関しては関連本を読んだばかりだし、『ギリシア・ローマ歴史地図』(原書房)という地図帳も座右にある。ところが、本書ではなかなかペルシア戦役が始まらない。前半はペルシアやエジプトの歴史や地誌である。紀元前5世紀の本だから、当然ながら遠い昔の中近東の話であり、私にとっては白紙の世界だ。それでも、地名や人名をネットで検索しながら何とか読み進めた。
後年、アリストテレスから「たわ言」と評されたトンデモ逸話(ライオンの分娩の話。訳注でアリストテレスの言説を紹介)なども挿入されていて、大昔の人がもっと昔の人の著作を批判する姿をほほえましく感じたりもした。
後半のテルモピュライの戦いやサラミス海戦のくだりは当然ながら興味深く読んだ。そして、この「抄録」を読了してヘロドトスの自由奔放な書きっぷりに惹かれ、やはり全編を読みたいと思った。
◎トゥキュディデスは謹厳実直
『戦史(抄)』(トゥキュディデス/久保正彰訳)
トゥキュディデスはヘロドトスに較べると謹厳実直で記述も手堅い。しかし、思ったほど読みにくくはない。自らも参戦した同時代のペロポネソス戦役の記録なのに、歴史を見る視点が感じられる。事象の原因を分析し、人々の言動を批判的にとらえている。
シチリア遠征において、ニキアスが月蝕によって撤退を延期して時期を逸した件でも「かれは神託予言などの類をやや偏重すしすぎる性質であった」と書いている。その後何世紀経っても神託予言を偏重する人は後を絶たないが、紀元前5世紀の時点にこんな冷静な記述があったことに驚いた。人類はさほど進歩したわけではないと思えてくる。
トゥキュディデスの圧巻は演説の紹介である。演説の正確な記録は困難なので著者は事前に次のように述べている。
「政見の記録は、事実表明された政見の全体としての主旨を、できうるかぎり忠実に、筆者の目でたどりながら、おのおのの発言者がその場で直面した事態について、もっとも適切と判断して述べたにちがいない、と思われる論旨をもってこれをつづった。」
そんな方法で、論争の場での政治家たちの演説や、戦闘を前にした将軍たちの演説がつづられている。いずれも長大であり、壮大な舞台の歴史劇を観ている気分になる。
◎古典の力
ペルシア戦役は紀元前500年~前449年、ペロポネス戦役は紀元前431年~前404年、いずれも遠い昔の出来事だ。それを同時代の歴史家がつづった著作を読み、2500年をタイムスリップして古代の情景を目の当たりにしている気分になれた。古典の力だろう。
へロドトスやトゥキュディデスがこんなに面白いなら、もっと早く読んでおけばよかったと思う。こういう古典は若いうちに読んでおいて、年取ってからは再読を楽しむ読み方がいい。もちろん、抄録ではなく全編を楽しむべきだ。悲しいかな、私は若いときに関心を抱けなかったので、そんな楽しみは享受できない。仕方ないことである。
だが、いつの日か全編をのんびり読んでみたいとは思う。そのときには、それなりに詳細な地図、人名表、年表の準備が必要だ。その準備だけでも大変そうだ。
へロドトス、トゥキュディデスという古代の歴史家は、高校の世界史で名前を暗記しただけの存在だった。「ヘロドトスは歴史の父」と憶えて終わりだった。
それが少し変わったのは、2年前に『世界の歴史⑤ ギリシアとローマ』(本村凌二・桜井万里子/中央公論社)を読んだ時だ。この概説書で桜井万里子氏が述べているヘロドトスとトゥキュディデスの比較が面白かった。
ヘロドトスは神話や伝承を取り込んで奇想天外、トゥキュディデスは厳密で真摯。歴史研究者としてはトゥキュディデスに敬意を抱く。だが、歴史の実相に迫るには伝説や神話の援用も有効で、その意味ではヘロドトスの方が重要になる。そんな主旨の比較論で、歴史研究の場でのこの二人評価の違いを知り興味をもった。
そして最近、『ギリシア人の物語』(塩野七生)、『世界の歴史4 ギリシア』(村田数之亮) などを読んで古代ギリシアが少し身近になり、これらの本で言及されているへロドトスとトゥキュディデスへの関心が高まった。へロドトスはペルシア戦役を叙述し、トゥキュディデスはペロポネソス戦役を叙述した。そのおかげで後世の史家はギリシア史を語れるのだ。
◎『世界の名著』版は手ごろ
へロドトスとトゥキュディデスへの興味はわいたが、その大部の著書を読もうという気にまではなれなかった。そんな時に次の本の存在を知った。
『世界の名著⑤ へロドトス、トゥキュディデス』(責任編集:村川堅太郎/中央公論社)
これは1冊にへロドトスの『歴史』、トゥキュディデスの『戦史』の二つが収録されている。両方とも抄録だ(全編だとどちらも岩波文庫で3冊)。抄録なら何とか読めるかなと思いネットで入手した。1970年刊行の古書だ。
2段組で500ページ強、抄録でもコンパクトとは言い難い。冒頭60ページは『歴史叙述の誕生』と題する村川堅太郎の解説で、へロドトスとトゥキュディデスの違いの説明が勉強になった。半世紀近く昔のこの解説にも「ヘロドトスについての評価は近年高まった」とある。
◎ヘロドトスは自由奔放
『歴史(抄)』(ヘロドトス/松平千秋訳)
ヘロドトスを読み始めて、意外に読みやすいのに驚いた。訳者のおかげだろうが、紀元前の古典という感じがしない。内容も面白い。村川堅太郎が「素朴で話し好きな老人の筆」と表現しているのも了解できた。
と言っても、未知の地名や人名が頻出すると興味が削がれる。ペルシア戦役に関しては関連本を読んだばかりだし、『ギリシア・ローマ歴史地図』(原書房)という地図帳も座右にある。ところが、本書ではなかなかペルシア戦役が始まらない。前半はペルシアやエジプトの歴史や地誌である。紀元前5世紀の本だから、当然ながら遠い昔の中近東の話であり、私にとっては白紙の世界だ。それでも、地名や人名をネットで検索しながら何とか読み進めた。
後年、アリストテレスから「たわ言」と評されたトンデモ逸話(ライオンの分娩の話。訳注でアリストテレスの言説を紹介)なども挿入されていて、大昔の人がもっと昔の人の著作を批判する姿をほほえましく感じたりもした。
後半のテルモピュライの戦いやサラミス海戦のくだりは当然ながら興味深く読んだ。そして、この「抄録」を読了してヘロドトスの自由奔放な書きっぷりに惹かれ、やはり全編を読みたいと思った。
◎トゥキュディデスは謹厳実直
『戦史(抄)』(トゥキュディデス/久保正彰訳)
トゥキュディデスはヘロドトスに較べると謹厳実直で記述も手堅い。しかし、思ったほど読みにくくはない。自らも参戦した同時代のペロポネソス戦役の記録なのに、歴史を見る視点が感じられる。事象の原因を分析し、人々の言動を批判的にとらえている。
シチリア遠征において、ニキアスが月蝕によって撤退を延期して時期を逸した件でも「かれは神託予言などの類をやや偏重すしすぎる性質であった」と書いている。その後何世紀経っても神託予言を偏重する人は後を絶たないが、紀元前5世紀の時点にこんな冷静な記述があったことに驚いた。人類はさほど進歩したわけではないと思えてくる。
トゥキュディデスの圧巻は演説の紹介である。演説の正確な記録は困難なので著者は事前に次のように述べている。
「政見の記録は、事実表明された政見の全体としての主旨を、できうるかぎり忠実に、筆者の目でたどりながら、おのおのの発言者がその場で直面した事態について、もっとも適切と判断して述べたにちがいない、と思われる論旨をもってこれをつづった。」
そんな方法で、論争の場での政治家たちの演説や、戦闘を前にした将軍たちの演説がつづられている。いずれも長大であり、壮大な舞台の歴史劇を観ている気分になる。
◎古典の力
ペルシア戦役は紀元前500年~前449年、ペロポネス戦役は紀元前431年~前404年、いずれも遠い昔の出来事だ。それを同時代の歴史家がつづった著作を読み、2500年をタイムスリップして古代の情景を目の当たりにしている気分になれた。古典の力だろう。
へロドトスやトゥキュディデスがこんなに面白いなら、もっと早く読んでおけばよかったと思う。こういう古典は若いうちに読んでおいて、年取ってからは再読を楽しむ読み方がいい。もちろん、抄録ではなく全編を楽しむべきだ。悲しいかな、私は若いときに関心を抱けなかったので、そんな楽しみは享受できない。仕方ないことである。
だが、いつの日か全編をのんびり読んでみたいとは思う。そのときには、それなりに詳細な地図、人名表、年表の準備が必要だ。その準備だけでも大変そうだ。
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