ヒトラーの魔力と魅力2014年03月17日

『帰ってきたヒトラー(上)(下)』(ティムール・ヴェルメシュ/森内薫訳/河出書房新社)
 『帰ってきたヒトラー(上)(下)』(ティムール・ヴェルメシュ/森内薫訳/河出書房新社)は、読みだすとやめられない小説だ。読みやすいエンタメで、非常に面白い。そして、ヒトラーという人物に対する複雑な思いが残る。

 1945年に死んだはずのヒトラーがタイムスリップして2011年のベルリンに出現する話で、ヒトラーの一人称で物語が進行する手法が秀逸である。

 ヒトラーには、爆撃にさらされている総統地下壕で過ごした最晩年までの記憶はあるが、自殺しようとした記憶はなく、突如2011年のベルリンの公園の片隅で目覚める。当初は、回りの人物が自分を総統として遇しないことに立腹し懸念をいだくが、やがて、現在が2011年であることに気付く。周囲の人々は、彼をヒトラーそっくりの扮装をしたモノマネ芸人だと思う。そのような人々の思惑に乗って、ヒトラーはテレビのコメディアンとして売れっ子になっていく。
 ただし、一人称のヒトラーは自分の信念に基づいて自身の言葉を語っているだけであり、テレビタレントも自身の信念を実現させるための権力掌握の手段と考えている……そんな話だから、面白くないはずがない。

 こんな小説がドイツで出版され、ベストセラーになったことが驚きである。翻訳者の森内薫氏は「訳者あとがき」で、そんなとまどいを率直に表明している。次の一節には共感した。

 「ヒトラーを怪物に仕立てるだけでは、なぜあのような恐るべき出来事が起きたのかの真の理由はわからない、というのがヴェルメシュの見方だ。だから彼はヒトラーを人間的に、魅力的に描く。それは非常に成功していて、読者は著者の目論見どおり物語のヒトラーに共感し、ヒトラーとともに笑い、そしてふと我に返って当惑する。私がまさにそうだった。これはたしかに、危険すれすれの手法かもしれない。」

 この文章に本書の魅力は尽くされている。

 ヒトラーを魅力的に描こうとした場合、最大のネックはユダヤ人大量虐殺の問題だろう。この小説を読み進めながら、ユダヤ人大量虐殺には踏み込まずにやり過ごすのかなと思っていたが、テレビタレント・ヒトラーの若い女性秘書の祖母が、収容所で両親と兄弟を殺された生き残りと判明するシーンもあった。ヒトラーはその状況もなんとか切り抜ける。著者はこの問題に踏み込んでいるわけではなく、うまく誤魔化しているのだが、とにかく問題に触れてはいる。

 この小説を読んで、ヒトラーとはヒトラーを演じ切った人物だったのだと思った。そして、あらためてヒトラーの魔力と魅力を感じた。
 私自身、中学生の頃(50年以上昔だ)にヒトラー・フリークだったことがある。ヒトラー関連の本を集め、ハーケンクロイツの旗や腕章を自前で作ったこともある。当時は、みんなが否定するものにあえてプラスの点を見出すべきであるという、ひねくれた心情が働いていた。

 とは言っても、ヒトラーを全面的に肯定するのが無理なことだとはわかっていた。ただ、美術学校の試験に失敗した無名の失業者がドイツの総統に上りつめ、ついには滅びていく物語には惹きつけられた。

 ヒトラーに関するノンフィクションが山ほど出版されているのは、ヒトラーに関心をもつ人が多いからだろう。
 ヒトラーに関するフィクションも多い。ヒトラーは小説家の創作意欲を刺激するものをもっているようだ。歴史上の人物でフィクションに採り上げられる頻度が最も高いのはヒトラーではなかろうか。私の乏しい読書体験からも、いくつかの傑作が思い浮かぶ。
 私の趣味では『鉄の夢』(ノーマン・スピンラッド/荒俣宏訳/ハヤカワ文庫)が印象深い。ヒトラーが政治家ではなくSF作家になり『鉤十時の帝王』という長編を著わすというヘンテコな小説だ。開高健の『屋根裏の独白』や三島由紀夫の『わが友ヒトラー』も面白かった。水木しげる、手塚治虫、藤子不二雄(A)などの漫画家もヒトラーを題材にした作品を書いている。

 そのようなヒトラー小説の、おそらくは最新の傑作が『帰ってきたヒトラー』だ。この小説がドイツで出版されたのは2012年で、フクシマの原発事故も出てくる。この最新のヒトラー小説は、変化球ではなくむしろ直球でヒトラーを扱っているように見える。その点に新しさを感じる。同時に不気味さも秘めていると思える。

 私の本棚には、戦前に出版された抄訳版の『我が闘争』と戦後に出た全訳版の『わが闘争』がある。前者はパラパラと読んだことがあるが後者は未読だ。この小説を読んで、全訳版を読んで、ヒトラーの検証と確認をしてみたい気分になった。

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