ゾラの世界から帰還して2012年07月26日

『居酒屋』(ゾラ/古賀照一訳/新潮文庫)、『ナナ』(ゾラ/川口篤・古賀照一訳/新潮文庫)、『ジェルミナール(上)(下)』(エミール・ゾラ/川内清訳/中公文庫)
 ゾラの長編を3作続けて読んだ。63歳にしてゾラ初体験である。「世界文学全集」的な近代小説・古典小説は、学生時代を逃すと読むチャンスが減る。長大名作に挑む気力が減退するうえに、どうしても同時代の作品に興味がいくからだ。

 今回ゾラを読もうと思ったきっかけは、朝日新聞で連載が始まった筒井康隆さんの『聖痕』である。連載に先立つ記事で、筒井さんは新たな新聞小説を「本来の意味でのゾラ的実験」と語っている。それを読んで、連載を読み進めるにあたって、ゾラを読んでおこうと考えたのだ。

 ゾラと言えば『ナナ』と『居酒屋』が有名だ。どちらにしようかなと調べていて、ゾラの残した作品群は「ルーゴン・マッカール叢書」という連作だと知った。1870年から1893年の23年間に20の長編を発表していて、7作目が『居酒屋』、9作目が『ナナ』だ。娼婦ナナは『居酒屋』の主人公の娘だそうだ。そういうことなら『居酒屋』『ナナ』の順序で両方読もうと思った。

 で、『居酒屋』も『ナナ』も面白く読めた。読んでいるうちにマネのいろいろな絵が浮かんできた。マネは私の好きな画家で、一昨年東京で開催された「マネとモダン・パリ」展では、マネの有名作品「エミール・ゾラの肖像」の実物も見ている。
 今回、ゾラを読み始めるにあたって、マネのことは失念していた。しかし、小説を読み進めていくうちに、自然とマネの世界が頭の中に現れてきた。マネの絵がゾラの小説の挿絵というわけではないが、この二人の相乗効果は抜群である。マネが描いた人物がゾラの小説の中で動き出すように感じられた。同時代を生きた画家と作家が同じ世界を見ていたのは当然なのかもしれないが、それ以上の相性を感じた。

 『居酒屋』『ナナ』と読み進めると、この作品世界がクセになり、『ジェルミナール』も読むことにした。『ジェルミナール』はルーゴン・マッカール叢書」の13作目で、主人公は『居酒屋』の主人公の息子(ナナの義兄)である。
 『居酒屋』『ナナ』のどちらを読もうかと思案しているとき、大昔の高校時代に読んだ『文学入門』(桑原武夫/岩波新書)の巻末に名作リストがあったことを思い出した。桑原武夫はどちらを採っているのだろうかと、巻末の「世界近代小説五十選」を確認すると、ゾラは『居酒屋』でも『ナナ』でもなく『ジェルミナール』だった。意外ではあったが、フランス文学者の桑原先生が推しているのだから傑作なのだろうと、少し気になった。それも、『ジェルミナール』に手を伸ばした理由の一つだ。

 『居酒屋』は19世紀パリの片隅に生きる下層の人々を描いていて、主人公は洗濯女だ。『ナナ』は高級娼婦たちを取り巻く上層の人々を描いている。どちらも、勤勉な人々や真面目な人々が次第に怠惰や享楽にとりつかれて破滅していく物語だ。文学作品を単純化して語るのがナンセンスだと承知であえて言えば、いつの時代にも通じる普遍的なストーリーだ。
 しかし、『ジェルミナール』はかなり趣が異なる。舞台はパリではなく、炭坑町である。炭坑労働者の悲惨な姿とストライキを描いている。これはマネの世界ではない。強いて言えば、日本初の世界記憶遺産「山本作兵衛の筑豊炭鉱画」の世界だ。
 マネの世界の続編のつもりで読み始めると少々とまどう。古くさい社会主義リアリズム小説なのだろうかとの懸念もわいてきたが、それは懸念に終わった。重層的に時代と人間を描いている。さすが大作家だ。

 この小説を読んで、あらためてゾラが生きた時代と描いた時代に思いを馳せた。

 「ルーゴン・マッカール叢書」(1870年から1893年に刊行)の舞台はナポレオン3世のフランス第二帝政の時代(1852年~1870年)である。日本だと幕末・維新、19世紀末である。歴史年表を眺めると19世紀末はいろいろなことが胎動していた時代だ。『ジェルミナール』にはカール・マルクスやダーウィンの名前も出てくる。この小説が扱っているのはパリコミューン(1871年)直前の時代だ。
 20世紀は革命と戦争の世紀と言われている。『ジェルミナール』はそんな20世紀の予兆のような小説だ。そう思いなが読み進めていくと、小説のラストで、次のように高らかと明記されていた。

 「この若々しい朝に、太陽の燃えるような光をあびて、田野はまさにこのざわめきをみごもっていた。人間が、復讐をもとめる真っ黒な軍勢が、芽ぶき、徐々に畝の間に芽生え、来たるべき世紀に取り入れられるために生長していた。その芽生えでこの大地はやがて張り裂けようとしていた。」

 ロシア革命、二つの世界大戦、ソビエト連邦の崩壊などの20世紀を経て、『蟹工船』がブームになったりもする21世紀を生きるわれわれの目から、この19世紀末の小説を眺めると、革命からスターリニズムまでのいろいろなものが胚胎されているようにも見えてくる。
 おそらくはゾラ自身も想定していなかったであろう20世紀のさまざまな予兆を幻視できてしまうのは、小説というメディアの不思議だ。ゾラの「実験小説」という意図を超えて、小説には普遍的に実験的な効果があるのだと思われた。19世紀末に、フィクションの時空では20世紀を実験していたのだ。

 『居酒屋』『ナナ』『ジェルミナール』の3つを読んで、どれが一番かを自分なりに判断しようと思っていた。『居酒屋』と『ナナ』を読了した時点では、より複雑な『ナナ』の方が現代的かなと考えた。『ジェルミナール』の上巻が終わった時点では、やはり『居酒屋』か『ナナ』のどちらかで、『ジェルミナール』は3蕃だと感じていた。しかし、3作品を読了すると、よくわからなくなってきた。それぞれが独自の世界であり、なおかつ混ざっていて、読了直後の混沌とした頭では判断できない。

コメント

_ r4i gold 3ds ― 2012年09月05日 16時47分

小説が大好き!

_ ルミちゃん ― 2013年10月31日 22時40分

『労働者の実態に光を当て、その教育の必要性を説くことを業とする』(訳者によって表現は異なると思います)
ゾラはこう書いて、物語を始めました.ゾラがこの作品で何を言いたいかは、冒頭に書かれているのです.ですから、この作品の場合は、読者はゾラがその目的を達成するために、どの様な表現をしたのか、それを捉えることが出来るのです.この面から言えば、『居酒屋』自然主義芸術の手本になる作品と言えます.

一つには、ラリーというけなげな少女の死.そして今一つは、年頃になるとぐれて家に寄りつかなくなったナナ.ナナの人生は母親ジェルウェーズと同じ道をたどることは、容易に予想がつきます.
このような悲劇を繰り返さないためには、どうしたらよいのか?.ランチェを、クポーを、ジェルウェーズを救う方法はありません.けれどもその子供たちを救うことは出来るはず.何もしないでいれば、子供も親と同じ生き方をするだけである.それを止めるには、子供に正しい教育を行う必要がある.
パリのコミューンが一週間で崩壊してしまったことはご存じだと思います.けれどもコミューンに集まった人達は、その一週間に様々の提言を行っていました.義務教育の実施もその一つに含まれていました.

参考までに、映画はゾラの居酒屋ではなく、ルネ・クレマンの居酒屋です.言わんとすることはまったく別.
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『ナナ』
この作品は読んでいませんが、ジャン・ルノワールは、原作の言わんとするところを正確に描いていると思われるので、映画『女優ナナ』で書きます.映画では、登場人物を3人の男に集約して描いているそうです.
幾人もの男がナナのために破滅することになった.どの男もナナを情熱的に愛したのだが、その情熱の表現は、ある場合は嫉妬であり、ある場合はお金であった.
不治の病、伝染病の天然痘にかかったナナを、あの男は抱き締めた.熱にうなされるナナを抱き締めました.彼のナナに対する情熱は、死を怖れないものであり、また、お金とも無縁のものだったのです.真の情熱とはこのようなことを言うのでしょう.
あくまでも、映画の話です.

ジャン・ルノワールは、ゾラによって芸術を学んだ映画監督だと思われます.普通は『原作 ゾラ』と字幕に出てくるだけですが、『女優ナナ』『獣人』どちらも、ゾラの写真が出てきます.
ちなみにこの映画、ジャン・ルノワールの最初の長編作品です.サイレントなので映像を補う字幕が出てくるのですが、その字幕の言葉は作品の要点を的確につかんだ言葉なので、少なくともジャン・ルノワールが何を描きたかったかは、見え見えになってしまいました.
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『ジェルミナル』
これも映画の話です.(映画を見れば、どの様な大作であるか察しがつきます.読む気力はありません)

『古い社会が消え、あらしい世界が生まれてきても、不平等は残る』
『うまく立ち回る連中が、弱者を搾取し続けるのだ.解決策はない』
戦いに敗れたランチェは、日記にこう書き記す.

どんな世の中になっても、どの様な社会制度が実現したにしても、自分だけが得をすれば良いと考える人間がいる.そうした人間がいる限り、どの様な世の中になって、問題は解決しない.
彼らは、ベルギー人を追い払おうとしました.彼らも同じであった.彼らも自分だけがよければ良いと考えて、ベルギー人を追い払おうとしたのです.

原作の全てが描かれていないのは、映画を見ても解ります.

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