いしいひさいちワールドとわが故郷「たまのの市」2012年08月02日

『KAWADE夢ムック いしいひさいち』(河出書房新社)
 『KAWADE夢ムック いしいひさいち』というムックが出版されていると新聞記事で知って、早速ネットで注文したが、入手までに2週間以上かかった。売れ行き好調で2刷まで待たされたようだ。あらためて、いしいひさいちファンの多さを思い知った。もちろん私もファンだ。

 いしいひさいちを知ったのは『がんばれ!!タブチくん!!』の頃だから、30年以上前になる。あの頃は、いしいひさいちが朝日新聞の朝刊漫画に起用される日が来るとは想像もしなかった。

 朝日新聞の朝刊漫画『となりのやまだ君(ののちゃんの前身)』が始まったときは、朝日新聞の快挙だと思った。そう思ったのはついこないだのような気がするが、実は1991年だ。もう20年以上も新聞連載が続いている。齢を重ねるに従って近過去の経過が加速度的に速くなってくるのを実感した。

 入手した『KAWADE夢ムック いしいひさいち』を開くと、いきなり懐かしい写真が目に飛び込んできた。岡山県立玉野高校の写真である。いしいひさいち氏の母校であり、私はこの高校に1年生の1学期まで通った(その後、親の転勤で東京の高校へ転校)。
 いしいひさいち氏が私と同郷で玉野高校出身だとは、かなり以前に何かの記事で知った。私よりは3歳年下なので面識はない。今回のムックで、小学校は別だと確認できた。いしい氏はJR宇野駅に近い宇野小学校だそうだ。私は駅からはかなり遠い第二日比小学校だから、中学校も別のはずだ。
 しかし、ののちゃんの住む「たまのの市」の風景は、私の遠い記憶にある玉野市の風景に重なる。

 いしいひさいち氏と玉野市の関係に最初に気付いたのは『バイトくん』の一つの4コマ漫画を読んだときだった。瀬戸大橋が完成して宇高連絡船が廃止になった1988年のことだ。玉野市は本州と四国を結ぶ鉄道連絡船「宇高連絡船」が発着する宇野駅で有名な町だった。
 そのとき読んだ『バイトくん』は、次のような会話の4コマ漫画だった。

 「おまえ、どこの出身だ?」
 「玉野です。センパイ」
 「玉野?」
 「ええ、あの、三井造船のある玉野」
 「しらんな」
 「えーと、渋川海水浴場のある」
 「しらん。どこだ、いったい」
 「(連絡船がのうなってしもたけんなァ)えー、あのー、金甲山の」
 「しらん」 「地図にあるのか」

 この漫画は、玉野市出身の私には不意打ちだった。わが故郷がネタになっているのに驚くと同時に、その面白さに笑いをこらえることができなかった。このギャグがわかるのは地元の人間だけでは、と思うと面白さが倍加した。
 玉野市は三井造船の企業城下町だから、造船関係者は玉野市を知っている可能性が高い。わが家から歩いて行けるた渋川海水浴場は、岡山県内ではかなり有名だから、岡山県出身者なら知っている人は多い。しかし、金甲山となると玉野市周辺の地元の人間にしかわからない。
 
 この漫画を読んで、記憶の底から金甲山という名が甦ってきたとき、「いしいひさいち恐るべし」と感じた。実在の田淵選手をあんなギャグ漫画にしたのにも驚いたが、ほとんどの日本人が知らないであろう「金甲山」を出してくる度胸には度肝を抜かれた。

 深読みすれば、この漫画には「玉野市」という地名の不幸が潜んでいる。玉野市には当時の国鉄のターミナル駅である宇野駅がある。宇高連絡船が運航していた頃、宇野駅はそれなりに全国に知られた駅だった。だから、市の名が「宇野市」だとわかりやすい。しかし、市名を付けるとき、三井造船の所在地「玉」を入れねばということで「宇野市」ではなく「玉野市」になったと聞いたことがある。そのため、駅名より市名の方が知名度が低くなってしまったらしい。

 さて、その玉野市が『KAWADE夢ムック いしいひさいち』では巻頭のカラー3頁で紹介されている。玉野市出身者にとってはうれしい限りだ。
 このカラー頁によれば、今や玉野市は「ののちゃんの街」で売り出しているらしい。水木しげる氏の鳥取県境港市には比べようもないだろうが、いしいひさいちワールドは玉野市の街起こしに一役かっているようだ。
 私にとっては朝日新聞連載以上の衝撃である。あの「わかる人にしかわからない」的なシュールなナンセンスが潜むいしいひさいちワールドが、わが故郷の玉野市という現実の田舎町に連結しているとは・・・地底人がリアルナ3DCGで現実世界に出現したような感覚だ。時代は変わったのか。長生きはするものだ。

 私が玉野市で生活したのは15歳までで、その後はほとんど訪れる機会がなかったが、2年前に所用のついでに玉野市まで足をのばした。渋川海水浴場にあるホテルに宿泊し、小学生時代の旧友に再会した。昔通った小学校と中学校にも行ってみたが、玉野高校までは行けなかった。連絡船廃止ですっかり様子が変わった宇野駅周辺は歩いてみた。
 その2年前には「ののちゃんの街」の幟や看板には気付かなかった。見落としたのだろうか。あの頃はまだ「ののちゃんの街」を売り出していなかったのかもしれない。そのうち、いしいひさいちワールドを確認するため、わが故郷を訪れてみたい。このムックを読んで、強くそう思った。

 「たまのの市」を紹介しているだけが、このムックの魅力ではない。すべての記事がそれぞれに面白い。いしいワールドの人物事典は有用だし、詳細な年譜はメディアに露出しないいしい氏の数少ない露出を掬い上げていて興味深い。巻頭記事の自作自演的なインタビュー(?)も内容は濃い。
 また、いしいワールドを図解でジャンル分けし、ジャンルごとに解説している記事も秀逸だ。この記事では、いしいワールドを「ビンボー学生生活」「スポーツパロディ」「時事呆談」「戦争という喜劇」「家族の肖像」「会社天国」「書評と文壇パロディ」「藤原先生」「時代劇」「SFのようなもの」「哲学的」「ナンセンス」の12ジャンルに分類している。
 12のジャンルの中に「藤原先生」という異様なジャンルがあるのも、解説を読めば説得されてしまう。

 確かにいしいワールドの「藤原先生」は際立って魅力的である。一般に漫画の登場人物は年齢が一定だが、藤原先生は17歳、27歳、34歳の世界が並列に存在しているように見える。かなり異例の存在だ。このムックによれば藤原先生にモデルはいないそうだ。おそらく、その通りだろう。
 ただし、私の記憶では、玉野市には「藤原」という姓の人が異様に多かった。一つのクラスに二人はいた(たまたま、私のクラスがそうだったので、多いと思い込んでしまった可能性もあるが)。だから、いしいひさいち氏の周辺にも何人かの藤原姓の人がいて、そのなかの誰かが「藤原先生」のヒントになったのでは、と私は妄想している。

コメント

_ ほほいのほい ― 2012年11月01日 18時29分

はじめまして。
「たまのの市」で検索して、このブログに流れ着きました。私も玉野市宇野は広潟<「宇野駅」から岡山方面へ旧国道30号線の広潟踏切の手前に人道橋があります。その東側あたりです>で3歳から8歳までを過ごしました。
さて本題です。「藤原」姓ですが、玉野市に多くあったのは確かです。また「三宅」さんも、「久保」さんも多かった記憶があります。なので、バイトくんのスターシステムとしての「キクチ」さんは、河出MOOKにもあったかと思いますが、玉野市によくある姓が払底したので、適当に後輩の姓を使ったのではないでしょうか。ちなみに私の記憶では、バイトくん@「キクチ」姓の初出は、野球中継を見ていた仲野くその連中がヤクルトの渋井選手について知識がなく、「菊地」@バイトを呼び出して・・・という4コマでした。
件の跨線・人道橋ですが、もともとは踏切でした。私の友だちの弟が特急「うずしお」に跳ねられて死んだ事故を契機につくられました。自転車用のスロープもありましたが、傾きが急で、上り下りについて小学生にはあまりに急すぎました。いまでも広潟地区は玉野市の陸の孤島のような気がしています。

_ 神登山 ― 2012年11月02日 10時13分

コメント、ありがとうございます。
言われてみれば「三宅」も「久保」もクラスにいました。
いしいひさいちワールドの常連たちと昔のクラスメートの顔が重なり、
たまのの市がますます懐かしく感じられました。

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