万能人の洞察か、妄想愉快犯の哲学講談か――『量子の社会哲学』は奇書2010年12月15日

『量子の社会哲学:革命は過去を救うと猫が言う』(大澤真幸/講談社/2010.10.7)
 新聞の書評で『量子の社会哲学:革命は過去を救うと猫が言う』(大澤真幸/講談社)という本を知り、読みたくなった。朝日新聞(2010年11月21日)では柄谷行人氏が「読者は、本書を楽しみつつ読むうちに、自ずと世界が違って見えてくることを感じるだろう」と推奨し、日経新聞(2010年10月31日)では金森修氏が「率直に言って破たんギリギリ。だが、それでも一読に値する」と紹介している。

 著者は社会学者だ。「まえがき」で次のように宣言している。

 「私は、本書で、量子力学が、現代社会を理解し、未来社会を構想するための基本的な指針を与えるような、政治的・倫理的な含意を宿していることを示してみよう」

 納得できるか否かは別として、まさにその通りの内容だった。20世紀初頭に登場した量子力学は、一般常識では受け容れ難いさまざま不思議な事象を提示した。著者はその不思議な事象を、量子力学と同時代に発生した別分野(美術、探偵小説、精神分析、革命理論etc)の様々な事項に関連づけて論じている。何とも奇妙な本である。

 私は科学史には興味がある。だから、あまり抵抗なく本書を読み始めることができた。しかし、読み進めるにつれて「これは、何じゃ!」という感慨に何度もおそわれた。それでも、途中で投げ出さずに比較的短時間で読了できたのだから、本書は「面白い」と言うことになるだろう。著者の主張がよく理解できたわけではないが。

 本書には多様な素材が登場する。冒頭で登場するのはA.C.クラークの短編『神の九〇億の御名』だ。大昔に『SFマガジン』で読んだ作品だったので、それだけで本書の世界に引き込まれてしまった。SF小説としては、ハインラインの『夏への扉』やウィリアム・テンの短編も出てくる。
 絵画への言及も多い。ベラスケス、ゴヤ、ティチアーノ、エル・グレコ、モネ、ターナー、セザンヌ、ピカソ、ジャコメッティなどなどだ。
 映画はヒッチコックの『裏窓』『鳥』と黒沢明の『羅生門』だ。コナン・ドイルやチェスタトンやアガサ・クリスティらの探偵小説も出てくる。

 もちろん、社会科学関係の素材も多い。フロイトの精神分析理論、ヴェーバーの著作、ナチスを理論的に正当化した政治学者カール・シュミットの著作などに続いて、レーニンやローザ・ルクセンブルグが登場してきたのにはいささか驚いた。

 これらが量子力学とどう絡んでいるのか、不審に思う人も多いだろうが、著者は自信たっぷりな包丁さばきで、この多様な素材から量子力学との対応を引き出してくる。
 著者は、探偵小説の登場を「相対性理論」の登場に対応づけ、フロイト理論や『羅生門』やセザンヌの絵画の解釈を「相対性理論」から「量子力学」への発展に対応させる。牽強付会とも思える強引さである。
 レーニンに至っては本書の準主役級の役割を担わされている。ロシア革命とその後のスターリニズムも量子力学で読み解かれている。

 自然科学、社会科学、哲学、文学、美術などの分野を自由に駆け巡るさまはルネサンス人的だが、量子力学の研究者が本書をどう読むか、興味深い。俗流解釈だとして切り捨てるかもしれない。しかし、量子力学などの認識論が哲学に隣接しているのは確かであり、本書を荒唐無稽と言い切るのも困難かもしれない。
 物理学者の並木美喜雄氏は『量子力学入門』(岩波新書/1992.1)において次のように述べている。

 「物理学などの自然科学研究の背景にも科学者自身の社会観や哲学がある。思想的背景といってもよい。平素はあまり表面に出ないが、科学が未知の新しい領域に突入しようとするとき、科学者自身の哲学的志向が科学研究の具体面に現れることがある」

 量子力学が登場して発展した20世紀において、同時代的に生起したさまざまな分野の現象が何らかの意味で互いに呼応していたと観るのは、あながち間違いではないかもしれない。
 私自身は、本書を読みながら、この百年の文化・社会・政治のダイナミズムを再認識することができた。そして、私たちが生きている現代社会の基盤を垣間見たような気分になった。

 なお、本書の第Ⅷ部(最終部)のタイトルは「時間の発生」である。ここではマクタガードの「時間は実在しない」という時間論をふまえて、それを否定する形で「時間は社会的現象だ」という考察をしている。
 「時間とは何か」は面白いテーマなので興味深く読めた。著者の考察に説得されたわけではないが、拾い物をしたような「お得感」を得た。

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