6年前のトランプ時代に出た『真実の終わり』を今になって読んだ ― 2025年02月16日
先日読んだ朝日新聞のコラム(2025.2.2『日曜に想う』)に、次の記述があった。
「10年近く前、ポスト・トゥルース(真実後)という新語が注目された。意味するところは、事実や真実が重視されない時代の到来である。最近耳にしなくなったのは、当たり前の風景になったからだろうか。」
この一節を読んで、6年前に買ったまま未読だった次の本を思い出し、あわてて読了した。
『真実の終わり』(ミチコ・カクタニ/岡崎玲子訳/集英社/2019.6)
原著の出版は2018年、トランプ大統領誕生の翌年だ。トランプがもたらした時代風潮を批判的に探究し、真実が無視される事態に警鐘を鳴らした本である。
百数十ページの薄い本である。短時間で読めるだろうと目近の書架に積んだまま6年の時間が流れた。いつしか、トランプ時代からバイデン時代に移り、時評的な本書への関心が薄れていった。そして、再びトランプ時代となり、新聞コラムに促され、本書を手にする次第となった。
著者はニューヨーク・タイムズで活躍した高名な文芸批評家だそうだ。本書は、虚偽に満ちたトランプの言動を厳しく批判すると同時に、真実探求の関心を失った現代社会の情況を多面的に考察している。簡略に言えば、ポストモダン思想による物事の相対化がニヒリズムにつながり、トランプを生み出す土壌になったという指摘である。
著者の指摘は概ね納得できる。この10年ほどの間に見聞きしてきたさまざまな言説をあらためて復習した気分になる。カウンター・カルチャー的左翼的思潮が既存メディア否定のポピュリズム的右翼思潮に連結していく皮肉なダイナミズムに暗然とする。
本書に出てくる「羅生門的」「羅生門効果」という言葉に驚いた。一般的な用語かは不明だが、ナルホドと思った。著者は日系2世だそうだ。
脱構築の哲学者ポール・ド・マンという人物を本書で初めて知った。死後にナチスのユダヤ人迫害を支持する言説が発見されてスキャンダルになったそうだ。評価のゆらぎが興味深い。
ブーアスティンの『幻影の時代』への言及には心躍った。半世紀以上昔の学生時代に面白く読んだ本だ。筒井康隆氏の疑似イベント小説のネタ本だと知って読んだのだ。あの本がトランプ時代を胚胎していたとすれば「真実の終わり」の起源は根深い。文明論的な考察が必要だと思える。
それにしても、厚顔無恥の大音量が成功する社会がいいとは思わない。成功か失敗かの評価は歴史の時間軸で異なってくるだろうが。私は、寛容性を失うと文明は衰退すると思っている。
2018年に出た本書がどの程度の読者を得たかは知らない。トランプ時代が再来したのだから、本書にさほどに影響力はなかったと思わざるを得ない。故・西部邁ならトランプの出現は民主主義の必然と言うかもしれない。だが、リアルの世界を生きる私は、それをよしとするわけにはいかない。
「10年近く前、ポスト・トゥルース(真実後)という新語が注目された。意味するところは、事実や真実が重視されない時代の到来である。最近耳にしなくなったのは、当たり前の風景になったからだろうか。」
この一節を読んで、6年前に買ったまま未読だった次の本を思い出し、あわてて読了した。
『真実の終わり』(ミチコ・カクタニ/岡崎玲子訳/集英社/2019.6)
原著の出版は2018年、トランプ大統領誕生の翌年だ。トランプがもたらした時代風潮を批判的に探究し、真実が無視される事態に警鐘を鳴らした本である。
百数十ページの薄い本である。短時間で読めるだろうと目近の書架に積んだまま6年の時間が流れた。いつしか、トランプ時代からバイデン時代に移り、時評的な本書への関心が薄れていった。そして、再びトランプ時代となり、新聞コラムに促され、本書を手にする次第となった。
著者はニューヨーク・タイムズで活躍した高名な文芸批評家だそうだ。本書は、虚偽に満ちたトランプの言動を厳しく批判すると同時に、真実探求の関心を失った現代社会の情況を多面的に考察している。簡略に言えば、ポストモダン思想による物事の相対化がニヒリズムにつながり、トランプを生み出す土壌になったという指摘である。
著者の指摘は概ね納得できる。この10年ほどの間に見聞きしてきたさまざまな言説をあらためて復習した気分になる。カウンター・カルチャー的左翼的思潮が既存メディア否定のポピュリズム的右翼思潮に連結していく皮肉なダイナミズムに暗然とする。
本書に出てくる「羅生門的」「羅生門効果」という言葉に驚いた。一般的な用語かは不明だが、ナルホドと思った。著者は日系2世だそうだ。
脱構築の哲学者ポール・ド・マンという人物を本書で初めて知った。死後にナチスのユダヤ人迫害を支持する言説が発見されてスキャンダルになったそうだ。評価のゆらぎが興味深い。
ブーアスティンの『幻影の時代』への言及には心躍った。半世紀以上昔の学生時代に面白く読んだ本だ。筒井康隆氏の疑似イベント小説のネタ本だと知って読んだのだ。あの本がトランプ時代を胚胎していたとすれば「真実の終わり」の起源は根深い。文明論的な考察が必要だと思える。
それにしても、厚顔無恥の大音量が成功する社会がいいとは思わない。成功か失敗かの評価は歴史の時間軸で異なってくるだろうが。私は、寛容性を失うと文明は衰退すると思っている。
2018年に出た本書がどの程度の読者を得たかは知らない。トランプ時代が再来したのだから、本書にさほどに影響力はなかったと思わざるを得ない。故・西部邁ならトランプの出現は民主主義の必然と言うかもしれない。だが、リアルの世界を生きる私は、それをよしとするわけにはいかない。
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