吉本隆明の老人本は独演会のようだ2023年12月30日

『老いの超え方』(吉本隆明/朝日新聞社/2006.5)、『老いの幸福論』(吉本隆明/青春新書/青春出版社/2011.4)
 老いた吉本隆明を長女が語った『隆明だもの』を読み、書架に眠っていた次の2冊を読む気になった。

 『老いの超え方』(吉本隆明/朝日新聞社/2006.5)
 『老いの幸福論』(吉本隆明/青春新書/青春出版社/2011.4)

 前者は刊行直後(17年前)に入手し、拾い読みしただけだ。後者は、十年ほど前に知り合いの高齢女性(私より十数歳上)から「読んだ」と聞いたのを機に入手したが、積んだままだった。

 この2冊が未読だったのは、いずれ「老い」が切実になってから読めばいいと思ったからである。前者を入手したとき私は57歳、老いにさほどの関心はなかった。

 先月、私は後期高齢者になった。そろそろ、老いを考えねばならない時期かもしれない。そう思ってこの2冊を読んだが、老いを超える心構えができたとは言えない。もとより、これらはハウツー本ではない。吉本隆明翁独演会の趣がある。

 吉本隆明は2012年に87歳で逝った。『老いの超え方』は81歳のときの著作、『老いの幸福論』の刊行は86歳のときだ。まず前者を読んだ。「身体」「社会」「思想」「死」をテーマにした4部構成のインタビューである。一問一答もあり、読みやすい。日常生活を撮影した写真が多く載っている。ヨボっていても元気そうだ。

 テーマごとのおしゃべりの後に「語録集」がある。過去の著作からの抜粋集成である。親切な編集だ。この「語録集」には2001年の『幸福論』からの抜粋が多い。気になって調べると、『幸福論』は『老いの幸福論』と同じだった。2001年刊行の『幸福論』を2011年に新書化する際に『老いの幸福論』と改題し「新書化にあたってのあとがき」を付加していたのだ。それなら『老いの幸福論』から読むべきだったと思った。

 『老いの超え方』では、一番の関心ごとを訊かれて次のように応じている。

 「一番関心が集約されていることはどこかというと、かかる状態が老いというかたちなのかと、われながらびくりしたり、新しく考えることが出てきたりということがあります。老人というのは何なんだ、どういうことが解決がつく部分でどういうことが解決が付かない部分なのか、考え抜いた部分と結局分からない部分が入り交じっていますが、一般のご老人たちが口にしないことを言い尽くしてみたいと思っています。けれども言い尽くせない、分からないなということが多いです。」

 吉本世代とは、世の中の課題に出会ったとき、つい、吉本隆明ならどう考えるだろうかと思ってしまう世代である。『老いの超え方』は、そんな読者に向けた「老い」の現場レポートである。

 『老いの幸福論』のエッセンスは『老いの超え方』の「語録集」で紹介されている。だから『老いの幸福論』は再読気分で読み進めた。そんな既視感以上に繰り返しが多い。口述をまとめる際に編集者が整理しているとは思うが、あらためて年寄りの話は繰り返しが多くてくどいと感じた。

 でも、『老いの幸福論』には「老い」とは関係が薄い興味深い話題も多く、面白く読んだ。自身の結婚の際の事情をかなり赤裸々に語っている。溺れたときの体験談もある。娘たちの教育・進学などにつても具体的にしゃべっている。次女の吉本ばななに関して、最初は「親の七光り」と言われたが、すぐに逆転してこちらが「子どもの七光り」になったと語っている。楽しい自覚だ。