プロテスタンティズムの現状を伝える本2023年04月26日

『プロテスタンティズム:宗教改革から現代政治まで』(深井智朗/中公新書)
 16世紀宗教改革への多少の関心から『痴愚神礼賛』を読み、宗教改革の概要を把握したくなった。適当な新書がないかと検索し、次の本を入手・読了した。

 『プロテスタンティズム:宗教改革から現代政治まで』(深井智朗/中公新書)

 私が期待した一般的概説書ではなかった。ルターに始まる宗教改革の実態とその後の現代に至るまでの展開を解説・評価した本である。ドイツ近現代史のなかのルターを論じた箇所もあり、それは私の想定外の興味深い内容だった。

 著者は「世界史の教科書にある宗教改革およびプロテスタンティズムの説明は、実態とかなり乖離している」と指摘している。ルターが教会の扉に「95カ条の提題」をハンマーで打ちつけて宗教改革が始まった、という劇的な場面はフィクションで、数人に書簡で送付しただけらしい。

 中世の社会システムが制度疲労の段階にあり、それゆえに次第に変わっていったのが「宗教改革」と呼ばれる社会変動だったようだ。

 ルターは教会の「リフォーム」を要求しただけで、新たな宗派の設立を考えていたわけではない。リフォーム要求が大きな変革になってしまったのにはいろいろな要因がある。カトリック教会の対応のまずさ、印刷技術によるルターの言説の流布などの事情もあるが、社会変動の大きな流れには誰も逆らえなかったのだと思う。

 歴史事象は後年の権力者に政治利用されることが多い。第一次世界大戦さなかの1917年は宗教改革400周年だった(ちなみに本書は500周年の2017年刊行)。このときドイツは、フランスやロシアとの戦争はカトリックやロシア正教との戦争だとし、ルターの宗教改革を戦意高揚に結びつけて喧伝したそうだ。ヘェーと思った。

 著者はナチス時代のルター派の動向にも言及している。ナチスやヒトラーは私の関心領域で、いくつかの歴史書を読んできたが、あの時代のプロテスタントに関しては何も知らない。カトリック(中央党)に関する記述は多少読んだ記憶がある。ナショナリズムに結びつくルター派はナチスには無批判で、ナチスの焚書のときにはルターの讃美歌が歌われたそうだ。私には新たな知見で勉強になった。

 また、英国のアングリカンを国営宗教と呼び、米国のプロテスタントを宗教の民営化と表現しているのが面白い。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表したヴェーバーの米国訪問時の観察記事も興味深い。米国では、自分が通っている教会の明示が社会的信用につながっているという指摘である。

 プロテスタンティズムは欧米社会に根付いているが、われわれ日本人にはその実態がわかりにくい。本書によって、プロテスタンティズムの多様な現状の一端を垣間見ることができた。

村上龍の新作『ユーチューバー』はあっさり味2023年04月28日

『ユーチューバー』(村上龍/幻冬舎)
 書店の店頭に村上春樹の新作長編がうず高く積まれているなか、奥の棚に1冊だけあったもうひとりの村上の新作をやっと見つけて購入・読了した。

 『ユーチューバー』(村上龍/幻冬舎)

 私より4歳若い村上龍は24歳で鮮烈にデビューした。その後の『愛と幻想のファシズム』も衝撃作だった。いまだに私の頭の中では挑戦的な若手作家のイメージが強いが、時は流れて村上龍も70歳を超えた。

 本作は長編小説というよりは、あっさり読める連作集だった。ユーチューバーを描いた小説ではない。ユーチューバーの依頼に応じてテレビカメラの前で語る「70歳になったばかりの有名作家」の追憶譚がメインである。

 この小説では登場人物がやたらと飲酒する。作家は定宿のホテルで同伴女性やユーチューバーとワインを何本も空ける。ユーチューバーの狭いスタジオでは、収録の合間に作家はビールやウイスキーを飲み続ける。しかし、小説を読み進めていても酩酊気分にはならない。淡々としたうす味の小説である。濃厚さやエグさはない。

 登場人物たちが飲酒していても、その周辺には静寂がある。コロナ禍の街やホテルに人がいないからである。静寂の街のなかで静かに酒を飲んでいる。さまざまな記憶がパノラマのようによみがえってくる。しかし、酩酊はしない。そんな印象の小説である。

今年は早めに草刈り2023年04月30日

 3週間ぶりに八ヶ岳南麓の山小屋の行った。前回植えたジャガイモの芽かきにはまだ早いかと思ったが、3~10センチの芽が出ていたので1~2本に間引いた。

 草刈りをするかどうか迷った。雑草は思ったほどには繁茂していない。例年はもっと繁茂した初夏に第1回目の草刈りをしている。次回でいいかなとも思ったが、怠け心を抑えて、繁茂前に草刈りをすることにした。何事も大事に発展する前に早め早めに対処する方がいいに決まっている。

 草刈り機にガソリン(混合燃料)を入れようとして、タンクにまだガソリンが残っているのに気づいた。草刈り機を使うときは燃料を使い切るようにしていたはずだが、なぜか残っている。昨年、最後の草刈りのとき、もう一度使うつもりで残していて失念したのかもしれない。

 タンクに残ったガソリンに新たなガソリンをつぎ足していいのか、昨年の燃料は捨てるべきなのか、よくわからない。燃料の缶には「3年保存可能」と明記している。その保存は容器でなくタンクでもOKなのだろうか。もったいないので、つぎ足すことにした。

 草刈り機のエンジンは紐を引っ張って始動させる。一発で始動することはほとんどない。何回か試みてやっとトントントンとエンジンがかかる。この作業をするとき、いつも心おだやかではない。うまく始動するか不安なのだ、特に今回は、昨年のガソリンが混ざっているので不安だった。何とかエンジンがかかったときはホッとした。

 紐を引っ張ってエンジンをかける作業は、ささやかではあるが「不安」が「喜び」に変わる体験を味わえる。これは、日常のなかの貴重な一瞬かもしれない。