イブン・バットゥータは中国に行ったか?2021年12月19日

『イブン・バットゥータの世界大旅行:14世紀イスラームの時空を生きる』(家島彦一/平凡社新書)
 14世紀の大旅行家イブン・バットゥータは、生地モロッコを旅立ち、中東、中央アジア、インド、中国などを訪れ、帰国後さらにサハラ砂漠を縦断してマーッリー王国にまで行った。その旅行記は貴重な史料で、高校世界史の教科書にも載っている。

 私がこの人を知ったのは数年前である。私の高校時代(半世紀以上昔)の教科書に載っていたかどうかは不明だ。そのバットゥータに関する次の新書を読んだ。

 『イブン・バットゥータの世界大旅行:14世紀イスラームの時空を生きる』(家島彦一/平凡社新書)

 イブン・バットゥータの『大旅行記』は日本語に翻訳すると400字詰原稿用紙3000枚の大部なもので、従来は抄訳で紹介されていた。著者の家島彦一氏はその全訳(東洋文庫の『大旅行記』全8巻)を2002年に刊行した研究者である。

 全訳刊行の翌年に出た本書は大旅行の概要を紹介すると同時に、14世紀の国際交易ネットワークを解説している。大旅行を可能にした背景がよくわかる。

 13・14世紀はモンゴルが陸と海の世界帝国を築いた時代であり、イスラムが世界に拡大した時代でもある。メッカへの巡礼路が整備され、イスラム商人が地中海からインド洋、東シナ海に及ぶ海域で活躍する時代だった。

 イブン・バットゥータは21歳のとき(1326年)モロッコを出発、中東、中央アジア、インド、中国を巡り、帰郷したときには46歳だった。その後、ジブラルタル海峡を渡ってグラナダを訪問、さらにサハラ砂漠縦断の旅に出発し、2年後に帰還する。

 旅の目的は一義的にはメッカ巡礼であり、各地のイスラムの聖者や学者を訪ねて教えを乞うことだった。彼は法学者でもあり、インド旅行の目的は仕官だった。デリーには8年間滞在し、法官職を務めている。とはいえ、基本的には好奇心旺盛な旅行好きだったと思われる。

 本書だけでは細かいことは不明だが、彼には旅が生活だっったようだ。旅の過程で何人かの妻を得ているし、何人かかの子供も生まれている。同道したケースも各地に滞在させたケースもあるようだが、よくわからない。危険な目には何度も遭遇している。

 イブン・バットゥータの『大旅行記』は自筆ではない。彼の大旅行に興味をもったスルタンが文学者イブン・ジュザイイに命じて口述筆記させたものである。旅行終えた後に過去数十年の記憶を語ったものだから、記憶違いや話を盛った可能性もあるようだ。筆記した文学者も既存の各種旅行記を参照して記述を装飾しているらしい。

 そんな事情もあり、彼がインドまで行ったのは確かだが、その先の中国は怪しいと見る研究者が少なくないそうだ。著者の家長氏も中国には行っていないと推定している。とは言え、中国の様子を報告できる資料がこの時代には存在していたのである。

 山川出版社の教科書『世界史B』(2019年)を見ると、イブン・バットゥータの訪れた都市名・地名(中国を含む)を羅列した箇所に、小活字の註で「実際にベンガル以東を訪れたかどうかは不明」とあった。

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