ムガル帝国の創設者バーブルは文学者2019年08月05日

『バーブル:ムガル帝国の創設者』(間野英二/世界史リブレット人/山川出版社)
 「世界史リブレット人」の『ティムール』を読んだ行きがかりで、その子孫のバーブルも読んだ。

 『バーブル:ムガル帝国の創設者』(間野英二/世界史リブレット人/山川出版社)

 バーブルはムガル帝国の創設者であり、文学者でもある。ムガル帝国と言えばあの壮大華麗なタージ・マハルが思い浮かぶ。私は約10年前にタージ・マハルを訪れ、写真や画像の印象を超えた美しさに圧倒された記憶がある。この墓廟を建てたのは第5代皇帝だから、バーブルよりかなり後の時代になる。ムガル帝国の実質的な建設者はバーブルの孫の第3代皇帝で、バーブルの時代は混沌の揺籃期である。

 バーブルの父はティムール朝の創設者ティムールから数えて5代目の子孫、母はチンギス・ハンの次男チャガタイ・ハン(チャガタイ・ハン国の始祖)から数えて10代目の子孫である。バーブルはトルコ化・イスラム化したモンゴルで、彼が生まれた時代、ティムール朝は分裂した衰退期に入っていた。

 分裂したティムール朝の一領国の若き君主バーブルはサマルカンドを中心とした中央アジアの覇権を目指すが、それがならず南下してアフガニスタンに移動する。その後、さらに南下してインドに王朝をひらく。こ経路は玄奘三蔵が辿った道に重なる。家臣と共に戦を重ねながらさすらって行く王朝の姿は、まさにチンギス・ハンの血を受け継ぐ遊牧国家である。

 チャガタイ・ハンとティムールの年齢差は約150年、ティムールとバーブルの年齢差も約150年、3世紀を経て様変わりしたことは多い。だが、変わっていないものもあるように見えるのが面白い。

 バーブルはトルコ文学の傑作と言われる『バーブル・ナーマ』という回想録を残している。この書の研究者・翻訳者でもある著者は文人としてのバーブルの魅力を強調している。

 私にはバーブルが文学好きの経営者に見えた。斜陽の名門大企業の御曹司が、その企業の立て直しに奮闘するも挫折し、新たな分野での創業者へと変貌し、その新たな企業の成長を夢見ながら疾風怒涛の時代に果てていく…そんな姿を連想した。