「なぜ?」をベースの講演のような『世界史』と『ローマ史』 ― 2019年03月07日
ローマ史の歴史学者・本村凌二氏の『多神教と一神教』(岩波新書) 、『ローマ人の愛と性』(講談社現代新書)を読んだのを機に次の近著を読んだ。
『教養としての世界史の読み方』(本村凌二/PHP研究所/2017.1)
『教養としてのローマ史の読み方』(本村凌二/PHP研究所/2018.3)
『教養としての世界史の読み方』(以下『世界史』)の1年後に『教養としてのローマ史の読み方』(以下『ローマ史』)が刊行されている。
「教養としての」とは安直なネーミングだと感じたが『世界史』の「序章」を読んで納得した。本村氏はグローバルスタンダードの教養は「古典」と「世界史」だと考えていて、いまの日本人の教養に懸念を抱いている。だから、あえてこんなタイトルにしたそうだ。
2冊とも「なぜ?」という課題をベースにしたエッセイ風の歴史解説で読みやすい。面白くてためになる講演を聞いている気分で興味深く読了した。
ローマ史研究者の本村氏が「世界史」と銘打った本を書いたのはは画期的なことかもしれない。『世界史』の「はじめに」で著者は専門領域を超えて「世界史」を語る抱負を述べている。歴史学者の心意気を感じた。
『世界史』は7つの切り口で世界史を縦横に語っている。どれも面白いが、冒頭の「乾燥化が文明を発祥させた」という話には驚いた。大河の畔で四大文明(この言葉は日本ローカルだそうだ)が発祥した頃、日本では一万年に及ぶ縄文時代が延々と続いていて、文明は発祥しなかった。日本では乾燥化が起こらず、快適な環境の中での自足した暮らしを一万年も日々繰り返していたのである。
環境悪化が文明を生んだとは、われわれの文明世界の皮肉を感じてしまう。
『世界史』には他にも興味深い指摘が多いが、全般を通じて印象に残るのは日本という島国の特殊性である。世界史には「人の大移動」という側面があり、日本はほとんどその影響を受けていない。それはハッピーだったかもしれないが、この先どうなるかはわからない。
本村氏は『ローマ人の愛と性』の「あとがき」で、塩野七生氏をひきあいに自身を「天下国家を論じることが苦手な作家のごとき歴史家」と語っていたが、『世界史』には塩野七生氏にも似た警世家の書の趣がある。
『ローマ史』は私には手頃な知識整理の復習書だった。同時に新た知見も得られた。著者がローマ史の研究家だから『世界史』にも「ローマとの比較で見えてくる世界」という章があり、2冊続けて読むと多少の重複感がある。だが『世界史』での記述を敷衍・発展させた記述になっていて、その変化を楽しめた。
『ローマ史』には「ネロは本当にキリスト教徒を迫害したのか」という項目があり、その内容に唸らされた。研究者でなければ書けない指摘である。史料を丹念に検討すると、ネロがキリスト教徒を迫害したという史実はかなり疑わしいそうだ。本村氏はこの項目を次のようにさらりと締めくくっている。
「ネロにとっては濡れ衣かもしれませんが、ヨーロッパで「ネロ」という名が暴君の代名詞として定着したのは、母親殺し以上に、キリスト教徒迫害が大きく関係しているのですから、目立ちたがり屋だったネロは、身に覚えのない悪行が一つ加わったとしても、たいして気にしていないかもしれません。」
『ローマ史』の末尾はローマ滅亡の原因を語る「交響曲『古代末期』」になり、締めくくりで「アメリカの非寛容を加速させるトランプ大統領」に言及している。『世界史』と同様に『ローマ史』もまた警世の書である。
『教養としての世界史の読み方』(本村凌二/PHP研究所/2017.1)
『教養としてのローマ史の読み方』(本村凌二/PHP研究所/2018.3)
『教養としての世界史の読み方』(以下『世界史』)の1年後に『教養としてのローマ史の読み方』(以下『ローマ史』)が刊行されている。
「教養としての」とは安直なネーミングだと感じたが『世界史』の「序章」を読んで納得した。本村氏はグローバルスタンダードの教養は「古典」と「世界史」だと考えていて、いまの日本人の教養に懸念を抱いている。だから、あえてこんなタイトルにしたそうだ。
2冊とも「なぜ?」という課題をベースにしたエッセイ風の歴史解説で読みやすい。面白くてためになる講演を聞いている気分で興味深く読了した。
ローマ史研究者の本村氏が「世界史」と銘打った本を書いたのはは画期的なことかもしれない。『世界史』の「はじめに」で著者は専門領域を超えて「世界史」を語る抱負を述べている。歴史学者の心意気を感じた。
『世界史』は7つの切り口で世界史を縦横に語っている。どれも面白いが、冒頭の「乾燥化が文明を発祥させた」という話には驚いた。大河の畔で四大文明(この言葉は日本ローカルだそうだ)が発祥した頃、日本では一万年に及ぶ縄文時代が延々と続いていて、文明は発祥しなかった。日本では乾燥化が起こらず、快適な環境の中での自足した暮らしを一万年も日々繰り返していたのである。
環境悪化が文明を生んだとは、われわれの文明世界の皮肉を感じてしまう。
『世界史』には他にも興味深い指摘が多いが、全般を通じて印象に残るのは日本という島国の特殊性である。世界史には「人の大移動」という側面があり、日本はほとんどその影響を受けていない。それはハッピーだったかもしれないが、この先どうなるかはわからない。
本村氏は『ローマ人の愛と性』の「あとがき」で、塩野七生氏をひきあいに自身を「天下国家を論じることが苦手な作家のごとき歴史家」と語っていたが、『世界史』には塩野七生氏にも似た警世家の書の趣がある。
『ローマ史』は私には手頃な知識整理の復習書だった。同時に新た知見も得られた。著者がローマ史の研究家だから『世界史』にも「ローマとの比較で見えてくる世界」という章があり、2冊続けて読むと多少の重複感がある。だが『世界史』での記述を敷衍・発展させた記述になっていて、その変化を楽しめた。
『ローマ史』には「ネロは本当にキリスト教徒を迫害したのか」という項目があり、その内容に唸らされた。研究者でなければ書けない指摘である。史料を丹念に検討すると、ネロがキリスト教徒を迫害したという史実はかなり疑わしいそうだ。本村氏はこの項目を次のようにさらりと締めくくっている。
「ネロにとっては濡れ衣かもしれませんが、ヨーロッパで「ネロ」という名が暴君の代名詞として定着したのは、母親殺し以上に、キリスト教徒迫害が大きく関係しているのですから、目立ちたがり屋だったネロは、身に覚えのない悪行が一つ加わったとしても、たいして気にしていないかもしれません。」
『ローマ史』の末尾はローマ滅亡の原因を語る「交響曲『古代末期』」になり、締めくくりで「アメリカの非寛容を加速させるトランプ大統領」に言及している。『世界史』と同様に『ローマ史』もまた警世の書である。
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