『ローマ帝国の崩壊』は論争的面白さがある本だった2019年03月11日

『ローマ帝国の崩壊:文明が終わるということ』(ブライアン・ウォード=パーキンズ/南雲泰輔訳/白水社)
 5年前に購入し未読棚に積んであった次の本を読んだ。

 『ローマ帝国の崩壊:文明が終わるということ』(ブライアン・ウォード=パーキンズ/南雲泰輔訳/白水社)

 高坂正堯の『文明が衰亡するとき』や本村凌二氏の『教養としてのローマ史の読み方』を読んで、頭が古代ローマ史への関心に回帰してきたのだ。いつまで続くかはわからないが。

 気合を入れて取り組まねばならないハードな本かと思っていたが、読み始めると引きこまれて短時間で読了した。意外に面白い。その面白さは論争的なところにあり、格闘技を観戦する気分で読み進めた。

 著者の攻撃対象は、ローマ帝国は衰退・滅亡したのではなく新たな社会へ変容したと主張する「変容説」「古代末期論」である。私の不案内な学問世界の話であり、いきなりのバトルに面食らったが、読み進めるに従って何となく事情が見えてきた。

 5年前に読んで読後感を書いた『新・ローマ帝国衰亡史』(南川高志/岩波新書)に「変容説」の紹介があったような気がしてきて、パラパラとめくってみた。その序章に「変容」や「古代末期」をめぐる学界動向の紹介があった(南川氏は「変容」に与しているのではなく、独自の観点で「ローマ帝国は自壊した」と論じている)。

 私が読んだローマ史関連の本で印象が強いのは塩野七生氏の『ローマ人の物語』とギボンの『ローマ帝国衰亡史』である。と言っても、その内容の大半は蒸発していている。私の頭の中にある漠然とした西ローマ帝国滅亡のイメージは、蛮族の侵入とキリスト教の普及によってローマ的なもの(寛容で開放的、強権的かつ実学的、世俗的、快楽的なもの)が失われていく衰退・滅亡である。

 そんなローマ視点の「衰退」「滅亡」を否定し、ゲルマン視点で肯定的に社会の「変容」を論じるのが「変容説」のようだ。それを真向から否定し、ローマ帝国衰亡期は「変容」などという穏やかな時代ではなく、経済や文化が劇的に収縮・後退し「ひとつの文明が死んだのだ」というのが著者の主張である。

 その主張の根拠は主に考古学的な遺品であり、かなりの説得力があると思えた。

 著者はローマで生まれ育ったイギリス人だそうだが、本書からはドイツ人やフランス人への多少の反感が感じられる。千数百年前にローマ帝国に侵入してきたゲルマン人への恨みが残っているわけではないだろうが、古代ローマを論じる中でナチス・ドイツやEUにまで言及しているのに少々唖然とした。歴史解釈とは現代史だと了解するとともに、ヨーロッパ世界とは生々しい歴史の堆積の上澄みだと感じた。