異世界イメージ喚起力に圧倒される『華竜の宮』2012年01月29日

『華竜の宮』(上田早夕里/早川書房)
 久々に最近のSF作家のSFを読んだ。上田早夕里氏の『華竜の宮』(早川書房)である。
 このSFを読もうと思ったきっかけは、昨年10月に日経新聞夕刊に掲載された巽孝之氏の『日本SFが創った未来』という記事だった。4回連載の最終回で『華竜の宮』を次のように高く評価していた。

 「小松左京の『日本沈没』に真っ向から挑戦し、日本沈没SFというわが国独自のサブジャンルを批判的に発展させた渾身の一作だ。(略)ハードSFでなければ得られないこの文学的感動は、21世紀の文学そのものの指標かもしれない。」
 
 小松左京作品を批判的に発展させた本格的なハードSFとあれば、読まないわけにはいかない。記事掲載の直後にネットで本書を購入した。読んだのは新年になってからだった。この記事が掲載された時点で「SFが読みたい! 2011年版」で国内編1位を獲得していた『華竜の宮』は、年末には2011年の日本SF大賞を受賞している。

 2段組で約580ページ、かなりの長編だ。カッパノベルズから上下2冊で出た『日本沈没』より多少長い(『日本沈没 第2部』を加えれば違うが)。
 これだけの長編なのに、読み終わったときには、異様な未来世界の概要だけを眺めたようなモノ足りなさを覚えた。主な舞台は海面が260メートル近く上昇した25世紀の地球である。盛り込んでいる材料が多様なせいか、いろいろ書き込んではいるのに、まだ書き足りないのではないかと思えてくる。

 では、この小説に登場するあれやこれやの事象をより詳細に書き込んで、数倍の長さに膨らませてほしいかと言えば、そうとも言い切れない。
 政治・経済・科学技術などを総合的に盛り込んで「世界」を描くにはSFは最適の器だと思う。だが、「世界」を描ききろうとすれば、いくら枚数があっても足りない。作者にも読者にも無限の時間があるわけではない。
 作者が捉えた「世界」のイメージを、どのような切り口で捌いて料理するか、それが作家の腕の見せどころになる。
 『華竜の宮』は「渾身の一作」という評価にふさわしく、多様な材料を投入して、ある種の人類滅亡までをも描ききってしまっている。
 そこまで描かずに、大異変の予兆が膨らんでくるところで終わらせるという選択肢もあったと思われるが、そうしなかったところに、作者の「思い切りのよさ」と「せっかちさ」を感じる。
 本書に満足していないわけではないが、別の形のエピローグも見てみたい気がする。読者とは身勝手なものである。相反するかもしれない料理のそれぞれの美味を堪能したいと思っているのだ。

 私は、若いころ、主にSF第1世代(星新一、小松左京、筒井康隆・・・・・)の作品に親しんできた。そんな団塊世代の目から『華竜の宮』を見ると、やはり新世代のSFだなあと感じる。異世界のイメージ喚起力が抜群に優れているからだ。昔から「SFは絵だ」と言われてきたが、その「絵」を構築する力が時代とともに進歩してきているのは確かだ。映画(CGなど)やアニメが発展してきたという環境もあるだろが、新世代作家の「絵を描く技量」には脱帽する。

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