ルネサンスはイスラムとビザンツがもたらした2024年04月18日

『十二世紀ルネサンス』(伊東俊太郎/講談社学術文庫)
 先日再読した『中世シチリア王国』に12世紀ルネサンスに言及した箇所があった。この言葉に触れて、未読棚に積んでいた次の本を思い出し、この機に読んだ。

 『十二世紀ルネサンス』(伊東俊太郎/講談社学術文庫)

 著者は昨年9月、93歳で逝去した科学史の碩学である。本書の原版が出たのは約30年前の1993年、文庫になったのは2006年だ。著者は冒頭で「「十二世紀ルネサンス」という言葉は、まだ西洋史の教科書にもあらわれておらず、あまり広くゆきわたっていないかもしれません。」と述べているが、文庫版の解説者は「「十二世紀ルネサンス」という言葉は、今日では高等学校の教科書にも見られ、我々にはすでになじみの深いものになっている。」と述べている。

 「十二世紀ルネサンス」という言葉は20年ほど前に一般化したようだ。私が「十二世紀ルネサンス」「大翻訳時代」を知ったの比較的最近、この10年以内だと思う。

 本書は岩波市民セミナーの講義がベースなので、語り口は親しみやすく、わかりやすい。だが、時として極度に専門的になり、学問の世界の厳密さと凄さを垣間見せてくれる。著者はあとがきで「なるべく平易で分かりやすい表現をとるように心がけましたが、本書は内容的にはかなり深く突込んだ、私の生涯の主著のひとつとなるべきものかと考えています。」と述べている。

 西欧の哲学・科学の淵源はギリシアにある。それはローマ時代を経て西欧に直接に伝わったのではなく、12世紀になってイスラム経由で西欧に伝わった。ギリシアの学術は「ギリシア語→アラビア語→ラテン語」あるいは「ギリシア語→ラテン語」の翻訳活動によって西欧にもたらされた――そんな「十二世紀ルネサンス」の実態を本書は具体例を駆使して解説している。ビザンツやイスラムが存在しなければ、近代の西欧文明は成立しなかったのである。

 イスラムは、単にギリシア語の文献を西欧に仲介しただけではない。ギリシア語からアラビア語への翻訳とは当然ながら内容を咀嚼して発展させる活動につながる。数学や天文学におけるイスラムの貢献の大きさをあらためて知った。

 また、「官能的な恋愛」や「雅びな恋愛」を含むロマンティク・ラブという文学表現も、12世紀になってイスラムから西欧にもたらされたらしい。それまでの西欧は「雅び」からほど遠い武張った世界だったのだ。私にとっては新たな知見だ。

 なお、著者はローマに関して次のように述べている。

 「ギリシア学術の一番いいものはローマには入らなかったのです。ローマへは五パーセントぐらいしか行っていない。ボエティウスがラテン訳した、わずかばかりのギリシア学術の断片、それにプリニウスやイシドルスによって保存された百科全書的知識のような二流のものしか入らかったのです。つまりギリシアの本当の学術というものは、ローマ人には理解できなかったのです。」

 なるほどと思った。西ローマ帝国の皇帝にはギリシアかぶれと言われる人も多いが、やはりローマはギリシアとはかなり違っていたのだ。