『尺には尺を』は人間の二面性を誇張した喜劇だが…2023年10月29日

 新国立劇場中劇場でシェイクスピアの『尺には尺を』(翻訳:小田島雄志、演出:鵜山仁、出演:岡本健一、木下浩之、浦井健治、ソニン、他)を観た。同じ役者による交互上演の『終わりよければすべてよし』は先週観ている。観劇に先駆けて2作品の戯曲も読んだ。2本セットの芝居をやっと観終えたという気分である。

 ベッド・トリックという共通の仕掛けがあるものの別々の作品である2本をセットにすると、確かに芝居の時空の拡がりを感じる。私は『終わりよければすべてよし』の1週間後に『尺には尺を』を観たが、同じ日の昼・夜で連続して観た方が楽しめたと思う。順番は私の観劇とは逆に『尺には…』→『終わり…』の方がいい。後者のラストに「芝居は終りました……」というエピローグがあるからだ。

 今回の交互上演では昼・夜2回上演の日は8日あり、『尺には…』→『終わり…』が4日、その逆が4日だ。主催者は順序には特にこだわってはいないようだ。

 交互上演が面白いのは、一人の役者の役どころが2作品でガラリと変わる点にある。まったく異なる人物像を同じ役者が連続して演ずる姿を観ていると、はからずも、人間にはさまざまな側面がある、と感じてしまうのだ。

 『尺には…』は、法に厳格な謹厳実直な人物(岡本健一)が実は若い処女に心奪われる悪人だったという喜劇である。他にも二面性が誇張された人物が何人か登場し、それがコミカルな情景を作り出す。少し引いて眺めれば、そんな二面性が人間の本性に思えてくる。

 『尺には…』のラストでは何組ものカップルの結婚が成立する。だが、ほとんどのカップルは一方のみが積極的で、かなり強引な幕引きである。最後になって正義派の公爵(木下浩之)がイザベラ(ソニン)に求婚するのも唐突である。戯曲を読んだときは、これでハッピーエンドなのかと驚いた。イザベラは修道尼への研修中だ。舞台では、公爵に手を取られて舞台奥に去るイザベラが、戸惑ったように客席を振り返る仕草が笑いを誘っていた。

 『尺には…』も『終わり…』も喜劇というよりは問題劇と呼ばれているそうだ。2作品の舞台を観て、そう呼ばれる理由がわかる気がした。

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