『選択と誘導の認知科学』を読むと自由意思を信じられなくなる2022年10月29日

『選択と誘導の認知科学』(山田歩/新曜社)
 タイトルにある「誘導」という言葉に惹かれて次の本を読んだ。

 『選択と誘導の認知科学』(山田歩/新曜社)

 日本認知科学会監修『「認知科学のススメ」シリーズ』という叢書の1冊である。認知科学とは多様な分野にまたがる学問だそうだ。私には心理学と脳科学の要素が大きいように見える。

 本書冒頭では、ファーストフード店が長時間滞在を減らすために椅子の形状や固さを工夫している話、電車の座席に凸凹をつけてマナー違反の座り方を減らしている話など、物理的環境で人の行動を誘導する例を紹介している。続いて、人々の意思や考えを確認するための質問において、選択肢を少し工夫するだけで結果が大きく異なる事例を紹介している。確かに「誘導の科学」である。

 興味深い事例に惹かれて読み進めるうちに次第に「アタリマエのこと」をくり返し述べているように思えてきた。著者に文句をつけているのではない。自分自身を含めて人間とは、さほど考えずに行動するのが「アタリマエ」に思えてきたのである。

 例えば、異性を選ぶときに「外見」「中身」のどちらを重視するかと聞かれても、常に同じ回答をするとは限らない。聞かれるまでは、そんな割り切った基準は頭のなかになく、曖昧模糊としていて、要は何も考えていなのである。選択肢の工夫によって回答がぶれるのは当然のように思われる。

 脳科学の本で、人は必ずしも「意識→行動」というプロセスをとっているのではなく、行動の後追いで意識が発生するという話を読んだ記憶がある。

 本書を読んで人間の「自由意思」があやふやであることを再認識した。考えているように見えて、実はさほど考えていないから容易に誘導されるのである。

 また、理由があって行動するのではなく、行動してから理由を後付けしているにもかかわらず、自分では「理由→行動」と思い込んでいるという話もよくわかる。自分自身のことも含めて、そんな事例は多いと思う。

 何も考えていないのに、何かを考えていると思い込んでいる、それが人間である、と考えることは何ともむなしい。「考える」の実相に迫るのが非常に難しいということかもしれないが……。