『イスラムの陰に』(前嶋信次)はユニークな史書 ― 2022年08月23日
先日読んだ『都市の文明イスラーム』に両目をつぶされたカリフの話が出てくる。カリフが大アミール(大将軍)の傀儡となったブワイフ朝(932-1062)の頃である。この件についてもう少し詳しく知りたく、ネット検索で見つけた次の本を読んだ。
『イスラムの陰に(生活の世界歴史7)』(前嶋信次/河出文庫/1991.10)
原版は1970年刊行、かなり古い本だ。前嶋信次(1903-1983)は日本のイスラム史研究の泰斗である。私は昨年1月、この著者の『イスラム世界(世界の歴史8)』を読み、講談調とも言える独特の語り口にしびれた。本書も前嶋先生のマイペース気味の談義が魅力的である。
約半世紀前に河出書房から「生活の世界歴史」(全10巻)という叢書の1冊で、10世紀頃のイスラム世界の社会や文化を、次の六つのタイトルに分けて描いている。
帝王譜――カリフのいきざま
翰墨譜――教育と文学
都城譜――ある法官の茶飲み話
コルドバ図巻――市街と住民
田園図巻――コルドバ歳時記
愛恋図巻――鳩の首輪
何ともユニークな命名の章立てである。翰墨(かんぼく)という難しい言葉は辞書を引いて「筆と墨。広く、文学に関すること」と知った。
イスラム世界には、当時の社会や、そこで生活する人々の姿を表した多様な史料が残っている。本書は、そんな史料のエッセンスを著者が洒脱な語り口で紹介する形になっている。ときに、やや脱線気味に研究史談義になったりするのも楽しい。
私の目当てだった「目をつぶされたカリフ」の話は冒頭の「帝王譜――カリフのいきざま」に出てくる。目をつぶされたカリフは3人いたが、その後は、悲惨な末路をとげることなく長寿を保ったカリフが続く。著者はそれを「徒に強いものにあらがうことなく、長いものには巻かれろという保身の術がうまくなったためであろう」と述べている。
哀れなカリフだけでなく、とんでもない奇行のカリフの紹介もあって面白い。
『イスラムの陰に(生活の世界歴史7)』(前嶋信次/河出文庫/1991.10)
原版は1970年刊行、かなり古い本だ。前嶋信次(1903-1983)は日本のイスラム史研究の泰斗である。私は昨年1月、この著者の『イスラム世界(世界の歴史8)』を読み、講談調とも言える独特の語り口にしびれた。本書も前嶋先生のマイペース気味の談義が魅力的である。
約半世紀前に河出書房から「生活の世界歴史」(全10巻)という叢書の1冊で、10世紀頃のイスラム世界の社会や文化を、次の六つのタイトルに分けて描いている。
帝王譜――カリフのいきざま
翰墨譜――教育と文学
都城譜――ある法官の茶飲み話
コルドバ図巻――市街と住民
田園図巻――コルドバ歳時記
愛恋図巻――鳩の首輪
何ともユニークな命名の章立てである。翰墨(かんぼく)という難しい言葉は辞書を引いて「筆と墨。広く、文学に関すること」と知った。
イスラム世界には、当時の社会や、そこで生活する人々の姿を表した多様な史料が残っている。本書は、そんな史料のエッセンスを著者が洒脱な語り口で紹介する形になっている。ときに、やや脱線気味に研究史談義になったりするのも楽しい。
私の目当てだった「目をつぶされたカリフ」の話は冒頭の「帝王譜――カリフのいきざま」に出てくる。目をつぶされたカリフは3人いたが、その後は、悲惨な末路をとげることなく長寿を保ったカリフが続く。著者はそれを「徒に強いものにあらがうことなく、長いものには巻かれろという保身の術がうまくなったためであろう」と述べている。
哀れなカリフだけでなく、とんでもない奇行のカリフの紹介もあって面白い。
道化師の人生に20世紀の100年を重ねた加藤健一の一人芝居 ― 2022年08月25日
本多劇場で加藤健一の一人芝居『スカラムーシュ・ジョーンズあるいは七つの白い仮面』(作:ジャスティン・ブッチャー、演出:鵜山仁)を観た。
加藤健一事務所は1980年に一人芝居『審判』を上演するために立ち上げたそうだ(私は彼の倅による『審判』を2カ月前に観た)。一人芝居は得意なのかとも思うが、パンフレットでは「演者には、足がすくむほどの重圧がのしかかってきます」とある。
1999年12月31日の夜、道化師スカラムーシュが人生を振り返る独白劇である。この道化師の誕生日は1899年12月31日、百歳を迎えて己の人生に反映された20世紀を物語る仕掛けになっている。上演時間は1時間40分、舞台上には小道具・大道具が賑やかに配置され、スクリーン投影も活用して時代の変遷や空間の移動を表現している。
スカラムーシュはトリニダード・トバゴで褐色の肌のジプシー娼婦から生まれるが、その肌は抜けるように白い。その後、孤児となり奴隷となり、西アフリカのセネガルに渡り、エチオピアやエジプトを経て、ムソリーニ政権下のヴェニスに至る。そして、ミラノを経てクラクフ(ポーランド)へ行き、ついには強制収容所に入れられる。
この強制収容所のシーンが印象深い。収容所に入れられたものの、その身分は保留となり、犠牲者たちを埋める墓掘りの仕事に従事する。そこで、殺されていく子供たちのために道化師としてパントマイムを披露する。銃殺された犠牲者が天使になって昇天するパントマイムである。
戦争が終わり捕らえられたスカラムーシュは戦争裁判にかけられるも釈放され、ロンドンにたどり着く。時は1951年、つまりスカラーシュは51歳である。人生を振りかえる道化師の1999年大晦日の独白はここで終わり、道化師として過ごしたその後の50年は語られない。語られない50年が余韻として響く芝居である。
加藤健一事務所は1980年に一人芝居『審判』を上演するために立ち上げたそうだ(私は彼の倅による『審判』を2カ月前に観た)。一人芝居は得意なのかとも思うが、パンフレットでは「演者には、足がすくむほどの重圧がのしかかってきます」とある。
1999年12月31日の夜、道化師スカラムーシュが人生を振り返る独白劇である。この道化師の誕生日は1899年12月31日、百歳を迎えて己の人生に反映された20世紀を物語る仕掛けになっている。上演時間は1時間40分、舞台上には小道具・大道具が賑やかに配置され、スクリーン投影も活用して時代の変遷や空間の移動を表現している。
スカラムーシュはトリニダード・トバゴで褐色の肌のジプシー娼婦から生まれるが、その肌は抜けるように白い。その後、孤児となり奴隷となり、西アフリカのセネガルに渡り、エチオピアやエジプトを経て、ムソリーニ政権下のヴェニスに至る。そして、ミラノを経てクラクフ(ポーランド)へ行き、ついには強制収容所に入れられる。
この強制収容所のシーンが印象深い。収容所に入れられたものの、その身分は保留となり、犠牲者たちを埋める墓掘りの仕事に従事する。そこで、殺されていく子供たちのために道化師としてパントマイムを披露する。銃殺された犠牲者が天使になって昇天するパントマイムである。
戦争が終わり捕らえられたスカラムーシュは戦争裁判にかけられるも釈放され、ロンドンにたどり着く。時は1951年、つまりスカラーシュは51歳である。人生を振りかえる道化師の1999年大晦日の独白はここで終わり、道化師として過ごしたその後の50年は語られない。語られない50年が余韻として響く芝居である。
研究者の世界が覗える『歴史学者という病』(本郷和人) ― 2022年08月27日
新聞広告の「歴史学は闇も奥も深い」「歴史学ほど時代に流されやすい学問はない」「古代至上主義&京都至上主義の嫌な感じ」という惹句につられて次の新刊を読んだ。
『歴史学者という病』(本郷和人/講談社現代新書)
東大史料編纂所教授・本郷和人氏の姿はテレビで何度か見ているし、書店の店頭に多くの著書が並んでいるのも承知していたが、著書を読むのは初体験である。
一気に読了できる面白い本だ。著者への関心が高まった。だが、新聞広告で私が想定した内容とは少しズレていた。歴史学の現状を告発する部分もあるが、基本は自身の歴史学者としての半生記であり、妻とのノロケ話も挿入されている。
私は本書で初めて知ったが、本郷和人氏の妻・本郷恵子氏は東大史料編纂所の所長、つまり彼の上司だそうだ。自分より優秀な東大の同級生で、彼女を追って学者の道に進み、当初は拒まれながらも結婚に至ったらしい。歴史学者の生々しい生態が伝わってくる面白い本だ。
本郷夫妻の専門は中世である。以前、ある中世史研究者が次のように述べていた。
〔「頭脳の古代、ロマンの中世、体力の近世・近代」という俗諺があるのをご存じだろうか。(…)近世・近代史研究者が自嘲気味いいだしたことと察せられるが、それにしてもいい得て妙である。〕
これを読んで「ロマンの中世」が印象に残ったが、本書では、次のようにロマンを否定している。
〔「歴史学にロマンは要らない」という問題は、歴史好きが高じて歴史学を志そうとする若い人がかなりの確率で乗り越えねばならない壁のようなものではないかと思っている。〕
また「歴史学は人間の内面には立ち入れないし、軽々と立ち入ってはならない」とも述べている。歴史学と歴史小説の違いである。
著者は本書で戦後歴史学の推移を要領よく解説していて、私には役立った。マルクス主義史観の第一世代に次ぐ社会史「四人組」の第二世代に対する著者なりの位置づけはわかりやすくて説得的だ。
「四人組」とは網野善彦、石井進、笠松宏至、勝俣鎭夫だそうだ。著者の師である石井進は網野史学のプロデューサーで、奔放な網野史学の手綱をしっかりと握りつつ、御者的な役割を果たしていたそうだ。私の本籍地・岡山県新見市の「新見庄」に関する網野・石井両氏の文章を読んだことがあり、興味深い指摘だと思った。
新聞広告にあった「京都至上主義の嫌な感じ」は京大批判かと思ったら全く違っていた。古代史において京都の位置づけが大きすぎるのは皇国史観の「しっぽ」を引きずっているという批判だった。なるほどと思う。
『歴史学者という病』(本郷和人/講談社現代新書)
東大史料編纂所教授・本郷和人氏の姿はテレビで何度か見ているし、書店の店頭に多くの著書が並んでいるのも承知していたが、著書を読むのは初体験である。
一気に読了できる面白い本だ。著者への関心が高まった。だが、新聞広告で私が想定した内容とは少しズレていた。歴史学の現状を告発する部分もあるが、基本は自身の歴史学者としての半生記であり、妻とのノロケ話も挿入されている。
私は本書で初めて知ったが、本郷和人氏の妻・本郷恵子氏は東大史料編纂所の所長、つまり彼の上司だそうだ。自分より優秀な東大の同級生で、彼女を追って学者の道に進み、当初は拒まれながらも結婚に至ったらしい。歴史学者の生々しい生態が伝わってくる面白い本だ。
本郷夫妻の専門は中世である。以前、ある中世史研究者が次のように述べていた。
〔「頭脳の古代、ロマンの中世、体力の近世・近代」という俗諺があるのをご存じだろうか。(…)近世・近代史研究者が自嘲気味いいだしたことと察せられるが、それにしてもいい得て妙である。〕
これを読んで「ロマンの中世」が印象に残ったが、本書では、次のようにロマンを否定している。
〔「歴史学にロマンは要らない」という問題は、歴史好きが高じて歴史学を志そうとする若い人がかなりの確率で乗り越えねばならない壁のようなものではないかと思っている。〕
また「歴史学は人間の内面には立ち入れないし、軽々と立ち入ってはならない」とも述べている。歴史学と歴史小説の違いである。
著者は本書で戦後歴史学の推移を要領よく解説していて、私には役立った。マルクス主義史観の第一世代に次ぐ社会史「四人組」の第二世代に対する著者なりの位置づけはわかりやすくて説得的だ。
「四人組」とは網野善彦、石井進、笠松宏至、勝俣鎭夫だそうだ。著者の師である石井進は網野史学のプロデューサーで、奔放な網野史学の手綱をしっかりと握りつつ、御者的な役割を果たしていたそうだ。私の本籍地・岡山県新見市の「新見庄」に関する網野・石井両氏の文章を読んだことがあり、興味深い指摘だと思った。
新聞広告にあった「京都至上主義の嫌な感じ」は京大批判かと思ったら全く違っていた。古代史において京都の位置づけが大きすぎるのは皇国史観の「しっぽ」を引きずっているという批判だった。なるほどと思う。
ゴチャゴチャした歴史概説書を読んだ ― 2022年08月31日
先月、『ビザンツ帝国』(中公新書)と『図説ビザンツ帝国』を続けて読んだので、ビザンツ帝国に関する基礎知識を定着させたく、次の概説書を読んだ。
『ビザンツとスラヴ(世界の歴史11)』(井上浩一・栗生沢猛夫/中央公論社/1998.2)
第1部「ビザンツ――千年帝国のあゆみ」を井上浩一氏が執筆、第2部「スラヴ――その多様性の源泉」を栗生沢猛夫氏が執筆している。第1部のビザンツは先月読んだ本の名残りがあって比較的スムーズに読めたが、第2部のスラヴは馴染み薄い地域のゴチャゴチャした歴史を追うのが大変で、思いのほか時間を要した。読了はしたが頭に入ったとは言えない。
第1部の書き出しは皇妃選びの美人コンテストの話である。美人であれば家柄・財産に関係なく誰でも参加できたコンテストで、著者は「ビザンツ帝国はシンデレラの帝国であった。」と述べている。何となく魅力的な帝国に見えてくる。
ビザンツは自称ではない。ビザンツ帝国の公用語は7世紀からギリシア語だが、ビザンツ人は「我々はローマ人、この国はローマ帝国」としていた。ビザンツ皇帝は初代ローマ皇帝アウグストゥスの正統な後継者という認識である。著者は「ローマ帝国という仮面」と表現している。
ビザンツ帝国は初期のユスティニアヌス帝(在527-578)の時代に領土をローマ帝国の最盛期に近い地中海全域にまで広げる。その後、支配地域は縮小していくが、ひとときとはいえローマ帝国を甦らせたことが、後世のビザンツ人の「我が国はローマ帝国」という精神的な拠り所になったそうだ。なるほどと思った。
ビザンツ帝国の歴史がわかりにくいのは、支配地域が縮小していく過程(一時的には拡大もする)において、当然ながら周辺勢力との関わりが生じ、その周辺勢力の歴史を知らないと状況を把握しにくい点にある。
周辺勢力とは、イスラームの国々、カトリック教会、フランク王国とその後継者であり、さらに遊牧民族やスラブ系民族である。特に隣接するスラヴ系民族との関わりは重要であり、それ故に本書は「ビザンツとスラヴ」を1冊にまとめているのだと思う。
第2部ではスラヴ人の登場から15世紀頃までの歴史を概説している。本書で分類・列挙しているスラヴ人は次の通りだ。
東スラブ:ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人
西スラブ:ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、ソルブ人、カシューブ人
南スラブ:セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、モンテネグロ人、ブルガリア人
彼らの住む東欧にはスラヴ人以外の人々もいる。本書が取り上げる非スラヴ人は次の通りだ。
ハンガリー人、ルーマニア人、アルバニア人、ラトヴィア人、リトアニア人、エストニア人、ハザール人、ユダヤ人
これらの多様な〇〇人の名を眺めるだけで頭の中が混乱してくる。私は、20世紀末の冷戦終結後のユーゴスラヴィア解体過程のゴチャゴチャも頭に入っていないが、この地域の歴史の淵源の複雑さは何となくわかった。
本書はウクライナやロシアの始まりについても述べている。20年以上前の本だが、ウクライナの歴史家とロシアの歴史家の見解の違いにも言及している。ゴチャゴチャした歴史をわかりやすく解釈するのは、魅力的ではあるが危険でもある。歴史は難しい。
『ビザンツとスラヴ(世界の歴史11)』(井上浩一・栗生沢猛夫/中央公論社/1998.2)
第1部「ビザンツ――千年帝国のあゆみ」を井上浩一氏が執筆、第2部「スラヴ――その多様性の源泉」を栗生沢猛夫氏が執筆している。第1部のビザンツは先月読んだ本の名残りがあって比較的スムーズに読めたが、第2部のスラヴは馴染み薄い地域のゴチャゴチャした歴史を追うのが大変で、思いのほか時間を要した。読了はしたが頭に入ったとは言えない。
第1部の書き出しは皇妃選びの美人コンテストの話である。美人であれば家柄・財産に関係なく誰でも参加できたコンテストで、著者は「ビザンツ帝国はシンデレラの帝国であった。」と述べている。何となく魅力的な帝国に見えてくる。
ビザンツは自称ではない。ビザンツ帝国の公用語は7世紀からギリシア語だが、ビザンツ人は「我々はローマ人、この国はローマ帝国」としていた。ビザンツ皇帝は初代ローマ皇帝アウグストゥスの正統な後継者という認識である。著者は「ローマ帝国という仮面」と表現している。
ビザンツ帝国は初期のユスティニアヌス帝(在527-578)の時代に領土をローマ帝国の最盛期に近い地中海全域にまで広げる。その後、支配地域は縮小していくが、ひとときとはいえローマ帝国を甦らせたことが、後世のビザンツ人の「我が国はローマ帝国」という精神的な拠り所になったそうだ。なるほどと思った。
ビザンツ帝国の歴史がわかりにくいのは、支配地域が縮小していく過程(一時的には拡大もする)において、当然ながら周辺勢力との関わりが生じ、その周辺勢力の歴史を知らないと状況を把握しにくい点にある。
周辺勢力とは、イスラームの国々、カトリック教会、フランク王国とその後継者であり、さらに遊牧民族やスラブ系民族である。特に隣接するスラヴ系民族との関わりは重要であり、それ故に本書は「ビザンツとスラヴ」を1冊にまとめているのだと思う。
第2部ではスラヴ人の登場から15世紀頃までの歴史を概説している。本書で分類・列挙しているスラヴ人は次の通りだ。
東スラブ:ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人
西スラブ:ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、ソルブ人、カシューブ人
南スラブ:セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、モンテネグロ人、ブルガリア人
彼らの住む東欧にはスラヴ人以外の人々もいる。本書が取り上げる非スラヴ人は次の通りだ。
ハンガリー人、ルーマニア人、アルバニア人、ラトヴィア人、リトアニア人、エストニア人、ハザール人、ユダヤ人
これらの多様な〇〇人の名を眺めるだけで頭の中が混乱してくる。私は、20世紀末の冷戦終結後のユーゴスラヴィア解体過程のゴチャゴチャも頭に入っていないが、この地域の歴史の淵源の複雑さは何となくわかった。
本書はウクライナやロシアの始まりについても述べている。20年以上前の本だが、ウクライナの歴史家とロシアの歴史家の見解の違いにも言及している。ゴチャゴチャした歴史をわかりやすく解釈するのは、魅力的ではあるが危険でもある。歴史は難しい。
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