新たな上演台本による『友達』(作・安部公房)の舞台は面白い2021年09月10日

 新国立劇場小劇場でシス・カンパニー公演『友達』(作:安部公房、演出・上演台本:加藤拓也、出演:浅野和之、山崎一、鈴木浩介、有村架純、他)を観た。

 安部公房が初期短篇『闖入者』をもとに書いた戯曲『友達』は、1967年の谷崎賞を受賞した世評高い作品である。

 学生時代に安部公房ファンだった私は彼のほとんどの作品を読んでいたが、戯曲『友達』をあまり面白いとは思わなかった。『闖入者』の方が不気味で面白かった。『友達』はあまりに見え透いた作りで、科白に辟易するあざとさを感じた。谷崎賞の選考委員・三島由紀夫がこの戯曲を「日本の戯曲で、これほどダイヤローグ自体のダイナミクスが息詰まる劇的昂奮へ人を追い詰めていゆく作品は稀有である」と絶賛しているのに違和感があった。

 私は戯曲を読んだだけで、『友達』の舞台公演は観ていない。どこかの学生劇団が上演したのを一度だけ観たが…

 今回の観劇には、私がかつて抱いた戯曲への違和感の当否を確認したいという思いがあった。この舞台の演出は27歳の加藤拓也で、彼は安部公房の戯曲をかなり書き換えている。私には新鮮な舞台で、科白に辟易することもなく十分に堪能できた。

 今回初めて知ったこの若い演出家・加藤拓也はなかなかの才人だと思う。私が安部公房の戯曲であざとさを感じていた部分(ネコ、ネズミ、犬に例える会話など)はほとんど割愛されていて、不条理な喜劇の魅力が倍加している。言わずもがなのディティールを削ぎ落せば、人間社会の情況を表現した『友達』は、やはり傑作に思えてくる。

 実は『友達』に関して、最近興味深いこと知った。先日観た ケムリ研究室『砂の女』のパンフレットで、KERA氏と佐々木敦氏が別々の文章で同じことに言及していた。別役実が安部公房の『友達』を「演劇が文学に奉仕するものではダメだ」と強烈に糾弾したという話である。

 私は別役実の文章を読んでいないので、その糾弾の詳細はわからないが、1960年代後半の演劇情況を考えると何となく雰囲気は理解できるし、別役実に共感できる気もする。しかし、今回の舞台を観て、加藤拓也は別役実に糾弾された『友達』を救出したのでは、と勝手に思った。文学的である以上に演劇的な舞台だと感じたからである。

 いずれ、別役実の文章を入手して検討してみたい。