奈良時代は原色の若い時代2020年07月18日

『奈良の都(日本の歴史 3)』(青木和夫/中央公論社/1965.4)
 半世紀前に出た中央公論版『日本の歴史』の第3巻『奈良の都』を読んだ。

 『奈良の都(日本の歴史 3)』(青木和夫/中央公論社/1965.4)

 平城京に来たペルシア人(ソグド人)を描いた松本清張の『眩人』を読み、平城京の様子を確認したくなったのである。

 ちょうど1年前、この時代を描いた歴史小説と歴史概説書を読んだ。光明皇后が主人公の葉室麟の小説『緋の天空』と集英社版『日本の歴史4 天平の時代』 (栄原永遠男/1991.9)である。奈良時代に関して頭の中に多少のイメージが形成されていてもいいのだが、1年もたつと読書記憶がおぼろになる。霞んでいく記憶の再生を期する気持ちもあって本書を読んだ。

 本書挟み込み附録の対談で著者の青木和夫氏は次のように語っている。

 「編集部から、説明的な歴史、つまり概説は聞き飽きているから、事実そのものを読者の考える材料として出してほしいといわれたものですから、エピソードをまじえてクローズアップ的手法で事実をだしたつもりです。」

 確かにそのような歴史書である。読者に高校日本史レベルの知識があるのを前提にした叙述になっていて、もう少しきちんと説明してほしいと思う箇所もある。だが、8世紀に生きた人々の様子が浮かんできて、興味深く読めた。当時の人々の心情や思考を推測するため、『万葉集』や『日本霊異記』からの引用が多い。

 コロナ禍の読書なので、藤原四兄弟が天然痘で次々と倒れていくシーンが印象に残った。政権が生き残った者へ移行するのが歴史の妙だ。兄弟がたがいに見舞いに行ったので感染したのではとの推測に続いて「(感染しなかった)光明皇后は兄たちの見舞いには行かなかったのであろうか」と述べている。

 私が本書で確認したかったことのひとつは、『眩人』で描かれたような平城京で活躍する外国人の姿だった。大仏開眼の導師が南インド生まれの婆羅門僧正だったなどの記述はあるが、平城京で活躍する外国人一般に関する明確な言及はなかった。

 奈良時代の色彩感覚を次のように指摘しているのが興味をひいた。

 「色のつかいかたまで、奈良時代では平安時代以後の日本とは別である。中間色は目立たず、原色的な油濃さが横行している。渋さなどとは縁がない。」

 「日本人の色彩感覚が、奈良・平安をさかいに大きく変わったように思えてならない。それは行動的な奈良貴族から観照的な平安貴族への変化と対応しているようでもある。」

 本書の巻末近くの次の記述も印象深い。

 「八世紀の世界には、老いた国々(唐?)、壮年の国々(ビザンチン帝国?)、若い国々(フランク王国、アッバス朝?)が、たがいに境を接していた。人々はあるいは国を憂えて信念に死に、あるは国を忘れて世を楽しんだ。日本は東アジアの片田舎のまだ若い国であり、人々は未知の世界に強烈な関心を向けていた。」

 あらためて、奈良時代は面白いと気づいた。

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