『カルタゴの運命』読了日に眉村卓氏逝去のニュース ― 2019年11月03日
本日(2019年11月3日)、午後7時のNHKニュースで眉村卓氏逝去のニュースが流れ、非常に驚いた。私はオールドSFファンなので眉村卓氏の小説にはデビュー当時から接している。親近感のある作家ではあるが、この十数年はその作品を読んでなかった。
そんな私が久々に眉村卓氏の長編SFを入手し、数日前に読み始めて本日の昼前に読了した。その読後感をブログに書こうと考えていたときに作家逝去の報に接したのである。驚かざるを得ない。
本日読了したのは次の歴史SFである。
『カルタゴの運命』(眉村卓/新人物往来社)
実は今月下旬にチュニジア旅行を予定しており、その準備にカルタゴ関連の本をいくつか読んでいて、ネット検索で本書の存在を初めて知った。ジュブナイルの文庫本と思い込んでネット古書店に注文すると、届いたのは分厚いハードカバーだった。
この歴史SFは1990年から1998年まで歴史雑誌に連載され、1998年11月に刊行されている。800頁超える大作である。現代のフリーターの若者が怪しげな求人広告に応募して、謎の人々によって紀元前の世界に送り込まれ、ローマとカルタゴが戦ったポエニ戦争に介入するという物語である。
800頁を超える長編であっても、眉村卓氏の律義で坦々とした語り口に乗せられると長さを感じない。タイムパラドックスを超克するSF仕立ての部分には苦闘の跡を感じる。百数十年にわたる三度のポエニ戦争の過程をかなり詳細に記述しているので、カルタゴに関心をもつ読者には恰好の歴史小説である。私にとっては歴史書の復習になると同時にこの時代への感情移入の助けになった。
本書を読み終えて、眉村卓氏の処女長編『燃える傾斜』(東都書房/1963.5)を連想した。私が『燃える傾斜』を読んだのは半世紀以上昔の高校生の頃で、内容はほとんど失念しているが、大まかな印象は残っている。社会から落ちこぼれた主人公が、おのれの意思で謎の機関に関わることによって日常を超えた壮大な冒険(宇宙旅行、時間旅行)を体験して帰還する……その構造が『燃える傾斜』と『カルタゴの運命』に共通していると感じたのである。物語の普遍的な構造かもしれないが…。
『カルタゴの運命』を読了し、作者の大昔の長編第一作を想起したとき、作者の訃報に接した。その暗合に慄然とする。『燃える傾斜』は眉村卓氏が20代で上梓した最初の著作である。当時、小松左京氏や筒井康隆氏の本はまだ刊行されていなかった。高校生の読者から見てもこの若書きの長編はやや稚拙な物語に見えた。でも印象には残った。
いま『燃える傾斜』をめくって「あとがき」に目を通すと、小説執筆中の長女出生に言及している。本日のニュースによれば、その長女が眉村卓氏の喪主をつとめるらしい。
眉村卓氏を追悼して『燃える傾斜』を五十数年ぶりに再読してみようと思った。
そんな私が久々に眉村卓氏の長編SFを入手し、数日前に読み始めて本日の昼前に読了した。その読後感をブログに書こうと考えていたときに作家逝去の報に接したのである。驚かざるを得ない。
本日読了したのは次の歴史SFである。
『カルタゴの運命』(眉村卓/新人物往来社)
実は今月下旬にチュニジア旅行を予定しており、その準備にカルタゴ関連の本をいくつか読んでいて、ネット検索で本書の存在を初めて知った。ジュブナイルの文庫本と思い込んでネット古書店に注文すると、届いたのは分厚いハードカバーだった。
この歴史SFは1990年から1998年まで歴史雑誌に連載され、1998年11月に刊行されている。800頁超える大作である。現代のフリーターの若者が怪しげな求人広告に応募して、謎の人々によって紀元前の世界に送り込まれ、ローマとカルタゴが戦ったポエニ戦争に介入するという物語である。
800頁を超える長編であっても、眉村卓氏の律義で坦々とした語り口に乗せられると長さを感じない。タイムパラドックスを超克するSF仕立ての部分には苦闘の跡を感じる。百数十年にわたる三度のポエニ戦争の過程をかなり詳細に記述しているので、カルタゴに関心をもつ読者には恰好の歴史小説である。私にとっては歴史書の復習になると同時にこの時代への感情移入の助けになった。
本書を読み終えて、眉村卓氏の処女長編『燃える傾斜』(東都書房/1963.5)を連想した。私が『燃える傾斜』を読んだのは半世紀以上昔の高校生の頃で、内容はほとんど失念しているが、大まかな印象は残っている。社会から落ちこぼれた主人公が、おのれの意思で謎の機関に関わることによって日常を超えた壮大な冒険(宇宙旅行、時間旅行)を体験して帰還する……その構造が『燃える傾斜』と『カルタゴの運命』に共通していると感じたのである。物語の普遍的な構造かもしれないが…。
『カルタゴの運命』を読了し、作者の大昔の長編第一作を想起したとき、作者の訃報に接した。その暗合に慄然とする。『燃える傾斜』は眉村卓氏が20代で上梓した最初の著作である。当時、小松左京氏や筒井康隆氏の本はまだ刊行されていなかった。高校生の読者から見てもこの若書きの長編はやや稚拙な物語に見えた。でも印象には残った。
いま『燃える傾斜』をめくって「あとがき」に目を通すと、小説執筆中の長女出生に言及している。本日のニュースによれば、その長女が眉村卓氏の喪主をつとめるらしい。
眉村卓氏を追悼して『燃える傾斜』を五十数年ぶりに再読してみようと思った。
小松左京展で『日本アパッチ族』の新聞広告に出会った ― 2019年11月06日
世田谷文学館で開催中の「小松左京展」に行った。小松左京は私にとっては大きな存在である。中学生のときに『日本アパッチ族』を読んで以来、ほとんどの作品を読んできた。かなりの影響を受けているはずである。
展示物の中に『日本アパッチ族』の新聞広告(全5段)があり、感動した。小松左京のスクラップブックに貼ってあったものらしい。
田舎の中学3年生だったときに見たこの新聞広告はよくおぼえている。この広告で私は小松左京という小説家を初めて知った。面白そうな本だなと思った。
私の住んでいた町の本屋は自宅から自転車で15分か20分の場所にあり、時々は立ち読みに行っていた。その本屋で新聞広告で見た『日本アパッチ族』を発見し、立ち読みを始めると面白くてドンドン引き込まれた。買いたくなったがお金を持ってなかった。当時、本を買うのは非日常的な行為だった。私は自転車で自宅に引き返し、お金を調達して再び本屋に行き『日本アパッチ族』を購入し、その日の夜にはこの長編を読了した。
展示されている『日本アパッチ族』の新聞広告を眺めながら、この広告を目にしたのが、広大無辺な小松左京世界への旅路の始まりであったと思い起こした。感無量である。
展示物の中に『日本アパッチ族』の新聞広告(全5段)があり、感動した。小松左京のスクラップブックに貼ってあったものらしい。
田舎の中学3年生だったときに見たこの新聞広告はよくおぼえている。この広告で私は小松左京という小説家を初めて知った。面白そうな本だなと思った。
私の住んでいた町の本屋は自宅から自転車で15分か20分の場所にあり、時々は立ち読みに行っていた。その本屋で新聞広告で見た『日本アパッチ族』を発見し、立ち読みを始めると面白くてドンドン引き込まれた。買いたくなったがお金を持ってなかった。当時、本を買うのは非日常的な行為だった。私は自転車で自宅に引き返し、お金を調達して再び本屋に行き『日本アパッチ族』を購入し、その日の夜にはこの長編を読了した。
展示されている『日本アパッチ族』の新聞広告を眺めながら、この広告を目にしたのが、広大無辺な小松左京世界への旅路の始まりであったと思い起こした。感無量である。
『ローマ人の物語』第2巻の『ハンニバル戦記』を再読 ― 2019年11月10日
今月下旬に予定しているチュニジア旅行にそなえてカルタゴ関連の本をいくつか読み、その仕上げ気分で15年前に読んだ次の本を再読した。
『ハンニバル戦記(上)(中)(下) ローマ人の物語3,4,5』(塩野七生/新潮文庫)
文庫本で3冊、元の単行本では『ローマ人の物語』全15巻の第2巻が本書『ハンニバル戦記』である。『ローマ人の物語』全15巻は最初の5巻が興隆期、次の5巻が繁栄期、終りの5巻が衰退期になっている。第2巻『ハンニバル戦記』は興隆期の始まりであり、この時期のローマには初々しさを感じる。
本書は第1次ポエニ戦争から第3次ポエニ戦争までの130年を叙述しているが、メインはハンニバル戦争と呼ばれる第2次ポエニ戦争であり、それに三分の二を費やしている。主人公はハンニバル、副主人公は「晴朗」な大スキピオであり、敵対したこの二人への著者の好感が伝わってくる。
ハンニバルが主人公ではあるが、目線はカルタゴではなくローマにあり、第1次ポエニ戦争後にカルタゴで勃発した傭兵戦争(リビア戦争)の記述は簡略で、フローベルの『サランボオ』への言及もない。
と言っても、当然ながら著者がローマを贔屓してカルタゴを疎んじているわけではない。第3次ポエニ戦争に関してはローマのカトーには批判的で、滅んでいくカルタゴを哀惜している。森本哲郎は第2次ポエニ戦争後のカルタゴを第2次世界大戦後の日本になぞらえ「通商国家カルタゴ」の繁栄がローマの逆鱗にふれたと述べていたが、塩野七生氏は第2次ポエニ戦争後のカルタゴの「通商」はさほどではなく農業で繁栄したと見ている。
塩野七生氏の関心は世界を動かす男たちにある。本書を再読して印象に残ったのは次の一節である。
「私には、アレクサンダー大王の最も優秀な弟子がハンニバルであるとすれば、そのハンニバルの最も優れた弟子は、このスキピオではないかと思われる。そして、アレクサンダーは弟子の才能を試験する機会をもたずに世を去ったが、それが彼の幸運でもあったのだが、ハンニバルの場合は、そうはならなかったのであった。」
『ハンニバル戦記(上)(中)(下) ローマ人の物語3,4,5』(塩野七生/新潮文庫)
文庫本で3冊、元の単行本では『ローマ人の物語』全15巻の第2巻が本書『ハンニバル戦記』である。『ローマ人の物語』全15巻は最初の5巻が興隆期、次の5巻が繁栄期、終りの5巻が衰退期になっている。第2巻『ハンニバル戦記』は興隆期の始まりであり、この時期のローマには初々しさを感じる。
本書は第1次ポエニ戦争から第3次ポエニ戦争までの130年を叙述しているが、メインはハンニバル戦争と呼ばれる第2次ポエニ戦争であり、それに三分の二を費やしている。主人公はハンニバル、副主人公は「晴朗」な大スキピオであり、敵対したこの二人への著者の好感が伝わってくる。
ハンニバルが主人公ではあるが、目線はカルタゴではなくローマにあり、第1次ポエニ戦争後にカルタゴで勃発した傭兵戦争(リビア戦争)の記述は簡略で、フローベルの『サランボオ』への言及もない。
と言っても、当然ながら著者がローマを贔屓してカルタゴを疎んじているわけではない。第3次ポエニ戦争に関してはローマのカトーには批判的で、滅んでいくカルタゴを哀惜している。森本哲郎は第2次ポエニ戦争後のカルタゴを第2次世界大戦後の日本になぞらえ「通商国家カルタゴ」の繁栄がローマの逆鱗にふれたと述べていたが、塩野七生氏は第2次ポエニ戦争後のカルタゴの「通商」はさほどではなく農業で繁栄したと見ている。
塩野七生氏の関心は世界を動かす男たちにある。本書を再読して印象に残ったのは次の一節である。
「私には、アレクサンダー大王の最も優秀な弟子がハンニバルであるとすれば、そのハンニバルの最も優れた弟子は、このスキピオではないかと思われる。そして、アレクサンダーは弟子の才能を試験する機会をもたずに世を去ったが、それが彼の幸運でもあったのだが、ハンニバルの場合は、そうはならなかったのであった。」
来春『少女仮面』3本上演……唐十郎は古典か ― 2019年11月13日
来春、唐十郎の『少女仮面』が3本上演される
(1)演出:杉原邦生/トライストーン/シアタートラム(1/24~2/9)
(2)演出:天顔大介/metro/テアトルBONBON(2/19~2/24)
(3)演出:天野天街/糸あやつり人形一糸座/ザ・スズナリ(5/27~5/31)
紅テントの状況劇場がアングラの華だったのは約半世紀前、私が大学生の頃だった。唐十郎の作品は今も上演されることが多く、そのいくつかには足を運んでいるが『少女仮面』が異なる劇団で相次いで3本上演されるのには驚いた。(3)は人形芝居のようだが演出の天野天街は少年王者館の主宰者、只の人形芝居とは思えない。
唐十郎の作品はアングラのまま古典になったように思える。『少女仮面』が岸田戯曲賞を受賞した1970年には、こんな時代が来るとは予想もしなかった。
『少女仮面』は唐十郎が早稲田小劇場のために書き下ろした戯曲で、後に状況劇場でも上演したが私は観ていない。だが、岸田戯曲賞受賞直後に出版された戯曲は購入して読んだ。この本には舞台写真が載っていて扉の白石加代子が強烈だった。実際に舞台を観たのは1981年のパルコ劇場での公演で主演は渡辺えり子だった。
唐十郎が「新劇」の賞である岸田戯曲賞を受賞したのは「事件」だった。その頃の様子を朝日新聞の演劇担当記者だった扇田昭彦氏が書いている(『新劇』1970年4月号)。その記事によれば、岸田戯曲賞が『少女仮面』と知った夜、芥川比呂志は宇野重吉に2回にわたって憤慨の電話をかけ、宇野重吉もその「憤慨」に同意していたそうだ。
それから半世紀、『少女仮面』連続上演を草葉の陰から眺めて、かつての新劇の大御所たちはまだ憤慨しているだろうか。
(1)演出:杉原邦生/トライストーン/シアタートラム(1/24~2/9)
(2)演出:天顔大介/metro/テアトルBONBON(2/19~2/24)
(3)演出:天野天街/糸あやつり人形一糸座/ザ・スズナリ(5/27~5/31)
紅テントの状況劇場がアングラの華だったのは約半世紀前、私が大学生の頃だった。唐十郎の作品は今も上演されることが多く、そのいくつかには足を運んでいるが『少女仮面』が異なる劇団で相次いで3本上演されるのには驚いた。(3)は人形芝居のようだが演出の天野天街は少年王者館の主宰者、只の人形芝居とは思えない。
唐十郎の作品はアングラのまま古典になったように思える。『少女仮面』が岸田戯曲賞を受賞した1970年には、こんな時代が来るとは予想もしなかった。
『少女仮面』は唐十郎が早稲田小劇場のために書き下ろした戯曲で、後に状況劇場でも上演したが私は観ていない。だが、岸田戯曲賞受賞直後に出版された戯曲は購入して読んだ。この本には舞台写真が載っていて扉の白石加代子が強烈だった。実際に舞台を観たのは1981年のパルコ劇場での公演で主演は渡辺えり子だった。
唐十郎が「新劇」の賞である岸田戯曲賞を受賞したのは「事件」だった。その頃の様子を朝日新聞の演劇担当記者だった扇田昭彦氏が書いている(『新劇』1970年4月号)。その記事によれば、岸田戯曲賞が『少女仮面』と知った夜、芥川比呂志は宇野重吉に2回にわたって憤慨の電話をかけ、宇野重吉もその「憤慨」に同意していたそうだ。
それから半世紀、『少女仮面』連続上演を草葉の陰から眺めて、かつての新劇の大御所たちはまだ憤慨しているだろうか。
「西武門哀歌」の謎 --- 「ジン」とは何か? ― 2019年11月15日
◎「西武門」は何と読むか
年に数回沖縄に行くようになって、那覇市の「西武門」という地名が心に残った。初詣で賑わう波上宮近くの交差点やバス停にこの表記があり、何と読むのか気になりつつ数年が経過し、最近になってネットで読み方を調べた。その結果、いろいろなことがわかり、新たな疑問もわいた。
「西武門」は「にしんじょう」と読む。「西武門節」という古い沖縄民謡があるそうだ。辻遊郭の娼妓の情歌である。波上宮近くの辻という地域は今も風俗店が多い。
◎「西武門節」と「西武門哀歌」
「西武門節」を元に川田松夫(沖縄県職員)が作詞・作曲した「西武門哀歌」があり、加藤登紀子が歌ったそうだ。それをネットで聞くことができた。
「西武門哀歌」は私には聞きなれた曲だった。大学時代(約半世紀前)に購入し何度も繰り返し聞いてきた加藤登紀子のLPアルバム『日本哀歌集/知床旅情』に収録されている曲である。後年このLPのCD版も購入し、今は私のipodにも入っている。
若い頃に「西武門哀歌」という曲名を目にした記憶もかすかによみがえってきた。そのときは「せいぶもん」ってどこにある門だろうとチラッと考えただけで、そのまま忘れていた。
この曲をあらためて聞いて、この曲の歌詞に意味不明の箇所があり、それを半世紀も聞き流してきたことに思い当たった。
◎「ジン」とは何か?
「西武門哀歌」には「ジン」という印象的な言葉が出てくるが、その意味がわからないのである。この言葉は次の三カ所に出てくる。
(1)夢を見たよ夢を/ジンと夢にようて
(2)ジャミも濡れたようて/ジンとジャミも濡れた
(3)思いばかりようて/ジンと思いばかり
「にしんじょう」という読み方を知ったのを機に「ジン」が何かを解明しようと調べてみた。しかしわからない。
酒の「ジン」なら(2)がおかしい(「ジャミ」は三線だろう)。沖縄方言で「お金」を「ジン」と呼ぶらしいが、それでは意味が通らない。人名でもなさそうだ。
ふと思い浮かんだのが琉球歌の「娘ジントーヨー」である。調べてみると「ジントーヨー」は「本当だよ」という意味である。「ジントー」は「本当」という意味だそうだ。
ここからは私の推測である。LPやCDに添付の歌詞には「ジンと」とあるが、これは「ジントー」の誤記で「本当に」という意味ではなかろうか。それだと何とか意味が通る。
「ジン」の意味を知っている方の教えを請いたい。
◎LPとCDの違い
『日本哀歌集/知床旅情』のLPとCDを並べて眺めていて、LPの「西武門哀歌」がCDでは「西武門節」になっているのに気づいた。曲は同じでタイトルが変更されている。「西武門節」は「西武門哀歌」の元歌である。ネットで「西武門節」を聞くことができるが、それは「西武門哀歌」とは別物である。CD化に際してなぜ「西武門節」に変更したのか、謎である。
他にもLPとCDに違いがある。LPにあった「竹田の子守唄」がCDには収録されていない。「竹田の子守唄」をネット検索して、この唄には部落問題絡みのいろいろな経緯があることを知った。CDに収録されなかったのには何か事情があるのだろう。それが何かはわからない。
年に数回沖縄に行くようになって、那覇市の「西武門」という地名が心に残った。初詣で賑わう波上宮近くの交差点やバス停にこの表記があり、何と読むのか気になりつつ数年が経過し、最近になってネットで読み方を調べた。その結果、いろいろなことがわかり、新たな疑問もわいた。
「西武門」は「にしんじょう」と読む。「西武門節」という古い沖縄民謡があるそうだ。辻遊郭の娼妓の情歌である。波上宮近くの辻という地域は今も風俗店が多い。
◎「西武門節」と「西武門哀歌」
「西武門節」を元に川田松夫(沖縄県職員)が作詞・作曲した「西武門哀歌」があり、加藤登紀子が歌ったそうだ。それをネットで聞くことができた。
「西武門哀歌」は私には聞きなれた曲だった。大学時代(約半世紀前)に購入し何度も繰り返し聞いてきた加藤登紀子のLPアルバム『日本哀歌集/知床旅情』に収録されている曲である。後年このLPのCD版も購入し、今は私のipodにも入っている。
若い頃に「西武門哀歌」という曲名を目にした記憶もかすかによみがえってきた。そのときは「せいぶもん」ってどこにある門だろうとチラッと考えただけで、そのまま忘れていた。
この曲をあらためて聞いて、この曲の歌詞に意味不明の箇所があり、それを半世紀も聞き流してきたことに思い当たった。
◎「ジン」とは何か?
「西武門哀歌」には「ジン」という印象的な言葉が出てくるが、その意味がわからないのである。この言葉は次の三カ所に出てくる。
(1)夢を見たよ夢を/ジンと夢にようて
(2)ジャミも濡れたようて/ジンとジャミも濡れた
(3)思いばかりようて/ジンと思いばかり
「にしんじょう」という読み方を知ったのを機に「ジン」が何かを解明しようと調べてみた。しかしわからない。
酒の「ジン」なら(2)がおかしい(「ジャミ」は三線だろう)。沖縄方言で「お金」を「ジン」と呼ぶらしいが、それでは意味が通らない。人名でもなさそうだ。
ふと思い浮かんだのが琉球歌の「娘ジントーヨー」である。調べてみると「ジントーヨー」は「本当だよ」という意味である。「ジントー」は「本当」という意味だそうだ。
ここからは私の推測である。LPやCDに添付の歌詞には「ジンと」とあるが、これは「ジントー」の誤記で「本当に」という意味ではなかろうか。それだと何とか意味が通る。
「ジン」の意味を知っている方の教えを請いたい。
◎LPとCDの違い
『日本哀歌集/知床旅情』のLPとCDを並べて眺めていて、LPの「西武門哀歌」がCDでは「西武門節」になっているのに気づいた。曲は同じでタイトルが変更されている。「西武門節」は「西武門哀歌」の元歌である。ネットで「西武門節」を聞くことができるが、それは「西武門哀歌」とは別物である。CD化に際してなぜ「西武門節」に変更したのか、謎である。
他にもLPとCDに違いがある。LPにあった「竹田の子守唄」がCDには収録されていない。「竹田の子守唄」をネット検索して、この唄には部落問題絡みのいろいろな経緯があることを知った。CDに収録されなかったのには何か事情があるのだろう。それが何かはわからない。
橋本治の少年マンガ論を読んで少年時代を遠望 ― 2019年11月17日
友人から借りた次の本を読んだ。
『熱血シュークリーム:橋本治少年マンガ読本』(橋本治/毎日新聞出版)
今年1月、70歳で逝去した橋本治の少年マンガ論である。今年9月の刊行だが遺作ではなく、30年以上前の著作を再編集したものである。
私は橋本治と同い年である。さほど熱心な読者ではないが、乏しい読書体験で彼の異才ぶりに感嘆していた。
本書は著者34歳のときに発表した少年マンガ論で、多くのマンガ家に言及している。同い年の私も著者と似たような少年マンガ体験で育ってきたので、懐かしくうなずける視点が随所にある。だが、私が読んでいない作品も多く取り上げられている。
本書はわかりやすい本ではない。面白いのは確かだが、橋本治のアクロバットのようなフリージャズのような独特の論理展開についていくのは頭が疲れる。頭脳が硬直化しつつあるのだと思う。30年前なら、より深く感情移入できたかもしれない。
本書のメインは「ちばてつや論」で、全体の半分近くを占めていて、著者のユニークな「少年マンガ」観が展開されている。『紫電改のタカ』『ちかいの魔球』『ハリスの旋風』にも言及しているが、主な分析対象は『あしたのジョー』である。高森朝雄(梶原一騎)をほとんど無視して『あしたのジョー』をちばてつや作品として論じつくしているのがいさぎよい。
私は『あしたのジョー』を大学時代にリアルタイムで読んだだけでなく、20年近く前(50代だ)に再読している。だが、本書の指摘のような視点にはまったく気づかなかった。いずれまた、再々読しなければという気持ちになった。
本書の後半に『鉄腕アトム』と『鉄人28号』のどっちに人気があったかという問題の提示があり、「当時の子供の間じゃ『鉄人28号』だったんだよ」と断定している。同感であり、橋本治の切り口のスルドさに感心した。あの頃、なぜあれほどに『鉄人28号』に惹かれたのだろうか。われわれの世代が体験してきた少年マンガの世界は、それを掘り下げればいろいろなものが見えてきそうである。
『熱血シュークリーム:橋本治少年マンガ読本』(橋本治/毎日新聞出版)
今年1月、70歳で逝去した橋本治の少年マンガ論である。今年9月の刊行だが遺作ではなく、30年以上前の著作を再編集したものである。
私は橋本治と同い年である。さほど熱心な読者ではないが、乏しい読書体験で彼の異才ぶりに感嘆していた。
本書は著者34歳のときに発表した少年マンガ論で、多くのマンガ家に言及している。同い年の私も著者と似たような少年マンガ体験で育ってきたので、懐かしくうなずける視点が随所にある。だが、私が読んでいない作品も多く取り上げられている。
本書はわかりやすい本ではない。面白いのは確かだが、橋本治のアクロバットのようなフリージャズのような独特の論理展開についていくのは頭が疲れる。頭脳が硬直化しつつあるのだと思う。30年前なら、より深く感情移入できたかもしれない。
本書のメインは「ちばてつや論」で、全体の半分近くを占めていて、著者のユニークな「少年マンガ」観が展開されている。『紫電改のタカ』『ちかいの魔球』『ハリスの旋風』にも言及しているが、主な分析対象は『あしたのジョー』である。高森朝雄(梶原一騎)をほとんど無視して『あしたのジョー』をちばてつや作品として論じつくしているのがいさぎよい。
私は『あしたのジョー』を大学時代にリアルタイムで読んだだけでなく、20年近く前(50代だ)に再読している。だが、本書の指摘のような視点にはまったく気づかなかった。いずれまた、再々読しなければという気持ちになった。
本書の後半に『鉄腕アトム』と『鉄人28号』のどっちに人気があったかという問題の提示があり、「当時の子供の間じゃ『鉄人28号』だったんだよ」と断定している。同感であり、橋本治の切り口のスルドさに感心した。あの頃、なぜあれほどに『鉄人28号』に惹かれたのだろうか。われわれの世代が体験してきた少年マンガの世界は、それを掘り下げればいろいろなものが見えてきそうである。
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