橋本治の少年マンガ論を読んで少年時代を遠望2019年11月17日

『熱血シュークリーム:橋本治少年マンガ読本』(橋本治/毎日新聞出版)
 友人から借りた次の本を読んだ。

 『熱血シュークリーム:橋本治少年マンガ読本』(橋本治/毎日新聞出版)

 今年1月、70歳で逝去した橋本治の少年マンガ論である。今年9月の刊行だが遺作ではなく、30年以上前の著作を再編集したものである。

 私は橋本治と同い年である。さほど熱心な読者ではないが、乏しい読書体験で彼の異才ぶりに感嘆していた。

 本書は著者34歳のときに発表した少年マンガ論で、多くのマンガ家に言及している。同い年の私も著者と似たような少年マンガ体験で育ってきたので、懐かしくうなずける視点が随所にある。だが、私が読んでいない作品も多く取り上げられている。

 本書はわかりやすい本ではない。面白いのは確かだが、橋本治のアクロバットのようなフリージャズのような独特の論理展開についていくのは頭が疲れる。頭脳が硬直化しつつあるのだと思う。30年前なら、より深く感情移入できたかもしれない。

 本書のメインは「ちばてつや論」で、全体の半分近くを占めていて、著者のユニークな「少年マンガ」観が展開されている。『紫電改のタカ』『ちかいの魔球』『ハリスの旋風』にも言及しているが、主な分析対象は『あしたのジョー』である。高森朝雄(梶原一騎)をほとんど無視して『あしたのジョー』をちばてつや作品として論じつくしているのがいさぎよい。

 私は『あしたのジョー』を大学時代にリアルタイムで読んだだけでなく、20年近く前(50代だ)に再読している。だが、本書の指摘のような視点にはまったく気づかなかった。いずれまた、再々読しなければという気持ちになった。

 本書の後半に『鉄腕アトム』と『鉄人28号』のどっちに人気があったかという問題の提示があり、「当時の子供の間じゃ『鉄人28号』だったんだよ」と断定している。同感であり、橋本治の切り口のスルドさに感心した。あの頃、なぜあれほどに『鉄人28号』に惹かれたのだろうか。われわれの世代が体験してきた少年マンガの世界は、それを掘り下げればいろいろなものが見えてきそうである。