敗者は語らず……『通商国家カルタゴ』2019年09月12日

『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子/講談社学術文庫)
 フェニキア・カルタゴはギリシア・ローマ史の脇役(時には副主人公)として登場することが多く、それなりの存在感はある。だが、その姿は私の頭の中では断片的である。フェニキア・カルタゴ史の全体像を把みたいと思い、次の本を読んだ。

 『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子/講談社学術文庫)

 本書は2009年刊行の『興亡の世界史』第3巻を文庫化したものである。カルタゴに関しては3年前に『ある通商国家の興亡:カルタゴの遺書』(森本哲郎/PHP文庫)を読んだが、あの本は歴史書というよりバブル期日本への警世の書だった。警世部分だけが記憶に残り、「歴史書」部分はほとんど失念している。だから、かなり新鮮な気持で本書のカルタゴ史に取り組んだ。

 フェニキアは現在のレバノンあたりの古称で、カルタゴはフェニキア人が現在のチュニジアに作った古代植民都市である。

 本書は紀元前二千年紀の東地中海世界の記述から始まる。大昔である。フェニキア人が登場するのは、東地中海世界が青銅器時代から鉄器時代へ移行する頃(BC1200年頃~BC1050年頃)で、彼らのカルタゴへの本格的入植が始まるのがBC730~720年頃。そして、第3次ポエニ戦争でカルタゴが滅亡するのはBC146年である。

 この千年近いフェニキア・カルタゴの通史である本書には、神話や伝説への言及から最近の考古学の成果紹介までが盛り込まれている。私が昨年旅行したシチリア古跡に関わる記述も多い。古代史の面白さを堪能できた。

 地中海東岸にフェニキアという国家が存在したわけではなく、フェニキアは独立した都市国家群の呼称である。優秀な船乗りだったフェニキア人は地中海世界の国際商人で、それぞれの都市が地中海の各地に植民都市を築いた。その姿にソグド商人を連想した。主力商品の一つが「奴隷」というのも共通している。時代は大きくかけ離れていて、陸路と海路という違いもあるが、時代や地域を越えて似たような「商人」が存在したことに歴史の面白さを感じた。人間の行動の普遍性にすぎないかもしれないが。

 本書によって、カルタゴ人の書いた文献史料は現存しないと知った。森本哲郎氏は『ある通商国家の興亡』において「カルタゴ人は商業にのみ関心をもち、文化を生み出さなかった」と非難していた。彼らは自らの歴史を記述することに無関心だったのかもしれない。だが本書の著者は、文献史料が現存しないのは第3次ポエニ戦争の徹底的な破壊によって焼失・散逸したせいだとしている。

 今日まで残っているカルタゴに関する文献史料は、カルタゴの敵対者だったギリシア人やローマ人が残したものである。著者は次のように述べている。

 「カルタゴ史、むろんフェニキア史もそうであるが、今の我々が手にすることができる史料のほとんどは、あるいは隣人であり、ある時は敵対者であった他者から見た「カルタゴ像」に他ならない」

 歴史記述にバイアスがかかるのは世の常とは言え、当事者の書いたものがまったく残っていないのは、カルタゴ人には気の毒なことである。著者は、近年の考古学研究によって「伝承」と「考古学的遺物」の間の溝が修復されつつあると述べている。興味深い話である。

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